7.ファン


 オオスは不思議な場所だ。昔ながらの商店街の中に、オタク向けのアニメ・ゲームショップが立ち並び、ライブハウスの近くに演芸場。保守的な文化を持ちながら新しいものを無節操に受け入れる度量がある。そこの中心にある高層マンションの一室に、俺たちはやってきた。

「サブ、ここは誰の家?」

 イブがキョロキョロと辺りを見回しながら訊く。

「俺のファン一号と二号の家だ。あまりフラフラするな。貧乏臭いぞ」

「別に貧乏でもいいもん、アイドルはお金よりも夢を与えるんだから。それにしても、サブにファンなんているんだ。それもこんな大きいマンションに住んでるなんて」

「どんなダメアーティストにも物好きなファンが付くもんさ。見た目17の年増アイドルにもきっとそれなりにはいるんじゃないか?」

「年増はやめて。言っておくけど、私はそんな隙間産業アイドルで終わるつもりはないんだからね」

「事務所選びから派手に間違えておいて、よく言う」

「なによ!契約なんて初めてだったんだからしょうがないじゃない!!」

「そうだな、もし騙されても殴り合いをすれば勝てるからな」

「……今朝のことならごめんなさい。シーナのトイレに付いて行って」

「二階に戻らずに俺の布団に潜り込んだんだろう。もう聞いた。別に怒ってるわけじゃない。今度は起こさないようにそっと逃げ出すさ」

「サブ、ごめんね。あたし寝惚けてて」

 俺とイブの間に挟まって歩いていたシーナから詫びが入る。「自分が持つ」といって聞かなかった猫入りの大きな籠と、小さなポーチを肩に下げ、イブとずっと手を繋いでいる少女の頭を撫でる。昨夜風呂に入ったおかげか、髪質は大分回復していた。

「いや、良いんだシーナ。ただ、今度トイレに行きたいときはポンコツアンドロイドには頼まず、俺を起こせ」

「うん、分かった。また後で包帯替えてあげるね」

「ああ、ありがとう」

「むぅ~」

「どうした女シュワルツェネッガー。何か言いたいことがあるのか」

「腹立つ……!サブだっていやらしい目でこっち見てたじゃない!あんなことになってたら誰だって―――」

「ない。暴力もあり得ないし、俺はロリコンじゃないんでな。あんな凹凸の無い体には興味が無い」

「むきー!!」

 ついに猿と化したポンコツアンドロイドと言い合いながら玄関のチャイムを鳴らそうとすると、その前にドアが開いた。

「サブちゃん、いらっしゃーい!」

「よぉ、アカネ」

 赤ん坊を抱いて出てきた髪の長い若い女に挨拶をする。

 恐らく騒がしい俺たちの声を聞きつけてドアを開けたらしいアカネは、俺の顔を見て柔らかな笑顔を見せると、後ろにいるイブとシーナを見て目を見開いた。

「わぁ!本当に女の子連れてきた!ねぇ、いつ会ったの?いつ式上げるの!?」

「イブ、シーナ、ここはダメみたいだ。帰るぞ」

 まだ18歳の癖に、初っ端から近所の世話焼きおばさんのようなマシンガントークを仕掛けてきたアカネを見限ろうとする俺の腕が強く掴まれる。

「あぁん、もうめんどくさいこと言わないから帰らないでサブちゃん。でも本当に可愛い子たちじゃない。どうしたの?」

「悪の秘密結社に追われているところを助けたんだ」

 そう言うと、アカネはくすくすと笑った。恐らく冗談だと思ってくれたのだろう。

「やっぱりサブちゃんは面白いね。久しぶり」

「そんなに前じゃないだろう。引退ライブは四月だ」

「あれ?そうだっけ。まだこの子生まれて無かったかな?」

「周りが心配するくらいデカい腹で来てただろう。へその緒と一緒に記憶まで切ったのか」

「うーん、なんか出産前後の記憶って曖昧。リョウ君は覚えてないですかー?」

 腕に抱いた赤ん坊に猫撫で声で話しかけるアカネに、少し笑みが零れる。最初に会ったときは典型的な跳ねっ返りの不良中学生で、夜な夜な俺の路上ライブに現れては丹念に作った曲を入念に口汚くこき下ろしてくれた。曰く「暗い」だの「地味」だの「声が低すぎる」だの「顔が良くない」―――最後のはどう考えても言い掛かりだ。

 それでもまだ路上ライブ及び音楽活動を始めて日の浅い時期に毎日、深夜徘徊のついでとはいえ聴きに来てくれるというのは嬉しかったし、なんとなく、この少女のことを構ってやらなければいけないような気がしたので、アカネをファンの一号として認定してやった。「うぜぇ」という承諾と共に。

「それで、その子を預かればいいの?」

 アカネが、俺の後ろに隠れるように立っているシーナを見ながら言った。

「そうだ。一人と一匹。すまないな。シーナ、このお姉さんのところに暫くいてくれ」

 軽い人見知りも、一日で打ち解けたのだから大丈夫だろう。ペット用の籠を手に持ったシーナが、おずおずとアカネの前に出て、無言で会釈をする。

「へぇ、レノンも一緒なんだ。良くおとなしく付いてきたね」

「何故かシーナには懐く。俺のことは全自動餌供給機としか思っていないくせにな」

「そんな態度だから、レノンも心を開かないんだよ。ほらリョウ、お姉ちゃんができたよー」

 生後二か月の息子を、シーナの目の前に持っていく。

「よろしくねシーナちゃん。アカネって言います。この子はリョウタ。リョウって呼んであげてね」

 シーナは困惑していたが、ややあってそっとリョウタの方に手を伸ばした。

「リョ……」

 しかし、その邂逅は狭い場所に一時間ほど詰め込まれたストレスがピークに達したらしいレノンの大暴れによって阻まれた。

「ああ、もうレノンが限界みたいね。シーナちゃんは預かっておくから、お二人は婚姻届けだしに行ってらっしゃい」

「こ、こんい――――」

 しどろもどろになるイブを宥める。

「役所に行くだけだと言っただろう」

「え?お互いの戸籍謄本を取りに行くんじゃないの?」

 流石に17で結婚しただけあって、手続きのことはよく分かっている。

「違う。いいから黙ってシーナとレノンを見張っていてくれ。外に出さないように」

「うん、分かった。じゃあ、イブさん、サブちゃんのこと、よろしくね」

「いや、そんな―――」

 また顔を真っ赤にして言葉になっていない声を上げるイブを先に行かせる。

「賑やかな子だね。可愛い」

 イブがいなくなり、アカネが改めて言う。

「朝の起き抜けにマウントパンチを食らわせて来なければな」

「ああ、その顔の包帯はそれなんだ。なに?痴話げんか?」

「そんな関係じゃない」

「でも、割と受け入れてるじゃない。その可愛い前髪も、イブさんにやってもらったんでしょ」

 アカネに、ゴムでまとめられた前髪を指摘される。俺は何も言えず、不恰好に天を向いた前髪に触る。

「結構似合ってるじゃない。ほら、リョウタも気になってるみたい」

 未だ動物と人間の中間地点にいるような乳児が俺の“ちょんまげ”をもの珍しそうに見ている。妙に気恥ずかしくなり、早く会話を切り上げるため、アカネに注意事項を言っておく。

「シーナのことだが、もし、シーナを訪ねてくる人がいたら、抵抗はするな。言うとおりにしてくれ」

 突然の真剣な口調に、アカネの表情が若干曇る。

「お前にはできる限り迷惑はかけないつもりだ。もし何かあったら、自分とリョウタの身を守ることを最優先しろ」

 そう伝える俺に、アカネは再び柔らかな表情を取り戻しながら言った。

「あの子たちのこと、大事なんだね」

 その口調に、妙な含蓄がある気がして俺は首を振る。

「ただの成り行きだ。早いところ保護者に返すために頑張ってる」

「そうかな?だってサブちゃん、厄介なことには首ツッコまない主義じゃない?あたしの時みたいにさ」

 やはり、二年ほど前の話を蒸し返される。俺は苦笑するしかない。

「お前のことは、別に厄介だったわけじゃない。俺に誰かの人生を引き受ける力が無かった。それだけだ」

「でも、イブさんのことは受け入れてるじゃない。その前髪も」

「もうそれは言うな」

 こんなことなら付けてくるんじゃなかった。「ちゃんと付けて!」と迫ってきたイブに逆らえるかどうかは別として。

 俺の困惑した雰囲気を察してくれたのか、アカネが不毛な昔話を追える声を出してくれた。

「分かった分かった。あたしには魅力が無かったのね。サブちゃんはもうちょっとロリっぽい子が好きだったんだ」

「―――ああ、実は俺はロリコンなんだ。頼むから、通報はしないでくれよ」

「どうしよっかな?リョウ君、この人変態さんだよ?」

 呆けた顔で俺を見つめている赤ん坊を一瞥した後、「遅くても夕方には帰ってくる」と言って別れを告げる。

「パパもそれくらいには帰ってくるから、今日は一緒にご飯食べようね」

 その声を背に受けて、俺はイブの待つマンションのエントランスへと降りて行った。

「遅くなったな」

 俺はエレベーターから降りるとそう言った。しかし、イブの反応は無い。何かむくれているようにも見える。

「どうした?」

 昨日と同じく制服姿のイブが、俯き加減でこちらに近づいてくる。俺の目前に来ると顔を上げ、包帯が巻かれた頭の辺りに手を置く。

「痛い?」

「今は痛くない」

 デカい瘤ができたのと、少し切っただけだ。本来は絆創膏でなんとなるような怪我だが、昨日の今日で怪我人に包帯を巻く楽しさを知ってしまったらしいシーナが張りきったので巻いている。

「あの、私、結構頭に血が昇りやすいところがあって。考えなしに色々やっちゃうの。事務所のこともそうだったし、今日も―――ごめんなさい。本当に。それと、ありがとう、シーナのことも」

 最初は拗ねたように、段々としおらしくなり、後半は涙を浮かべながら謝った。こうしてなんだかんだ素直に謝罪する姿も、表情がくるくると変わるところも子供っぽい。

「俺も、ポンコツだの年増だのは言い過ぎた。30歳なんて、十個しか離れていないからな」

 沈黙。どうしたのだろう。イブが世界の終わりが訪れたような表情をしている。

「サブ、まだ二十歳だったの!?全然見えない!喋り方とか態度とかがオッサン臭いから、もっと歳行ってるかと思ってた!」

「―――そうか」

 全面的に前言撤回したくなる衝動を抑え、俺は黙ってマンションの外に出た。

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