5.食卓

 PM18:30。霧島家のキッチンに俺は立っていた。

 狭く“なった”視界の先で、水を引いたフライパンの上で、ひき肉とキャベツ、ニラとニンニクが包まれた小麦粉製の皮が小気味良い音を立てて焼けているのが見える。

 ―――数分前。

「料理はできるか?」

 炊事をやらせようというつもりはないが、とりあえず訊いておく。イブとシーナは顔を見合わせ、ヘラヘラと笑い合った。うん、よく分かった。俺が無い腕を振るえば良いということだ。

 そうして、現在、久しぶりの炊事に勤しんでいるというところだった。

「なにこれぇ」

 キッチンで焼き加減を見る俺に、シーナが寄ってきた。

「餃子だ」

「餃子……?」

 知らないらしい。シーナの人生の一端を垣間見た気がした俺はフランパンから目を離し、傍らに立つ小さな少女の方を向いた。すると、栗色の髪にもう一つの毛玉が見えた。

「レノン、それは一体どういう了見だ?」

 シーナの腕にだらんと抱かれるままになっている猫に、俺は詰問調で話しかける。

「死んだ婆ちゃんにすらついに懐かなかったプライドの塊みたいなお前が、なんで今日会ったばかりの幼女に抱かれていると訊いている」

 レノンは素知らぬ顔で欠伸をしている。俺の被害妄想かもしれない、いやそうなのだろうが、この駄猫は基本的に人を馬鹿にしている。

「いい加減にしないと余ったニラを餌に混ぜるぞ」

「苛めちゃだめだよ。―――あ、イブお姉ちゃんだ」

「え?」

 見ると、今の方からそそくさとイブが現れた。セミロングの黒髪を束ねて、どこから見つけてきたのか祖母が生前着けていたエプロン姿だ。

「あ、あの、何か手伝うことはあります、か?」

 家事のできない若妻のような女性型アンドロイドが、厳しい姑に尋ねるようなたどたどしい丁寧語で申し出る。

「いや、もう上がった。皿に移すから茶の間に持って行ってくれ。飯もそろそろ炊き上がる」

 こくこくと小刻みに頷くイブ。叩き出されることに怯えているのであろう少女に、俺は、小さく息を吐く。

「別に怒ってはいない。俺も悪かった」

「う、うん。ごめんね、いっぱい殴っちゃって」

 イブが俺の顔―――が、“かつてあった”場所を見ながら謝る。

「サブ、顔の包帯、取り替えてあげよっか?」

「ああ。ありがとうシーナ」

 俺はミイラの様に包帯でグルグル巻きになっている顔をこくんと傾けると、心配そうなシーナの頭を軽く撫でてやった。

 レノンは、つまらなさそうに『にゃあ』と鳴いた。いや、やっぱりこいつはどこか俺を軽んじている。


 PM19:00に俺たちは居間の食卓についた。

 午後七時に夕食というのは祖母が生きて飯を作ってくれていた時以来だ。餃子と、インスタントの味噌汁と白飯だけの簡素なメニューだが、シーナはニコニコと笑いながら茶の間に行儀よく正座している。

「あったかいものなんて久しぶりだね、イブお姉ちゃん」

 動力源は燃料電池なので基本的に食べる必要はないらしいが、とりあえず一人分の食事を用意したイブに、シーナが言う。

「“根本”は相変わらず、保存食ばかりか」

 俺が訊くと、イブが少し驚いたように訊き返した。

「行ったことあるの?」

「いや、そこに住んでいる“野良猫”が、何度か路上ライブに遊びに来ていたことがあって、その時に聞いた。コンビニの廃棄弁当を提供してくれていたオーナーがクビにされてからは、乾パンとカロリーメイトの日が増えたとも聞いた」

 訊くところによると、コンビニの食料品というのはそもそも、30%は廃棄になる前提で生産されるらしい。ならば飢えた者に分け与えて何が悪いのかと思うが、フランチャイズ元の本社は許さなかったようだ。

「サブはなんでも知ってるね」

 シーナが無邪気に言うが、俺は苦笑いをする。路上ライブは人種の坩堝るづぼ。だから、知りたくもないことまで知ってしまうのだ。

「さぁ、餃子が冷める前に食べよう」

 手を合わせて、箸で餃子を一つ取る。シーナもイブもそれに倣い、酢と醤油とラー油で作った調味料に浸け、口に運び、咀嚼する。そして飲み込んだ後、二人の第一声は―――

「不味い」

「不味い」

「ああ、不味いな―――今日もダメか」

 不味い、というのは正確ではない。正しくは“クソ不味い”だ。祖母が死んでからというもの、自炊に励み、特に存命の頃は好きだった餃子はかなり丁寧に作っているはずだったが、一向に美味くならなかった。

「サブ、これが餃子なの?あたし、あんまり好きじゃない」

 シーナが短い舌を出しながら沈痛な声をあげたので、俺は同意してやる。

「うん、大丈夫だ。これを好きだって言う奴は味覚がおかしい」

「キャベツがびちゃびちゃで、肉はパサパサで、あちこち皮から中身がはみ出してる。結構手際よく作ってたように見えたけど、なんでこんなのになるんだろ?」

「よせ。泣けてくる」

 イブの歯に衣着せぬ物言いに抗議する。味覚の正確なアンドロイドは慌てて言い繕う。

「あ、いや、作って貰ったのにごめんね」

「いや、いいんだ。本当のことだ」

「あたし、もう食べたくない」

 箸で餃子をボロボロと崩しながら言うシーナの悲しげな声を最後に、重苦しい沈黙が訪れてしまった。飯が不味いというのは大いなる罪だと思った。

「あーもう!暗い!!」

 イブが癇癪を起こしたように叫ぶ。そして俺の方をキッと睨んだ。小さな顔についた、大きくて丸い瞳に射抜かれて少したじろぐ。

「ご飯が不味いってより前に、サブが暗いのがいけないんだよ!」

「それはまたとんでもない角度から言い掛かりをつけてきたな」

 むっと頬を膨らませて俺の方ににじり寄ってくるイブ。

「言い掛かりじゃないもん。こんなに前髪ダランと伸ばしてるから食卓が暗くなっちゃうんだよ。お婆ちゃんにも言われなかったの?」

 言い募りながら、顔面を俺の目前まで近づけてきた。柔らかな鼻先が俺の鼻に当たり、思わず仰け反る。

「……ああ、あったな。ヘアピンを渡されたこともあった」

「それ、今どこにあるの?」

「分からない」

 喋るたびにお互いの息がかかるような距離で詰問するイブは、ため息を吐くと、ようやく顔を離した。俺は緊張から解かれ、新しい酸素と、イブが吐いた二酸化炭素を半分ずつ吸った。

「じゃあ、これあげる。そんな’00年代のロキノン系バンドのボーカルみたいなのやめて、ちゃんと目を出して」

 ‘80年代以来のアイドルオタクにロキノン系バンドをバカにされるのは癪に障るが、俺は黙ってイブが手渡したピンク色の髪留めゴムを貰う。

「ほら、着けてあげるから」

 見た目17歳、実年齢30歳のアンドロイドは、テキパキと俺の伸びすぎた前髪を纏める。俺は、まるで出来の良い妹に良いように扱われる兄の如く、従順になってじっとしていた。

「はい、できた。へぇ、結構くりくりした目なんだね。もっと細いイメージだった」

 視界が開けた俺の前に、微笑むイブと、まじまじと俺を見つめるシーナがいた。俺は目を逸らす。

「素顔は見せない方針だったんだがな」

「え~?そんなに悪くないよ」

 ニヤニヤとした表情を浮かべながら言うイブに口の端を歪めた俺は、再び食卓に向き合う。

「よし、これで良いな。暗い食事風景はこれっきりだ」

 どこかやけっぱちに言うと、イブが頷く。

「うん。大分良くなった。じゃあ―――シーナ、お皿貸して」

「はい」

 そのやり取りの後、シーナの分の餃子と、イブの分の餃子、その全てが俺の目の前にやってきた。

「残すのはダメだよ。じゃあ改めて、いただきまーす!」

「いただきまーす!」

「……いただきます」

 俺の名誉の為に言っておく。俺はクソまずい餃子を全て食べた。いや、すまない嘘だ。少しだけレノンの餌の食べ残しと一緒に捨てた。あと、ちょっとだけ吐いた。

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