5.ヤクザの掟
休憩を抜いてせいぜい八時間足らずの労働によって鉄棒の様に固くなった足で帰宅しようとすると、工場の前に黒光りのドイツ車が停まっていた。
ベンツなどそう珍しくもないはずだが、いわゆる“ヤー車”には独特の雰囲気がある。その窓が開いて、思った通りの人間が口を開いた。
「サブさん、乗ってください」
「嫌だといったら」
安藤は車を降りると、恭しく俺を後部座席へと誘う。
「組のカシラにここまでさせたら、仁義にもとるか」
ほくそ笑む安藤に内心舌打ちしながら、俺は高級ソファの如きシートに乗り込んだ。
土曜の夕方らしく、道は混んでいた。特にヒロコウジ通りに差し掛かる辺りは流れが緩慢で、さらに拡声器付きの大声が響いていた。
『この街は、独裁が敷かれています!市民の皆様、私はこの度ナゴヤ市議を拝命いたしました
「おっと、若い市議様が演説をぶっていらっしゃる」
安藤が面白そうに窓を開け、手を振ってみせた。『国民を愛する会 榊莉乃』と書かれた幟がはためく中、甲高い声を張り上げていた若い女が、ぎょっとした顔でこちらを見た。
「あ、あんた!!」
途端に、キーンという耳障りなハウリングが起き、周囲の支援者と通行人が耳を塞ぐ。
「あ、ごめんなさい!」
その謝罪もマイクを通したせいでさらなるハウリング。もし、これがライブなら、終演後は反省会で夜が明ける。
「さすがはインテリヤクザ様だ。政治家とも顔が利く」
「そんなんじゃあありません。ちょいとした腐れ縁ですよ」
そう言って、通行人たちにぺこぺこと謝っている榊市議に「相変わらず落ち着きのない女だ。あんなんで市長様とやり合えるのかね」と声を漏らす。
ナゴヤ駅の方面へと向かう、ゆったりとした車列は、暮れなずむ街の赤に染まっていく。一日を終える安心感に包まれていくようだ。
「ヒロの件、算段が付きましたので、これから言う場所に、明日、お越しください」
「―――そうか」
随分静かだと思っていたら、運転手は柿崎ではなかった。電話で済むような話一つに、出張ってきたわけだ。
「体の一部を置いていくようなことにはならないだろうな」
「はい。下っ端を叩き出すだけなので、いつかの私よりは幾分優しいでしょう」
「そうか」
返事をして、改めて景色を見る。俺の目は、夕焼けの赤を、すっかり鮮血の色としていた。
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