4.とあるストリートミュージシャンの物語

 6月30日、土曜日。

 アルバイトとはいえ、フルタイムでの労働なので社会保険もあるし、厚生年金も支払われる。そして当然のように残業代はつくし、休日出勤もある。

 俺は電子タイムカードで打刻し、作業着に着替え、長過ぎる前髪を帽子の中に仕舞うと、正社員と自社雇用のアルバイトと契約社員と派遣社員が渾然一体となった休憩室に向かった。

「おはようサブくん」

 すれ違った正社員の男が挨拶をしてくる。

「……うっす」

 俺は朝が弱い。それ故、午前中は死んだような顔をしている上に人見知りも相まって、挨拶の声も小さく、非常に人当たりが悪くなる。自覚してはいるが、だからといって治せないのが辛いところだ。

「よう!サブ!今日もテンション低いな!!」

 無糖コーヒーの紙コップを手に空いていた席に座ると、思い切り肩を叩かれた。賃金労働には不必要なレベルで化粧を施したマナミが立っている。

「今の一撃で労働意欲が飛んで行った。今日は一日座り仕事しかしないから螺子打ちはよろしく」

 そう言って机に突っ伏してみせると、その上から圧し掛かってきた。工場の作業着からではなかなか窺い知れない豊満な胸の感触を後頭部に感じ、セクハラと言われないうちに急いで顔を上げる。

「そんなの、班長が許すわけないでしょ。ただでさえ人手不足で社員の人たちもイライラしてるのに。あとサブちゃんリアクションうっす。童貞の癖に」

 ケバい化粧で出社する割に、仕事に関しては俺の万倍も真面目だ。人は見た目じゃないと再確認する。しかし、童貞は余計だ。

「マナミ、一ついいか?」

「お、どうした?プロポーズ?」

 面倒くさい絡み方をする女は嫌いだ。

「ああそうだよ。来週か再来週あたりから、厄介なバイト仲間が増えることになってる」

 柿崎のことだ。猫の手も借りたい職場は、元ヤクザも受け入れるはずだという確信があった。マナミは少しだけ真剣な面持ちで聞いている。

「できれば、面倒を見てやってほしい。はい、一世一代のプロポーズ終わり」

「あたしに押し付けるの?ヤバい奴だったらどうすんのさ」

「少々背中にお絵かきしてあるだけだ。大丈夫、精神的にはほとんど童貞で、女が相手だと下手に出るタイプだ」

「へー、可愛いじゃない。いじめてもいいの?」

 元キャバ嬢らしい顔を見せながらマナミが目を輝かせたので「ほどほどにな」とだけ釘をさしておく。

「じゃあサブちゃんの次のライブのチケット無料にしてくれたらいいよ」

「いつでも無料だよ」

「―――本当に辞めちゃうの?」

 口調が暗転した。

「四月のライブにお前も来ただろう」

 ライブハウスでの演奏や、音源の販売などといった、プロを目指すための音楽活動を引退すると宣言して行ったラストライブのことを思い出させる。

「俺の歌が聴きたかったら毎週金曜日にナゴヤ駅ノノちゃん人形前だ。雨が降ったらオオゾネ駅だからな。三時間でも四時間でも聴かせてやるよ」

 喋っていると、少し調子が上がってきた。俺は立ち上がり、作業場に向かう。マナミが困惑したような表情でついてきた。


 AM8:30。冷暖房完備の工場で、パチンコの基盤を作る作業が始まった。今日は三千個作るだけなので、定時には帰れるだろう。

 俺は電動ドライバーで基盤とケースを繋げるべく四か所に螺子を打ち始めた。一日中、やることはほとんどこれだけだ。流れてくるラインから製品を取り、螺子を打ち、ラインに戻す。一つの作業を終えるのは八秒前後。もう三年以上やっている作業は、手が覚えてしまっている。自然、こういう単純作業中は意識が別の方を向くようになる。

 ―――俺が中学生の頃、『スクリームキャッツ』というバンドがデビューした。今や絶滅危惧種のグランジロックバンド。今時ニルヴァーナのカート・コバーンにかぶれた音楽好きの高校生がそのまま大人になったようなギターボーカルが作る、退廃的で厭世的な楽曲に惹かれ、俺もギターを買い、曲を作り始めた。

 そして、その憧れのミュージシャンだった佐倉恭介さんは、コバーンや、その他のロックスターと同じく二十七歳でこの世を去った。ただしクスリのオーバードーズや精神を病んでの自殺ではない。クスリをキメたドライバーの2tトラックが、彼のいた深夜のコンビニに突っ込んできたのだ。

 そうして、彼はクスリにも女遊びにも手を付けない清廉で誠実なロッカーとして、愛する妻と子供を遺して早逝した。俺が十六歳の時だった。その直後、俺は何となく合格し、惰性で通っていた高校を中退した。

 ―――この辺りの気持ちを言語化するのはとても難しい。とりあえず、何かに背中を蹴飛ばされるように学校を辞め、誰かに命じられるかのように今のアルバイトと音楽活動を始めた。高校に通うために住んでいた祖母の家から路上とライブハウスに通い続け、残りの時間は曲を作る生活が始まった。

 佐倉さんは、たびたび「メンヘラ気味な俺を救ってくれたのが音楽でした」と音楽雑誌で語っていたが、付き合い下手で口下手な俺もまた、音楽によって救われたと思う。

 安藤のような人種とも繋がりを持ってしまったが、仲間や、友と言える人にも多く出会えたし、自分の曲を聴きに、わざわざライブハウスに来てくれる人もできた。

 だが、如何せん、才能が無かった。音楽は俺の人生を救ったが、音楽で生活をさせてはくれなかった。

 2012年の丁度この時期くらいから、三年間全力でやって、0人だったお客さんは五人になった。そのあたりが自分の限界だとも思った。石の上にも三年。三年経ったら、降りなければならない。

 「見切りが早すぎる」と楽器屋のオヤジにも言われたが、プロに足る実力が無いのは、生まれて初めてライブハウスのステージに立った時に気付いていた。その確信が何かの間違いだったと言えるようになるための三年だったが、結局、自分の音楽の才能の無さを確認し、納得するための三年間だった。

「サブくん、どうした?」

 俺と同じく高校中退でこの工場に入り、今ではバイトリーダーとして社員並みの手腕を振るう同い年の同僚が俺に話しかけてきた。見ると、同じ場所に何度も螺子を打ち込もうとしていた。

「いや、念には念を入れようと思ってな」

 誤魔化す様に、リーダー・小野田(おのだ)に言う。

「ははは!土曜日まで仕事すると眠いよねぇ」

 快活に笑う小野田が去ると、俺は念には念を入れた製品をラインに流す。

 ―――自分で選んだ道に、納得はしているが、後悔が無いわけではない。塊のような悔しさと戦う日々から、逃げ回る日々に変わっただけの様にも感じる。この絶対的な敗北感からは、一生逃れられないように思う。

 音楽は好きだから、今も路上で自作の曲を歌い続けているし、一生の趣味といえるものになっている。だが、世界は俺の歌を望んでいないし、俺が歌うことを望んでいない。

 考えながら作業をしていると、定時が来た。螺子を打ち続ける一日がまた終わった。上の空だったときに何個か打ち漏らしているかも知れないが、大した問題ではない。俺は手袋と制服を投げ捨てるようにロッカーに突っ込むと、会社の事務室に向かった。柿崎のことを話さなければならない。

「栗原部長、少しお時間よろしいでしょうか?」

「ん?どうした?」

 適当にやっていても勤まる作業だ。きっと柿崎も三日で慣れる。そう思いながら、新しく入ってくる人材について、人事の部長に話し始めた。

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