3.とあるヤクザの物語

 伊野波さんを待たせていた場所に戻ると何人かの音楽仲間たちもいた。

「サブくん、大丈夫だった?」

 四人組アコースティックバンド“Sing 4 you”(シングフォーユー)のメンバーの一人で女性ボーカルのコマさんが俺の身を案じてくれる。どうやら路上ライブを切り上げ、俺が戻ってくるのを待っていてくれたらしい。

「前から思ってたけど、何者なんだよ君は」

 ギターのヒラタさんが驚きと呆れの入り混じった声で言う。俺は「スティーブン・セガールですよ」と返しておく。

「じゃあ、今度ヤー公とトラブったら、サブ君に頼るね」

 安藤の名は、そこまで万能ではないと言いたかったが、そもそも関係したくもないので黙っておく。

「伊野波さん、荷物、見ていてくれてありがとうございました」

「ああ。本当に無事で良かったよ」

 俺は憔悴しきったような顔の伊野波さんに礼を言うと、ギターケースを背負い、貴重品を詰め込んでいたショルダーバッグを持ち上げる。

「話は付いたので、もうあの連中が来ることは無いです。お疲れ様です」

 そう言い終えると、俺は再びヤクザのいる方へ戻っていった。関係したくはないが、関係せねばならない時もあるのだ。


 明かりの消えたショーウィンドーの前に戻ってくると、安藤が二本目のマルボロを咥えていた。

「良いお仲間をお持ちだ。俺も、サブさんの路上ライブを聴きたくなりましたよ」

 紫煙を吐き出しながら言うヤクザに俺はこう返してやる。

「足を洗ったら好きなだけ聴かせてやるよ」

 吸殻は落ちていない。ごみのポイ捨て程度でパクられるヘマを犯さないために、携帯灰皿を持ち歩いている。路上喫煙は、諸事情によりこの街では認められていた。

「そりゃマズい。俺が足を洗うなんて言ったら指一本じゃすみません」

 前髪で完全に隠れている眉間に皺が寄る。俺はその手の“痛い”話題が嫌いだ。辞める代わりに指を一本おいていけ、に代表されるヤクザの文化は相当に下品で、端的にいってアホだとすら思う。

「指を詰めなきゃ堅気になれないか」

 暗澹あんたんたる気持ちで俺が言うと、安藤が不思議そうな顔をした。

「そう全部が全部じゃありませんが、どうしてです?」

「組を抜けさせたい奴がいる」

 一瞬、会話に小さな隙間ができた。ただの世間話をしているわけではないと知り、安藤の声のトーンがわずかに低くなる。

「誰ですか?」

「分かるだろう。アンタが雇っている出来損ないの運転手兼ボディガードだよ」

「ああ……」

 安藤が珍しく少し俯き加減になった。煙草のカスがひと塊、地面に落ちる。

 柿崎に入れ込む安藤の事情も分かっている。俺が安藤の恩人なら、柿崎もそうだからだ。

 話は二年前に遡る。

 安藤に女ができた。しかし、その女は安藤の“親”、つまり、成宮組の現組長である向山重治むこうやましげはるの隠し子だった。組織のナンバーツーであり腹心でもある安藤すら知らなかった二十歳そこそこの娘との交際を認めない向山は、二人を別れさせようとした。手切れ金を積み、新たな女を紹介した。

 しかし、それは叶わなかった。安藤と向山の娘は、互いの体と金を交換し合うだけのドライな関係では無かったのだ。

 安藤は、親分の指図を跳ね除けることと、女との純愛の板挟みに葛藤し、向山は信頼できる部下の思わぬ造反と娘の気持ちの板挟みで葛藤した。そして、いかにも任侠の世界らしい幕引きが謀られた。

 組長に逆らった安藤は、“落とし前”として、他の組員から半殺しの目に遭い、向山は娘をヤクザの女にしたくないがためだけに、ヤクザが手を出せない国外に留学させ、二人の仲を引き裂いた。

 こうなった原因はたった一つ。安藤と向山がヤクザだったからだ。それだけのチンケな理由で、誰一人として得をしない、最悪の結末になってしまった。

 さて、そんな、まるで世が世なら美しい戯曲にでもなっていそうな悲劇の幕が下りた後に、当時18歳の俺が、間抜け面でひょっこり現れた。

 ライブハウスの人と未明までミーティングをしていた俺が、死ぬ一歩手前まで“焼き”を入れられ、ボロ雑巾のように路上に横たわる安藤を見つけてしまったのだ。

「眠気が吹っ飛んだ。死体を見つけたと思ったぞ」

「申し訳ない。その節はお世話になりました」

 あの時のことを回想して、安藤に文句を言ってやると、組員から受けた暴行の後遺症で少し曲がってしまった人差し指で頬を掻きながら、謝罪が返ってくる。

 「オヤジとあの女に迷惑がかかる」と言って救急車を拒む安藤の携帯に『柿崎博康』という懐かしい名を見つけ、連絡し、車を出させた。そして、俺と祖母が暮らす家に送ると、元看護師の祖母の指示の下、俺と柿崎が交代で安藤を看た。

 野戦病院さながらの簡単過ぎる治療と、動物の如き生命力だけで峠を越えた安藤は、もう一生会えなくなった女を諦め、何も言わず組に戻った。自分の右腕として安藤を重用してきた組長は、同じように何も言わず、不器用に娘を愛した男を再度受け入れた。めでたしめでたし。そうなって暫くして、俺の家に一人でやって来た安藤が、多額の現金を手土産にこう言ったのだ。

「あなたと祖母君様から貰った恩は、一生忘れません」

 それ以来、俺と柿崎、それに昨年亡くなった俺の祖母は安藤にとって命の恩人となった。めでたしめでたし。因みに金は受け取らなかった。

 正直、礼を言われてもあまりうれしくはなかった。結局、俺がしたことは、反社会勢力の構成員を生かし、元の鞘に戻したことにほかならない。

 だが、自分の行動を間違っていたとも思わない。たとえヤクザと分かっていても、路傍で死にかけている人間を放っておくことはできないからだ。もし『社会のため云々』という理屈で、ヤクザなら放っておくという人間がいたら、それは生きていく上で自分の人間的な感情を殺すというルールに縛られているという部分で、ヤクザと同じ穴のむじなだと思う。

「アンタは何故辞めなかったんだ?」

 俺はあの時からずっと訊きたかったことを口にした。安藤はしばし思案したように沈黙した後、こう言った。

「サブさん、ヤクザってのはね、なりたくてなるモンじゃないんですよ。どう歩いてもそうなっちまう、そんな奴がなるんです」

「なるほどな」

 困ったように眉をひそめ、安藤が捻り出した言葉を、俺は素直に受け取れた。

 誰しも、自分の生き方を選べるようで、実は選べないことの方が多い。柿崎にしても、小学校低学年のうちに両親が離婚したり、母親が再婚相手と共に蒸発したりすることは、本人の力ではどうすることもできなかったことだ。

 そこから孤独を埋めるために仲間を作ることや、その仲間たちのコミュニティに所属することはある意味で当然のことだ。そうして見つけた仲間たちが将来ヤクザもどきのチンピラになる連中ばかりだったとして、それを、ほかに寄る辺の無い人間が捨てられるのか、曲がりなりにも自分を受け入れてくれる環境を捨てる“選択”ができるのかは、大いに疑問、というか不可能だと思う。

 ―――だが、それでもヤクザか堅気かくらいのことはどんな環境でも選べるはずだと思いたいし、所構わず人に噛みつくしか脳の無い野犬のような柿崎に、鉄砲玉以上の才覚があるとは思えない。

 つまり、いざとなったら「敵と刺し違えて死んでこい」と言われる捨て駒になることが分かっている人間に対して何もしないというのは、幼馴染であることを差し引いても非常に寝覚めが悪い事態だ。

「俺のバイト先が、そろそろ最盛期に入る」

 夜を深めた虚空に向けた独り言のように、職場の生産状況を口にした。今のバイトを始める前は、パチンコ基盤の組み立て会社に最盛期があるとは思わなかったが、時期によっては甚大な人手不足に陥るのだ。

「景気の良いことですね」

「日がな一日電動ドライバーで螺子を打ち続けるだけの仕事だがな」

 高校中退の俺が用意できる職場など、そこと、知り合いのライブハウスの受付くらいだ。そして、柿崎に接客業は絶対に無理だという確信があった。横柄な客と殴り合いをして一日でクビになる未来しか見えない。

「あいつの意思は、無視ですか?」

「妙な質問をするな、安藤さん。あんたの言う通りなら、俺が何をしたってあいつはヤクザの道に呼び戻される。それだけの話だろう」

 俺は正論に屁理屈を返した。根元まで吸い切った二本目のマルボロを携帯灰皿に押し込んだ安藤は、自分に言い聞かせるように何度も小さく頷いた。

「それもそうですね。しかし、その強引さといい、俺を助けてくれた時といい、今日の立ち回りといい、サブさん、あなたはご自分が思っているよりずっとヤクザに向いていますよ」

「悪いが、アンタらの事務所に俺がエントリーシートを送ることは一生ない」

「一か八かでハローワークに求人を出しておきますよ」

 薄い笑いが起こり、そこでまた会話が途切れた。やや熱気のこもった風が吹き、どこかから虫の鳴き声が聞こえる。もうすぐ夏だ。

「さぁ、俺はもう行きます。明日警察に提供する人身御供ひとみごくうを決めなきゃいけない」

「もみ消し一つに、難儀なことだな」

 俺の皮肉に苦笑する安藤。

 逮捕された暴力団構成員が起訴まで持っていかれないのは理由がある。

 経済政策と少子化対策でかなりの成功を収めた前市長の流れを受け継いだ現ナゴヤ市長は、成宮組の潤沢な資金提供を受けて当選した政治家である。さらに市長と向山はお互いの娘と息子が結婚した親戚という関係で―――政略かと思われたが、安藤の話によると、本当に偶然らしい―――市の警察本部長は、市長と同じ新興宗教に入信している信者仲間ときている。

 そうして、市長と向山は互いに互いの立場を守り合う蜜月の関係。向山にとって厄介な警察のトップたる本部長は、同じ“教え”を共有する市長を守るため、間接的に組をある程度放っておく指示を部下に出す、という構図が出来上がる。

 金と権力で持ちつ持たれつ、ならばまだ良かった。血縁と宗教という、ややこしい関係で繋がった街のトップ三者が直接/間接的に手を結んでいる状況では、断ち切る方法が分からない。

「分かってはいても八百長プロレスは嫌いですね。どんな塩試合でもガチンコが一番です」

 安藤の言う通り、今のナゴヤはヤクザと警察&政治家の二者が、表面上はお互いを反目し合うアングルを持ち寄って、その実本気で潰そうという気はないという、欠伸が出そうな三文プロレスごっこを行う事態に至っている。

「まぁ、二日も取調室でいたぶられれば出てこられるでしょう」

「―――俺に同意を求めるな」

「独り言です」

 年々厳しくなる暴対法に則って、表向きは暴力団根絶を叫びつつ、裏では生かさず殺さずを周知徹底する二枚舌本部長の下で、下っ端警官たちは、いずれリリースすることになるだけの魚を、まな板の上で死なない程度に小突きまわすくらいしか、溜飲を下げる手段が無いのが現状だ。

 試合中に八百長試合の打ち合わせ脚本をバラす馬鹿はいないが、片手に持った脚本をめくりながら、トップロープからの直撃しないニードロップを食らわせる試合を組むのは、興行主から観客まで一絡げに救いようのない馬鹿揃いだと言える。だが、やる方も見る方も馬鹿試合をバカバカしいと思いながらも、ゴングが鳴るまで見ていなくてはいけないのが民主主義のルールであるらしい。今年から投票権を得てしまった俺もそうだ。

「柿崎のことは、何とかします。サブさんも帰りは気を付けて」

「ああ」

 安藤が去り、時計を見た。そろそろ深夜一時になろうとしている。流石に、ほとんど人は通らない。伊野波さんたちも帰ったようだ。

 俺はおもむろに、車道の向こう側に立つ六十階建ての『ナゴヤビル』の、煌々と光る最上層を見上げた。

 別名スクリュータワーと呼ばれる、捩じり曲がったドリルのように立つ巨大なタワービルの最上階が、VIP専用の遊技場で、そこには先ほど別れた安藤の組が経営する違法カジノや非合法オークション、あと、誰がやっているかは知らないが買春場もあるということは、多少街の裏側を知っている人間にとって公然の秘密だ。

 企業の社長、政治家、芸術家、芸能人、一般に堅気と呼ばれる金持ちが、ヤクザの提供する遊技場で享楽にふける。俺のバイト先の社長も例外ではないだろう。その金の一部は俺たち末端が働いたことで得たものだし、同じように、俺たちの仕事は違法賭博でヤクザを太らせ、性を買い漁る連中から与えられている。

 俺は視線を切ると、深夜になっても頑固に明かりを絶やそうとしない帰り道を黙々と歩き出した。

 もう零時を回った。恐らく、今日もナゴヤはイカレている。

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