織田と明智と兄と妹

はごろも狐

第1話 小さき願いの先にあるもの

僕は小さき頃、願ったことがある。

神を信じていなかった僕でも、その時だけは神に頼んだ。

『妹が欲しい』と——。

寂しさからだった。辛いことから逃げ出すための後述に過ぎなかった。

それでも、あの時の事は覚えてる。

僕の『初恋』だった。


         *


「おにーちゃん!」

 織田美月。(おだみつき)僕の妹の名前だ。

「今日はどこ行くのですか?」

「今川が攻めてくるんだ。砦の建設とか、いろいろやらないとな」

 神様に願ってからもう10年だ。光と共に現れた美月を見て、僕はかぐや姫かと思った。昔話なんてただの空想。そう思っていたのに。

「お兄ちゃん、私も連れてって・・・・・・」

「だーめ。美月はここで良い子にしてなさい。これ以上は遊びじゃないんだ」

 機嫌を悪くする美月だが、僕の妹には神の力が備わっている。その力には、僕自身も頼りたい時があるが、危険と隣り合わせの戦には連れて行くことも出来なかった。

「なら、お兄ちゃん! 頑張ってね」

 笑顔で見送ってくれる妹を見れる僕は幸せ者だ。


         *


「さて、対今川との軍略会議を始める」

 家臣はあぐらをかき、声をあげては頭を捻らせていた。

「信長様、今川の兵力は強大すぎます。このままでは、尾張はいずれ『終わり』ますぞ・・・・・・」

 冷たい空気がこの場を襲う。

「っごほん・・・・・・いいか。この場にふざけはいらぬ。お主、まじめにやらぬか」

 柴田勝家が、おかしな事を言った家臣を見ながら、怒りの眼差しを向ける。

 勝家は、昔から僕を支えてきてくれた重鎮だ。大男ながら、人には優しく、心の良い奴だ。

「すまぬ、勝家殿」

「・・・・・・それにしても殿。戦力から見ても勝てるとは思えませぬ。美月姫のこともありますので・・・・・・」

「分かってる。美月のことは心配せんでも良い。だからといって悲観していては何も始まらないぞ。まずはなんとしても情報を集めるんだ」

「御意!」

 美月姫とは美月のこと。勝家ら家臣は、美月の特殊な力をよく知っている。あの力はきっと今川に勝てる最後の希望だ。中にはその力に期待している家臣もいるけど、そう簡単に使える能力でもない。

「まずは砦建設を最重要とする。負けるなんて事は考えないで欲しい」

「はっ!」


         *


 楽市楽座。僕が取り組んできた政策だ。

 商人が行き交う場所。言い直せば、お金が流れる場所は必ず豊かになる。そんな僕の考えは見事に成功した。

「美月、食べたいもの、いっぱい頼んで良いぞ!」

 重苦しい着物を何重にも着ている美月の姿とは思えないほど、軽々しく動き回っている。町娘の美月も悪くない。

「おにーちゃん! これ食べたい!」

 指さしたのは大判焼き。

 フワッとした生地の中には、甘々しい黒紫色の粒がたくさん入っている。

「どうだい、美月、おいしい?」

 頬を膨らませながら思いっきり食べる美月の姿は、まるで食いしん坊のお姫様。餡子がほっぺに付けて、美味しと笑顔で伝えてくる。

「ほら美月、餡子、付いてるよ!」

 僕が取り除くと、指先に付いている餡子を見つめては、美月は指ごと口の中に入れ始めた。

「・・・・・・ぉおいしいーよ」

 指先が、美月の舌に当たる。

 それに、餡子のべとべとも合わさって、とても変な感触・・・・・・。

「って、美月、下品な事は止めなさい!」

「っご、ごめんなさい。けどおにーちゃん、美味しかった!」

「・・・・・・それは良かった。今度は何食べる?」

「じゃあ、あれ! あれ食べたい!」

 指の先には、飴屋。それもよく見ると、金魚だったり、鳥だったり、たくさんの動物の形をした飴が並べられていた。

「すごいね。こんなにあるんだ」

 目を輝かせながら、飴をジロジロ見つめる美月。そして、一つの飴を手に取る。

「これ下さい!」

 良く見ると人の形、それも・・・・・・。

「これって・・・・・・」

「はい。尾張の当主である信長様を象った飴でございます。商人にとっては神様でございますよ」

 飴屋が呟いた。

 ただ、僕が尾張の当主であることは理解していなさそうだ。

「っこれ、おいしいー!」

 美月の赤い舌が飴を包み込む。ちょうど良い温度なのか、飴もゆっくりと溶け始め、白い唾液と共に甘い液が絡みつく。

「おにーちゃんは食べないの?」

「あ・・・・・・ じゃあ、いただこうかなぁ」

 美月の誘いで僕も飴を取る。形は金魚かな・・・・・・。

「はい。おにーちゃん! あーんして?」

 始まった。

「いいよ、自分で食べられるから」

「だーめ。美月が食べさせるんだもん。早くあーんして?」

「うん・・・・・・あーん」

 何が恥ずかしいって、飴屋に見られながら、この一時を過ごしていることだ。

「おにーちゃん・・・・・・ わたしのも食べる?」

「っえ?」

 美月、それってどういう意味・・・・・・かな・・・・・・。

「私の飴、食べたいでしょ? いいよぉ?」

「ゴクン・・・・・・ いいの?」

 はぁ、はぁ。待って。こういうことは、お城でやるべきだ。誰もいないところでさ。それにあの飴、なんかいやらしいし・・・・・・。美月もそんな恥ずかしそうな顔をして・・・・・・。

「あーんして? ねぇ? あーんだよ?」

 美月の命令に逆らえず、なめかけの飴が僕の口の中に入っていった。

「おいしいぃ?」

 美月の笑顔を見ながら食べた飴は、とても、甘かった・・・・・・。


         *


この日は分厚い雲に覆われ、明日には嵐が来るのではないかと、家臣達も心配した中での軍略会議が開かれた。

「信長様、砦の増強、警備の強化、共に終わっております」

「ありがとう。勝家、今川の動きはどうだ?」

「はっ。本体の動きはありません。しかし、大量の食料が大高城に集まっております」

 その報告は、場にいた家臣全員に声を上げさせた。

「良くやった勝家。であれば、今川軍は大高城に入ることは明白。予想経路が分かっただけでも大きな収穫だよ」

「有り難き幸せ」

「なら、早速、兵を集めよう」

「「「御意!」」」

 その場にいた家臣達は一斉に立ち上がり、各自自分の仕事に取りかかる。静かになった軍略会議の会場に、僕と勝家だけが残った。それは僕の決意を伝える絶好の場でもあった。

「勝家、まずは感謝するよ。ありがとう」

「・・・・・・いえ、殿、どうなさいました?」

 大きな決断。勝家だけは理解してくれる。

「正直、今川を倒す能力は、この織田家にはないんだ。兵力も十分じゃない。家臣の前で見せる僕は、常に強くないと行けないだろ? けど不安でいっぱいなんだよ」

「・・・・・・そうでありましたか。私は別にどっちでも良いのです。子供の時から殿と美月姫を見てきた一人として、戦より、争わない方を選ぶ方が良いに決まってます。降伏も別に止めません」

 戦好きの勝家は、きっと僕を慰めようとしているに違いない。

「ありがとう。今川に負ければ、この家は潰され、僕は敵地に骨を埋めることになる。けど、それよりも、美月が心配なんだ」

「姫・・・・・・でありますか」

「そう。勝家は分かると思うけど、美月は神の子。神は僕にこう言ったのさ。いずれ向かいに行きますと。その意味が何を指すのか未だ僕にも分からない。けどね。生き延びさせろって事には違いないと思うんだ。たった一人の妹である美月を守る使命が僕にはある」

「さすがは殿。ご立派ですぞ。ただし、私はそこまで馬鹿ではござらん。私も最後までお供します」

 勝家は両手を広げては、手を重ね、大きな音を出す。

「ありがとう勝家。けどこれが最善な策なんだ」

 僕が勝家と出会ってからもう長い付き合いだ。だけど、今は勝家にも認められる存在でなきゃいけない。だから……。

「・・・・・・ええ。そうですか・・・・・・。なら仕方ありませぬな。信ちゃんのやりたいようにやればいい。私は止めませぬ」

 『信ちゃん』か。子供のころは良くそういわれたな。勝家の瞳も、珍しく潤っている。きっと気づいたんだろう。僕が考えている奇襲という策のことを。

「……さて、お話は終わりさ。・・・・・・そうだ勝家。僕に残りの兵力三千を託してくれないか? それでさ。もし、もしだよ? 僕が消えて、それでも今川の進軍が止まらなかったときは・・・・・・」

「・・・・・・ええ・・・・・・分かってます。美月姫のことだけは、私が命を変えても守って見せますので」

ありがとう。勝家……。

「じゃあ、頼むよ。このことは、美月には内緒な」

「御意!」


         *


「おにーちゃん・・・・・・ねぇ、おにーちゃんってば!」

 重い。重い何かが乗っている。

「おにーちゃんってば!」

 っは。

「やっと起きたんだね。ほーら、早く着替えて、町に遊びに行こうよ」

「・・・・・・うん。って美月、寝ているところを邪魔するなって・・・・・・」

 僕をトントンと叩いては、言うことを聞かない。

「はぁ・・・・・・わかった、わかったから、まずは降りようよ。ね?」

「はーい」と、美月はやっと言うことを聞いた。

「それで? 今日はどこいこうか?」

「それじゃーねー。お魚釣り!」

 魚釣り?

「それは町じゃなくて、海じゃない?」

「そうなんだ! じゃあ、じゃあ、海で!」

 この感じだと、何を言っても無駄だな。

「承知しました、お姫様!」

 美月はニシニシと笑みを浮かべた。


 地平線まで一面が青の世界。

 潮風に当たる美月の長い髪は、さらさらとなびいていた。

「釣りってどうやるの?」

 ってそこからか。

「釣りって言うのはね。こうやって、こうだよ!」

「ほぉー、おにーちゃんすごい!」

「でしょ? 美月もやってみたら?」

 美月は僕のまねをしながら、竹竿を投げ飛ばす。

「あ・・・・・・美月、竿は投げないぞ?」

「むううううう」と不機嫌になる美月。

「いいか? 竿をこうやって持って。そして、ゆっくりと糸を海に投げるんだ」

 竿を握り締める美月の小さな手を覆うように、僕は上から手を被せた。

「大きいね。おにーちゃんの手って」

「なんだよ、いきなり。美月の手が小さすぎなんだよ」

 クスクスと笑いながら、握る竿の力も強くなる美月。

「そうかもね・・・・・・。うーんとね。美月ね。おにーちゃんに伝えないといけないことがあるの」

「なに? おにーちゃんに言ってみてよ!」

「うん・・・・・・。夢に出てきたの。今川って人から、おにーちゃんが殺される夢」

「え・・・・・・」

 美月は神の子だ。もしかしたら未来の事を予想することが出来るのかもしれない。けどあまりに現実的で起こりうることだったから、僕の考えが美月にバレてしまったのではと心配になった。

「ああ、おにーちゃんが死んじゃう夢か。ぶ、物騒だな・・・・・・」

「や、いや」と僕の胸に顔を埋める美月。

「おにーちゃんは死なせない。私が守るもん」

 美月から守るって言われた。その役目は僕なのに。

「ああ、うん。けどね。僕が殺されるわけないじゃないか。大丈夫。何も心配いらないよ。美月は普通に過ごしていればいいんだよ」

「・・・・・・」

「ほら釣れたよ。美月、引き上げないと・・・・・・」

 海に垂らした糸が張るけど、美月はずっと下を向いたまま。

「帰るか?」

 無言のまま頷く美月。

 遠く地平線から、黒く不気味な雲が見えた。


         *


「殿!、殿ぉお!」

 叫び声は雨が滴る音と共に響き渡った。

「殿、今川が動き出しました。その数、ざっと2万」

 とうとう動き出した今川勢。ただし、僕ものんびり遊んでいたわけじゃない。

「農民達への伝達はどうなってる?」

「はっ! うまくいっております。今川相手に食料を提供し、足止め中です」

「よし。今こそ、出陣の時だ。勝家!」

「はっ」

 甲冑が揺れる音と共に、僕に駆け寄る勝家。

「わかってるな。もしもの事があったら・・・・・・頼んだ」

「……御意」

 僕のやるべき事。それは美月と尾張を守ることだ。けど、美月は守れても、尾張は分からない。だからといって、当主が逃げて言い訳じゃない。ここは全力で相手を向かい打つ。正面突破はもちろん皆無だ。

「馬に乗れ。そして駆け巡るのだ!」

 今川本体は狭間にて休憩を取っている。そして鳴り響く雷と大粒の雨は、馬の足音をも消してくれる。完全に天が味方している。

「いいか、これは最初で最後の戦いになるかもしれない。しかし、勝てば君たちは英雄だ。ここで家族を守れ!」

 士気は十分だ。あとは・・・・・・。

「信長様、見つけました。今川の本体です」

 崖の下には、確かに今川の旗印。そして本陣がある。

「いいか。これから僕たちは奇襲を掛ける。失敗は恐れず、ただひたすら駆け巡れ。うまくいっても、いかなくても、いずれ一緒に会えるだろう」

「・・・・・・はっ」

静かに好機を見張る中、僕は美月の言葉を思い出していた。もしかしたら、美月の夢は本当になるかもしれない。正直自信はなかった。ただこれでいい。弱国の当主の定めなんてこんなもの。ただ怯えて死ぬより、誰かを守って死んだ方がきっと後悔はしないだろう。

「殿・・・・・・。今川義元です」

足軽の一人が僕に問いかける。しかし、遠すぎてよく見えない。

「殿、狙うなら、今のうちです」

好機は訪れた。

「いいか。敵は今川義元。皆かかれぇぇぇ!」

 坂を下る馬の足音。きっと土砂崩れかと思われたに違いない。逃げ惑う今川の兵士には、すでに闘士などなかった。そして、本陣の幕を破く。

「ほぉーわらわを襲うとは、良い度胸じゃの、若者よ」

 悠々に扇子を開き、足を組んでいるその様子は、まさに姫。

「っな、今川義元・・・・・・なのか?」

「お主の言うとおりじゃ。わらわが今川義元・・・・・・じゃ!」

 足軽達は、鋭い槍の先を義元に向ける。

「まさか・・・・・・今川の当主が女だったとは・・・・・・」

 余裕の表情を見せる今川の大将。僕は驚いた。危機感がない表情と冷静な落ち着き。本当に自分の立場を理解しているのだろうかと疑いたくなる。

「そんなに驚くことかの。まぁ、よいよい。それでどうするのじゃ?」

「どうするって、お前達は僕たちの国を襲う敵。見逃すことが出来ない」

「ホホホ、この世は乱世ぞ。なんら問題など無い」

 恐るべし今川義元。彼女にとって、僕たちは脅威に値しないということなのか。それに義元の発言は……。

「なら、僕たちが襲う理由も認めるって事だよな?」

「っむ・・・・・・ああ、そうじゃ。もうわかったぞ。好きにせい」

「……良いんだな?」

「そう言っておるではないか」

 僕は鞘に手を添え、父から譲り受けた刀を義元に向ける。

「覚悟、義元・・・・・・」

 僕は彼女にやばいを入れた。そのはずだったが。

「おにーちゃん、殺しちゃダメ」

 僕の刀を掴む美月の姿がそこにはあった。それも背中には、鳥のように白い羽が付いている。

「殺しちゃダメ。お願い・・・・・・」

 真剣に訴えかける美月の姿を見ると、流石の僕でも無視できない。

「ほぉーわらわを殺さぬのか」

「今川義元、あなたを殺したりはしない!」

 美月が義元を守ろうとする。

「おい、美月、お前……」

 またも真剣な目で僕に訴えてくる。そんな時だった。義元の家臣が美月めがけ刀を振る。僕は咄嗟に美月に飛びついた。ただ、すごく鋭い痛みが全身を走り、力すら入らなかった。その後何度も僕を呼ぶ声がして・・・・・・。

涙目で僕を見続ける美月に、扇子を持っている義元、勝家、そして家臣達。

いつも見慣れている寝室の天井だった。

「僕は・・・・・・」

 義元が口元を扇子で隠しながらボソボソ言う。

「わらわは、申し訳無いことをしてしまったの。すでに降伏しておる。家臣の行いを許してほしい……」

 謝る義元の声。そして僕の手を強く握る美月。勝家も僕をのぞき込む。

「信長様、我らの勝ちです。尾張も美月姫も、そして私たちも守られました。すべて信長様のお陰です」

 そうか。よかった・・・・・・。

「おにーちゃん、おにーちゃん」

 何度も叫ぶ美月の声。僕は美月の頭をなでる。とても柔らかい髪だ。

「よかったよ・・・・・・みんな無事でさ・・・・・・」

 僕は安堵した。僕は勝った。尾張を守ったんだ。









 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

織田と明智と兄と妹 はごろも狐 @ExaJp

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ