第48話
「さあ! お前は指一本、その女に触れることはできない。それとも先に俺を殺すか? 俺を殺し、触れられない女と僅かばかりの生を共にするか!?」
「黒兼、破才!」
逆巻く激情を込めて、忌々しい名前を叫ぶ。だが実際、今は彼に向かっていくことができずにいた。破才に動きを封じられれば、背後から結生に刺される結果となってしまう。
そうでなくとも、戦いの中で結生がなんらかの攻撃を受けることになれば……
「総司……殺、す……」
舌をもつれさせるように、しかしそれでも淡々と繰り返しながら、結生が向かってくる。総司は反撃はおろか、受けることも、流すこともできず、ただ飛び退いた。
が――彼女がそれを追い、振り向こうとした時。
みぢぃっ、と。ねじれるような不快な音を立てて、結生の膝が血を噴き上げた。
「ぁぐぁあああああ!」
再び絶叫し、その場に崩れ落ちる。今度は触れてもいないが……理由は想像がついた。
考えるまでもないことではあった。そもそも身体は限界を超えているのだ。走り回れば、それだけ傷が開く。ひょっとすれば、それも破砕が仕組んだものかもしれない。
「結生……」
「何をしている。立て。真籐総司を殺せ」
歯噛みする総司へ見せ付けるように。結生の前に立った破才は、冷酷にそう告げた。
同時に、結生が言われるまま、ゆっくりと立ち上がる。痛みは――完全には忘却できていないだろうと思えた。あるいは、頭では忘却しているつもりかもしれないが、身体がついてきていない。痛々しく血みどろになった膝が震え、今まで以上に蒼白になった顔が、痙攣のように唇を開けさせていた。
「総、司……を、殺す……」
もはやほとんど歩くほどになった結生が、一歩ずつ、片足を引きずりながら向かってくる。刃は握るだけで精一杯なのか、今にも落としそうだった。
避けることは容易だろう。迎撃しようと思えば、思うままに可能だろう。しかしどちらもできず、総司はただ立ち尽くした。その奥に、高笑いを上げる破才を見ながら。
「総司を……殺す……」
「結生――」
いつだったか。彼女が最初に自分へ刃を向けてきた時のことを思い出す。
それはどこか自責に似ていた。殺してやればよかったのだ。あの時に。そう思ってしまう。そうしてやれば、今よりは真っ当な、意味のある死を迎えられたはずだ。
「総司を……殺、す……総司……」
微かな、結生の声が響いてくる。あと一歩。結生がゆっくりと、かんざしを振り上げる。
「殺、して!」
「ッ――!」
瞬間。
総司は結生の身体を抱きとめていた。正面から、強く、きつく。
彼女に音は聞こえただろうかと、ふと思う。可能ならば聞こえない方がいい――自分の身体を、銃弾が貫く音など。
抱きとめていたおかげで、身体が跳ねることもなかった。彼女は震えることもなく、一瞬の間を置いてから、脱力した。
だらりと腕を下げ、全ての体重を総司に預けて、コンクリートの床にかんざしが落ちる。
その身体に重量を感じなかったことに、総司は歯噛みした。抱き締め、歯噛みしながら、耳元で聞こえた声に、言葉を返す。
「殺されて喜ぶ馬鹿がいるかよ」
静かにそう囁き、結生の身体を静かに床へ置いた。顔は見ないまま、寝かせるように横たえさせて……自分の手を見下ろす。
そこに付着した赤い体液を、唇で拭う。
生きていた証の生臭さに身体を冷えさせながら、総司はそれをゆっくりと飲み込んだ。
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