第47話
悪辣な笑みで、破才が言ってくる。総司はその瞬間、嫌な予感に全身が総毛立つのを感じた。止めなければならないと直感する。が、止める手段はなかった。
「最初は、志保沢貫那という名前だったか? あいつの兄を殺そうとしたのは、俺だ。研究所と、研究材料が欲しかったんでな」
「てめえが……助けた男じゃなかったのか」
「あいつらが勝手に勘違いしたのは好都合だったが――まあそれも、あながち偶然ってものでもない。兄も妹も、俺が手を出す前から既に実験台にされていたんだ。兄の身体を半分は妹に移植し、残る半分は別のものと結合させるという、な。そのおかげで記憶でも飛んだか、書き換えられたか」
どちらでも構わないが、と破才は笑う。
「しかし実験の結果、妹は筋力こそ増大したが、ここの連中が望む結果ではなかった。兄の方はもう少し優秀だったようだが、その反面、衰弱が激しく、結果も次第に悪化していき……やがて興味が失われた」
精神的な動揺を誘っている、というのは明白だった。せめて聞いてはならないと思うが――耳に入った言葉は、自然と脳が理解してしまう。
「そこで、俺が拾い上げた。お前を殺すために利用できると思ったからな。もっとも兄の方は相変わらず使い物にならなかった。ついでに妹の方も――せっかく兄の身体を使ってやったのに、残った頭を見せてやったら、錯乱して暴れ回る始末だ。どうせあの様子では身体の方がもたないだろうと、頭と一緒に投棄してやったがな」
「…………」
構えたままの銃が微かに揺れてしまう。
言葉を失い、激情の奔流をどうにか堪えるので精一杯になる。
しかし破才はそれを面白がりながら、さらに悪逆な表情を浮かべた。口を吊り上げ、見開いた目で、ステージから飛び降りる。
「もうひとりのことは、本人から聞かせてもらうといい――起きろ、在原結生」
そう告げると。
まるでそれが目覚めの許可であったかのように、結生がパッと目を開けた。
「結生、気が付いたのか!?」
「…………」
呼びかけるが、答えは返ってこない。どこか虚ろな目で、地に下ろされてからもどこか危うげに身体を揺らす。その後ろから、破才が言う。
「こいつは返してやる。行け。そしてお前が俺に何をされたのか、聞かせてやるといい」
「…………」
背中を押され、結生はふらふらと歩き出した。こちらへと向かってくる。ゆっくりとした歩み。その間に、彼女は口を開いた。
「私は……気付いたら、この研究所の、手術台に乗せられていて……身体は痛いし、動かせなかったけど、頭はハッキリしていて……」
すぐに駆け寄り、保護するべきだっただろう。そしてすぐに、破才に撃つべきだった。
しかしそれができなかった。それを行うと、絶望する未来が待っている気がして。
ただし、ただ待っていても訪れる未来だろうとも思えたが。
「頭に、何か被せられて、何も見えなかった……でも、声が聞こえてきて、痛みが消えたの。身体も動かせるようになって……声が消えると、また、痛くて……」
一歩ずつ確かめるように。
またそうしなければ転んでしまうような足取りで、結生が近付いてくる。
「言う通りにすれば、痛くないって……身体が動くって言われて。私は、総司のところに戻らなくちゃ、いけないから……」
声はどこまでも淡々としていた。大きくなることも、小さくなることもない。虚ろな目で、虚ろな声で、明らかな異常を知らせながら近付いてくる。肩と背中の傷が痛みを強くしてくるのは、身体を力ませてしまっているせいか。
「黒兼、破才……の、言う通りにすれば、私は痛くない……総司のところに、戻れる」
あと一歩か、二歩か。その程度の距離。手を伸ばせば届くだろう。それでも結生はさらに一歩を踏み出して、抱きついてこようと手を広げて。
「私は……戻って、総司、を……殺さなくちゃ」
「ッ!」
その手に、いつの間にか刃物が握られていることに気付いたのは、ようやくのことだった。ほどけて乱雑になった髪を束ねるはずの、かんざし。
総司は咄嗟に飛び退いたが、刃は顎の下を掠めた。
それが明らかに致命傷を狙った一撃だというのは、すぐに知れる。
(洗脳――)
悠長とも思えるほどの緩慢さで、理解する。それを待っていたように、破才が奥から哄笑を上げた。
「くヒはははは! そいつはほとんど壊れきっていたからな。身体の改造ではなく、精神改造の実験台になってもらったんだ――真籐総司を殺せ、とな」
破才の言葉に応えるように、結生は地を蹴った。ボロボロの身体で、かんざしのナイフだけを手に向かってくる。
しかしその動きは、それほど機敏だとは言いがたかった。以前に見たよりも遥かに遅い。総司が半身をずらして脇をすり抜けると、数歩分ほどは行き過ぎてから、辛うじて止まる。
そうして一歩一歩、ゆっくりと振り返ってから……
また同じように、緩慢な動作で向かってきた。
(なんだ、これは……?)
二度、三度と攻撃を避けながら、事態が上手く飲み込めず、困惑する。結生からは力も技術も全く失われていた。
ただ一つの命令をこなすだけの玩具のように、稚拙な突進を繰り返してくる。
「こんなもの――!」
刃物さえなければ、どうという脅威もなくなる。総司はそう判断し、警戒しながらも何度目かのすれ違い際、彼女の手首を狙って刃を叩き落とした。
瞬間。
「ひぐぁああああッ!」
異常なほどの悲鳴を上げて、結生はその場に崩れ落ちた。
「な……!?」
強力な攻撃をしたつもりはなかった。武器を叩き落とすのに、そのような力は必要ない。
しかし彼女は明らかに激痛に悶えていた。見れば、手首から血が流れ出している。
身体にいくつもの小さな裂傷があるのはわかっていたことだが――その傷口が開いたどころの話ではない。傷はほとんど肉を見せるほど、深く大きなものになっていた。
「っくくく! 酷い男だな。重傷者を殴打するなどと」
「なんだと?」
混乱する中、聞こえてきたのは破才の声。なじるような、嘲るような不愉快な声だった。
「言ったはずだ。俺は人体改造ではなく、精神に改造を施したと。つまり……その女の肉体は、ほぼ負傷時のままだ」
「な……馬鹿な!」
そうであれば動けるはずがない。結生は全身、それも体内から焼かれていた。そもそもその状態で、家まで辿り着いただけでも奇跡を超越している。むしろそのせいで余計に、身体を取り返しのつかないものにしたとも言える。
それが、緩慢とはいえ戦闘を行うなどと。
だが破才は笑い続けた。
「そう、動けるはずもない。動けば悪化する。痛みも一時的に忘却していただけで、消えたわけではない。新たな痛みが引き金となって、その周囲の激痛を思い出すことはある」
「…………」
言葉を失う。改めて結生の方を見れば、彼女は痛みを押しながら、また立ち上がり始めていた。落とした刃物を拾い上げ、その程度でも痛みを感じているように身体を震わせながら、こちらを向く。刃を構えて。
「殺、す……総司を、殺す……」
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