第46話
敵はそこにいる。確信があった。
部屋が破壊されたままだったということは、貫那になんらかの”実験”が行われたのは、そう遠くないことだ。連れ去られたのが昨日のうちだとすれば、それまでの間、敵が何もしなかったとは思えない。つまりは――相手はもう、実験室を使う必要がないはずだった。
そしてその推測は、不愉快な想像しか与えてこないのだが――それは無視して、進む。
通路は壁を伝って行くしかないが、逆に言えばそうしていれば間違わず進める程度の、単純な経路だった。曲がり角を一つか、二つ。道なりに進むだけで、それは見えてくる。
大仰な、両開きの扉。
暗闇でもそれを見つけられたのは単純なことで、光が漏れていたからだった。
総司は蹴破る心地で扉を押し開けた。
同時に、赤み掛かった光が奔流のように目を覆ってきた。
光量に慣れるには半秒ほど。瞬きをして視界を整えると、そこが大きな広間であることがわかる。
学校の体育館を連想させるが、あながち間違いでもないだろう。通路と変わらず影を残したまばらな照明が、天井の高い、コンクリート張りの広間の姿を浮かび上がらせている。ギャラリーはあるが、バスケットゴールやバレーネットなどはなく、漠然と広がっていた。
ただ、最奥にはステージのようなものが設置されていた。幕はないが袖だけはある、人の背丈ほどの高さに盛り上がった高座めいた空間である。言うなれば、いけ好かない研究員が、この場で行われる凄惨な光景を、高笑いしながら見物するための特等席のような、そんな気配さえ感じてしまう場所だ。
しかし今、そこにいたのは――ぐったりと横たわる、ひとりの少女だった。
「結生!」
確信して、呼びかけながら駆け寄る。近付けば近付くほど、その確信は全く正しいものだと判明していった。
距離にすれば十メートルもないだろうという距離。その辺りまで、総司は全速力で駆け……止まる。
結生は顔をこちらへ向けてはいるが、力を失った様子で目を閉じていた。髪はほどけ、乱雑に散らばっている。
制服はずたずたに裂かれ、ぼろきれを羽織っているのと大差ない状態だった。
以前に見た裂傷は、さらにその数を増やしている。幸いなのは、そのどこからも血が流れていないということか。
ただし血色は悪く、か細く息をしているだけといった様子に見えてしまう。少なくともまともな健康状態であるはずもなく、あるいは瀕死かもしれないとさえ思えた。
しかし総司が足を止めたのはそのためではなく、彼女の身体に、申し訳程度に被せられた白衣を見たためだった。
死体の顔に被せる布のようだ――と連想してしまい、総司は自責した。
「まだ死んでもらっては困るがな」
心を読んだような声が、突然に聞こえてきた。ステージの袖から、それこそ演劇のような大袈裟な調子で、泥沼に沈むような、胸のむかつく男の声。
「驚いたな。思ったよりも早かった。もう少し”実験”ができると思っていたんだがな?」
聞き覚えがある声のように思えてしまう。しかし実際には、話し声というのは一度も聞いたことがなかった。聞いたのは、断末魔の呻きくらいだ。
「黒兼破才……!」
総司は忌々しげに名前を告げた。結生の後ろに立った、長身痩躯の医学者。
ぼさぼさの髪は落ち窪んだ目にまでかかっているが、充血したような眼球の赤さまでは隠しきれていない。筋張った頬は病的な色々の肌に不気味な影を落とし、骨と皮だけという化け物じみた容貌を強調していた。
それは以前と変わりない、総司が殺す前と全く同じ、まさしく黒兼破才の姿だった。
彼は結生の身体から白衣を引き剥がすと、自らの黒いスーツの上にそれを羽織った。
「覚えていたのか。光栄なことだ。それともそれも殺し屋のサービスのうちか? っくく!」
「死んだはずだ、てめえは」
「ああ、そうだな」
意外と思えるほどあっさりと、彼は肯定してきた。ニヤニヤと腹立たしく笑いながら。
「奇妙に思うか? 思うだろう? 殺したはずの人間が生きていて、しかもそれがお前を殺すための計略を巡らせていた。これは実に奇妙だ。怨霊だとでも思ったんじゃあないか?」
「……てめえの仕業か、全部」
言葉を発するたび、破才は愉悦そうに表情を崩していった。心底から可笑しく、笑い転げ、不気味な顔になっていく。
「当然だろう? 俺以外に誰がお前を殺すというんだ」
「黙れ」
即座に告げる。
総司が思い出したのは結生の言葉だった。目の前で横たわったまま動かない少女。
だが破才は止まらない。
「もっとも、実行するのは俺ではないがな。っくくく! 殺し屋なんてもんは、そこら中に潜んでいるものだ。お前を殺すのに都合がいい連中を見つけるのは、そう苦労したものでもなかった。ましてここは、殺し屋のネットワークまで管理していたからな」
「まさか……結生の言っていたネットワークか!」
「こいつはそこで見つけた。もうひとりの女は、誘導してやれば簡単に引っかかるだろうと思っていたよ」
「貫那の言ってた情報提供者も、てめえだったわけか。そりゃ、どんなに調べてもてめえの言ったことと同じ情報しか手に入らねえわけだな」
破才はやはり、愉快そうに笑った。
「ただ、あとのひとりは失敗だったな。研究所にいたので使ってみたが、あれではガラクタだ。研究所の連中が使いたがらず、放置していたのも納得できる」
瞬間、総司は銃を抜いた。
相手に避ける間など与えず、銃口がピタリと破才の心臓に向けられる。
が――破才は同時に、結生の身体を持ち上げていた。襟首を掴み、盾のように掲げてくる。結生はまだ目を覚まさない。
「どうした、撃たないのか? 上手くすればこいつの身体を貫通して、俺にまで命中するかもしれないぞ? そうでなくとも、狙える場所はあるだろう?」
「…………」
なじるような声に、総司は沈黙を返すしかできなかった。また、破才が笑う。
「これはお前を殺そうとしてたはずだが、随分と情け深いな。俺にも分けてほしいものだ」
「…………」
実際、撃てない理由はないはずだ――総司はふと、そんなことを考えてしまった。
例え自分が殺人狂ではなくとも、邪魔になるなら殺すしかない。そうしないせいで状況が悪化するかもしれないなら、なおさだ。
そもそも、こうして敵の本拠地に潜入する必要もあったとは思えない。誰ひとりとして自分には関係ない、殺されようとなんだろうと関係ない。そうであったはずだ。
しかし今――それを割り切ることができなくなっていた。不可解なほど、彼女らの死を拒絶しようとしてしまう。
「俺は……」
変わってしまったのか。彼女らに触れることで。
”殺したくない相手がいる”などと。
「っくく! ならばもう少し面白い話をしよう。ふたりの女の話だ」
「……!」
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