第43話
総合研究棟。表向きにはそう呼ばれている建物。だがその名前が全くのカモフラージュであることは、風音が証明した。
彼女の語った言葉のどこまでが真実か、などとは考える必要もないだろう。そしてそこから推察した答えも、見当外れということはないだろう。総司はどちらも等しく信頼して、棟の中を進んでいった。
正確には、地下か。一見すれば他と変わらない、よくわからない難解そうな研究を行う総合研究棟の、奥にあるエレベーターで降りた先。深さがどれくらいなのかはわからないが、当然として地上の光は届かなかった。そのため通路にも部屋にも全て窓がなく、光が触れ合わない程度の間隔で点在する白色の照明が、薄暗く閉鎖的な威圧感を与えている。
地下の構造は、研究所というよりは病院に近かったかもしれない。エレベーターホールからは直進する通路と、左へ進む通路の二本が延びており、風音の部屋は直進した先にあった。もっとも直進した通路もすぐに左へ折れて、結局は奥で合流するらしい。
それぞれの通路にはいくつもの部屋が並んでいるが、たいていは鍵が掛かっており、中に入ることはできないようだった。それ以前に入りたいと思う部屋がないことを、総司は否応なく気付かされていた。通り過ぎるいくつかの扉の奥からは、すすり泣く声や、潜ませた笑い声、ぶつぶつと何かを囁き続ける声などが聞えていたのだ。
(ひょっとすれば……風音と似たような連中が、まだまだいるのか?)
殺し屋の詰め所、というものを連想してしまう。あるいは――
人体実験の結果を収容する、隔離所か。
肩と背中の鋭い痛みが意識させられる。膨れては萎みを繰り返すような傷口の感覚を煩わしく思いながら、総司はとにかく通路を進んだ。道中でできるのは、祈ることくらいだった。まず第一に、聞えてくる声の中に結生や貫那のものがないこと、そしてその次に、突然に扉が開かないことだ。
幸いにして、祈りが通じたのが無事なまま、T字に分かれる突き当たりに到着する。そこはエレベーターホールから分かれた道との合流地点だったらしい。右に折れればさらにどこかへと続いているが、明かりがなく真っ暗な、深淵の底へ向かうような通路だった。反対に左を見れば、まだしも明るく、引き返すような曲がり角が見える。
そしてその途中には、天井の照明具だけではない明かりがあった。
通路に並んだ部屋の扉。その上に、赤いランプが付いていたのだ。総司の目の前にある、唯一消えているものも含めれば、数は五か、六ほどか。
薄暗いわりにランプだけは眩くて見づらいが、そこに文字が記されているのは見えた。
(『実験室』……)
思わず、ぞくりと背筋を凍らせる。それは怒りにも似ていた。激情と、内臓をひねり上げられるような不安感が全身を襲ってくる。
実験室。冒涜的な所業を、とうとう実行に移すための部屋だろう。そして恐らくは、風音も一度は入れられたはずの部屋。
(まさか、結生や貫那も――)
考えないようにしていたことが、どうしても頭に浮かんでしまう。そのたびに全身を苛む感情が強く、大きくなってしまう。
思わず全ての実験室に飛び込み、彼女らを探すか、そうでもなくともそこにいる研究員を殺すかしてしまいそうになるのを、総司は辛うじて堪えた。ここが”敵”の本拠地であることを思い出す。
しかしそうしている時、総司はもう一つ祈るべきことを忘れていたと思い出した――研究員と遭遇しないことだ。
葛藤に立ち止まっていと、明かりのある奥の角から、白衣を纏った研究員が現れたのだ。
顔が見える距離ではないが、相手もこちらに気付いたらしい。ひょっとすれば何か声をかけようとしたのかもしれない。研究員が腕を持ち上げようとするのがわかった。
総司は咄嗟に、それを無視して目の前の部屋へと押し入った。ただし逃げるようにではなく、さも自分も研究員の一員で、この実験室を利用しに来たといわんばかりの雰囲気で、である――総司は、風音の持っていた白衣を羽織っていた。
それを着ることに、なんらかの風音に対する大層な意味があったわけではない。ほとんどがこうした事態に対する打算だった。後ろめたさは……感じないわけでもなかったが。
「……とにかく、ここで少しやり過ごさないといけないか」
鍵が掛かっていないのは幸いだったが、その幸運に感謝しているほどの余裕はなかった。真っ暗な部屋の中で扉に張り付き、外の気配を探る。
少なくとも、研究員は追いかけてきていない様子ではだった。走ってくるような音も、開けろと扉を叩く音も聞こえない。ただしまだ近くを歩いているのかはわからない。部屋を出た途端、目の前にいる可能性もある。
総司は間を置く心地で、今更ながら手探りで照明のスイッチを探し出し、点けた。どこか頼りない白色の光が天井から溢れ、室内を照らし出す。
当然とも言えるが、誰もいない。それを見て取って、ようやく総司の五感が機能し始めたのか。強烈な異臭が鼻をついた。
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