第41話
凄絶に笑みを浮かべながら、悪意の象徴とも呼べる銀光を振りかぶり、突進してくる。
内心で強く毒づき、総司はやはり飛び退いた。逃げる。とはいえ部屋の外へ逃げるのは無意味だろう。鉄の扉は開けるのに時間を要する。その間に背中を切り裂かれてしまう。そも、無事に脱出したとしても、それでどうなるわけでもない。
(結局は、ここでこいつを殺すしかない)
元よりそのつもりではあったはずだが――抱く資格のない同情や憐憫が首をもたげるのを振り払いながら、必死に床を蹴る。骨よりも数段硬質な鋼の指が、歯軋りのような不快な音を立ててコンクリートを削り取る。
(今は殺すことだけを考えろ。こいつは、殺してやらなきゃならねえ!)
そのために、必要なのは対抗手段だった。鋼鉄の骨、それも銃弾を弾くほどのものを持っているのなら、並大抵の攻撃は通用しない。
銃弾をものともしないことを考えれば、筋肉、あるいは神経なども弄られているのかもしれない。だとすれば組み伏せることも効果的とは言えないだろう。
対抗手段がなかった。まして狙うべき場所もわからない――
(……いや、手はある、か)
総司は机の横に着地すると、そこに置かれていた風音の鞄を顔に向かって投げつけた。目くらましをも無視して、彼女は真っ直ぐ突進すると机に激突し、それを粉々に砕いたが。
(やるしかねえな)
いつまでも逃げてはいられなかった。逃げるにも全力を要するため、息が上がり始めているのを自覚していた。
覚悟を決めて振り向き、対峙する。
その瞬間。目の前に木片が迫っていることに気付いた。
「なっ……!?」
慌てて首を振って避ける。断面が微かに頬を切るが――総司はそれよりもさらに、もう一度喫驚させられた。回避を予測していたように、またしても目の前に、今度は頭ほどの大きさをした鉄器具が飛来していた。
咄嗟に目の高さまで腕を上げ、それを受け止める。おかげで激しい痛みが骨にまで響き、一瞬だが動きが止まってしまうことに、総司は舌打ちした。
どうにか手を下ろした時、そこにはやはり風音が迫ってきていた。目くらましをやり返された、ということだろう。笑顔を崩さない少女を見れば、それはどちらかといえば、単純な”遊び”としてやっただけのようにも思えてしまうが。
「くそがッ!」
毒づき、総司は懸命に前方へ身体を投げ出した。ほとんど前転する形で、風音の横を通り過ぎようとする。その瞬間、背中を斬りつけられたような鋭い痛みに襲われるが――
反対にそれを合図として、腕を振り回す!
闇雲な一撃。打撃などとは呼べない、ただ相手に触れようとするだけの動作だった。急所を狙っているわけでもない。
しかし、それでいい。目論み通り、その手は確かに少女の腿辺りに触れたようだった。
正確に言えば、手ではなく――手に握られた、風音のスタンガンが。
「ッ……!」
彼女は気付いたようだった。ただしそれでも、理解が追いついたのは電流が流れた後のこと。鉄の支柱を抱く身体に、閃光のような火花を弾けた後だ。
悲鳴は上がらなかった。それほどの余裕もなかっただろう。
やがて……というほどの時間も必要とせず。どさりと、少女の身体が倒れた。コンクリートの床に、為す術もなく身体を横たえさせる。
反対に、総司はゆっくりと立ち上がった。
「さっき、てめえの鞄から抜き取っておいたんだ。アウトレットパークで襲ってきた時は、持ってたからな。どこかにあるはずだと思っていた」
「…………」
少女は何も答えない。まだ息はあるようだが、動けはしないだろう。総司は荒い呼吸を繰り返しながら、近付いていった。
実のところ――などと、もったいぶる必要もなく。殺す手段だけで言えば、この部屋の中には無数に存在していた。いくつもの器具が、常に視界に捉えられている。
しかし総司は、それらを真っ当に利用する気が起きなかった。ひょっとすれば、彼女をこの部屋の一部にしたくない、という思いだったかもしれない――などと考えてしまうが、総司はかぶりを振った。
床にうつ伏せる風音に手を触れ、異常な熱を感じながら、仰向けに返す。
彼女は……笑っていた。聞こえないが、笑い声を上げているとさえ思える。
その瞳が、こちらを真っ直ぐに見上げていた。
「お前を……殺す。だが、俺はまだ死ぬつもりなんてない」
「…………」
答えは返ってこない。
総司は銃を取り出そうとして、やめた。代わりにナイフを手にすると……
可能な限り躊躇わず、それを顎の下に突き立てる。
殺されたがる風音の言葉を、総司は覚えていた。『心臓でも喉でも撃っていい』と。
彼女の身体は一度、震えた。笑ったまま、小さく跳ねるように震えて――その時になってようやく、声が聞こえた。
「ねえ、なんでだろう? せっかく、総司に殺してもらえるのに……」
一瞬前よりも悪化しているはずであり、刃は口にまで到達しているかもしれないと思えたが。それでも声を掠れさせながら、彼女は言う。
「全然、嬉しくないや」
弱々しい表情は、満面の笑みだったのか――
彼女はそれだけを告げると、脱力した。笑みはずっと、崩れていない。顔がその形で固まったように、息を引き取りながらも、笑い続けていた。
「お前は……ここで暮らそうって言ってたんだ。生きて、暮らそうってな」
総司はナイフを引き抜く気にもなれず、そのまま立ち上がった。
鉄の悪臭がさらに色濃くなった部屋の中で、漠然と天井を見上げる。
死にたくないという感情を抱かせてしまったのか――
それとも、抱かせることができたと言うべきか。
いずれにせよ凄絶な皮肉に、恩を着せるつもりなどなく、その資格もなく。
ただ、総司はせめて少しの間、その場に立ち尽くした。
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