第40話

「どうして……どうして、ダメなの? やっぱり、あのふたりの方がいいの?」

 その声は少しずつ大きくなっていく。そして表情も泣き出しそうなものから、激情を含むものへと変貌していく。そして――

「あんな……あんな化け物の方がいいっていうの!」

 吼える。その音声は、室内を弾き飛ばそうかというほどだった。総司は強い圧力を感じ、思わず後ずさっていた。扉に背をぶつけ、驚愕する。

 ただ、その中でも聞きとがめる言葉があった。

「化け物、だと? どういうことだ」

「あんなの……もう、化け物だよ」

 風音は笑った。激情を露にした笑み。凄絶な顔で、へらへらと笑いながら言ってくる。

「そうだよ、化け物だよ。総司があんなのに取られるなんてダメだよ。だから――」

 瞬間。総司は横へ飛び退いた。同時に、今まで立っていた場所に、金属同士がぶつかるような激しい、耳障りな音が響く。

 それを追いかけるように、声。

「だから、やっぱり殺すしかないね」

 扉を殴りつけた格好で、笑う少女の首がこちらを向いた。再び、飛び退く。一瞬遅れて少女が突進してくるのが見えた。転ぶようにしながら振り下ろされた拳が、床に転がっていた手の平ほどの鉄器具を粉砕する。

(冗談じゃねえぞ!)

 胸中で悲鳴を上げると、それとは対照的とさえ言える声が、駆けながら追いかけてきた。

「安心していいよ、ちゃんと私も後でいくから。それとも……総司が一緒に殺してくれるなら、それがいいな?」

 ねだるような言葉とは裏腹に、壁を背にした総司を狙った拳が、そこに引っ掛けられていた衣服ごと、鉄の鎖をひしゃげさせた。

(どうなってやがる……)

 言葉は無視しつつ、しかし喫驚する。彼女は当然、素手である。武器など何も持っていない。それなのに――鉄を壊せるはずなどない。例え少女が異様な馬鹿力だとしても、人間の肉が耐えられるはずがないのだ。

(そういや銃弾を食らっても平然としてやがったな)

 思い出し、懐に忍ばせていた銃を意識する。しかし狭い室内で迂闊に使うのは躊躇われた。頭によぎるのは、いつかの結生だった。

 仕方なく総司は、手近な金属製の器具を投げつけたが……やはりと言うべきか、それを振り払われることもなかった。風音は肩でそれを受け、しかし全く無視して突進を続けてくる。総司が飛び退くと、その背後にあった椅子が砕き割られた。

 銃弾が効かない相手に、何が効くというのか――絶望的な心地になるが、光明が全くないわけでもなかった。今まで、銃弾も先ほどの器具も、全て彼女は身体で受けている。防弾チョッキを疑ったこともある。

 総司はベッドらしい器具を乗り越えた先で振り向き、対峙した。風音も即座に同じルートを通って向かってくる。脛ほどの高さがあるベッドを越えて、飛びつくように迫り、

「ふッ――!」

 その瞬間に鋭く息を吐き、総司は身体を沈み込ませた。振り下ろされる強靭な拳が、低くした姿勢のぎりぎり頭上を通り過ぎていく。肝を冷やしながら、それを見送って……

 次の瞬間に、飛び上がるつもりでカウンターを放つ!

 握り固めた拳は、風音の顎下に突き刺さった。守るもののない、肌の露出した面。それもほとんど急所となる位置である。風音は明らかに息を詰まらせ、苦しげな声を上げ――

 しかし喫驚したのは、総司の方だった。突き刺した拳に、不可解にも硬いものが触れたのだ。鉄を殴ったような感触を味わい、痺れるような痛みに思わず動きを止める。

 刹那。銀色の光が閃いた。

 咄嗟に身体を引くが、完全には間に合わない。飛び退く頃には全く遅く、左腕に鋭い痛みが走っていた。制服の肩辺りが切り裂かれ、露出した肌から血が流れ出している。

(……切り裂かれ?)

 総司は思わず自分の傷をもう一度見やった。鋭い刃物で斬りつけられたような、明らかな裂傷。しかし風音は武器を持っていなかったはずである。

 嫌な予感を抱きつつ彼女を見やると、その五指が薄暗い照明を反射して、鈍い銀色の光を放っていた。

 指と称していいかもわからない。度重なる殴打によって皮が裂け、肉が千切れ、骨まで露出してしまったように見える。

 しかしその骨は――明らかに鋼鉄製であり、鋭い刃を持っていた。

「風音、それは……」

「本当は、あんまり使っちゃダメって言われてたんだけどね。戻すのが大変だから、って。でも、ここで総司と一緒に死ぬんだから、もう関係ないし」

 刃の指同士をカチカチと触れさせ合い、遊ぶような風音。あくまでも平然と、当たり前のことのように言うが、それでもこちらの喫驚の意味には気付いていたのだろう。薄く微笑んでから、言ってくる。

「これはね、お父さんに貰ったの。ほら、手術室みたいな部屋があるって言ったでしょ? そこでお父さんが、私の身体のほとんどをこれと同じにしてくれたんだよ」

「身体を、鋼鉄に……?」

「とっても難しい改造だったけど、今まで何人も実験してきたおかげで成功できたんだって。私のために実験してたんだよって言ってもらえて、嬉しかったなぁ」

「…………」

 美しい思い出に浸るような少女を余所に、総司は言葉を失った。そして同時に――この研究所について、その実態を少しずつ理解し始めていた。

(まさか、そういう研究をしてるところってんじゃねえだろうな……?)

 つまりは、人体改造。

 人から、人の道を失わせる外法。人体移植、人工臓器といった医療の悪用の極地とも言えるだろう。ある意味では現代医療科学の最先端どころか、それをも超えた技術力を有するが、当然として明確な非合法研究である。

「そのために……殺し屋を使ってたってのか!」

 はたと気付き、総司は声を上げた。

 研究所が殺し屋を内包する理由――つまりは風音が言っていた通りなのだろう。実験材料とするためだ。

 殺害した人間を研究所に運び込み、非合法的な移植や生成の材料とする。生け捕りにしないのはその方が楽だからか、あるいは――

「だって、死んでなくちゃ生き返らせられないでしょ?」

 当然のことを示すように、風音が言ってくる。

(蘇生実験……)

 それもひょっとすれば単体での蘇生ではなく、死者同士を結合させた『人造人間』の生成を目論んでいるのかもしれない。

 馬鹿げている、と思わざるを得ない。

 人体蘇生や、改造人間などと。現実離れが過ぎている。

 しかし……そのあまりにも突飛な、そして冒涜的で悪魔的な所業の結果、それも副産物と呼ばれてしまうかもしれない結果が、目の前にいるのだ。

 明らかに人間外の身体と成り果てている、クラスメイトの少女。

「でも、ちょっとだけ嬉しいかな。私の秘密、死ぬ前に総司に知ってもらえたから」

 彼女は笑っていた。

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