第37話

■6

 翌朝、律儀に登校したのは当然、授業を受けようと思ってのことではない。

(風音――)

 普段より遅く、それこそ授業が開始する直前に登校して、その少女を探す。

 彼女は研究所に住んでいると言っていたが、公表されている中に居住区は存在していなかった。となれば、他に彼女を見つけられる場所は学校しかないのだ。

 とはいえ、それも期待していたわけではない。事実、彼女は見つからなかった。

 授業が始まってもそれは変わらず、風音の席は空白のまま。教師も事情を知らないのか、何も告げなかった。

 仕方なく総司は、そのまま彼女の居場所、出会う手段を思案する。

 周囲に人が多いのは鬱陶しくもあるが……アパートは追い出されてしまった。帰る場所を失ったため、他に長時間居座ることができ、風雨をしのげる場所は学校くらいしかない。今後の住処については、後で考えればいいだろう。

(とにかく今は、少なくとももう一度、風音に会う必要がある)

 理由は他でもない。殺すためだ。

 しかしさらに根本である、殺す理由は――報復というわけではない、と総司は自分自身に対して告げた。結生も貫那も、それほどの義理を感じる相手ではないはずだ、と。

(だったら……同情だってのか?)

 自分自身に問いかける。自分はあの少女に対し、哀れみを抱いているのか。望み通りに殺すことで、多少は意味のある死を迎えさせてやろうなどと――

(……自分の死に際も危うい奴が、何を偉そうに)

 総司は自嘲して、かぶりを振った。高尚な理由など必要ない。放っておけば、彼女は自分を殺しに来る。だからその前に、殺す。殺して生きる。

 単純な思考に纏め上げ、改めて考える。襲ってくるまで待つことはできない。奇襲を受ければ危険だ。やはり自ら出向く必要がある。

 研究所にいる可能性は高いだろう。しかし侵入手段を考える必要がある。また侵入したとして、発見できるのか否か。まさか闇雲に建物内を走り回るわけにもいかない。研究所の人間に聞けばあっさりと達成できるなどという期待は、するだけ無駄だろう――彼女は殺し屋だ。

 結局のところ、答えは出なかった。

 授業の全てを無視して思案に暮れ、いくつかの策や心当たりを閃いたが、どれも成功の見込みは薄かった。最も成算があるのは研究所への潜入という有様だ。

 ほとんど無駄な時間を過ごすだけの結果となってしまい……空が朱色に染まり始めた頃、総司はようやく席を立った。

 周りを見ればクラスメイトもまばらで、大半は既に下校しているらしい。普段ならば風音を警戒するか、既に捕まっている頃だろう。今はそのどちらもないのがもどかしかった。

 しかしともかく、総司は学校を後にした。アパート追い出されているため、帰る場所はないが、そもそもそれ以前に向かう場所があった。

 結生を預け、貫那も運び込まれたはずの、病院である。

 報復を誓うほどの義理はないが、容態を確認する程度は構わないだろうと、ややこしい独自のルールを作り上げる。もっともそれのみならず、彼女らに聞くべきこともあった。貫那には、彼女の兄について――ひいてはその兄から、研究所について。そして結生からも、風音に連れて行かれたという研究所の内部について。

 どちらも潜入を決行するのなら必要不可欠となる。そうでなくとも、風音の行動を予測するのに役立つだろう。

 総司はどうということもない小さな病院の門をくぐり、中に入った。病室はわからなかったため、受付で尋ねる必要がある。

 しかし――

「在原さんに、志保沢さん、ですよね? 当病院には入院されていないようですが……」

「入院、してない?」

 返ってきた答えに、総司は内臓を抉られるような感覚を抱いた。

 嫌な予感、というよりも確信というべきか。受付の看護婦は、一度は入院したが既に退院している、と情報を訂正してきたが、もはや無関係のことではあった。

 いずれにせよ彼女らがどこへ行ったのか。その行き先には直感だが、確信を持っていた。

(連れ去られたってことかよ!)

 毒づきながら、総司は即座に研究所へと駆けていった。

 怒りと焦りが足を空回らせ、何度か転びそうになる。なぜ怒るか、なぜ焦るかはやはり、わからない。例え理解できたとしても、今は考える暇もなかった。闇雲に走る。

 走って――走ったところでどうするのだと、冷静さを取り戻して足を止めたのは、研究所の前に辿り着いたあとのことだった。

 港の奥に見え続けていた、医学研究所。間近で見るのは初めてのことだ。港よりも広い敷地を囲う鉄製のフェンスを境界として、中には白く無機質な建物がいくつか並んでいる。

(侵入でもするつもりだったのか?)

 自分自身へ皮肉を呻き、苦々しく奥歯を噛み締める。

 研究所は、表向きにはごく平凡なものだった。最も近い建物の窓にはごく平凡な研究員然とした人間の姿が見える。全員が全員、例の白衣を着用しているが、見える限りでは殺人や、それに類する残虐な行為などはなく、見た目にはさっぱりわからない研究のために動き回っていた。

 時には入り口から出てくる者もいるが、当然ながら返り血などはついていない。彼らは別棟へ向かうようだった。

 ……しかしふと。その中のひとりがこちらへ近付いてきた。別の目的の途中でという様子はなく、真っ直ぐに、毅然とした歩き方が寄ってくる。

 研究員の男だろう。総司の前に立つと、彼はやはり毅然とした、しかし研究員然とした回りくどい気配を持つ声音で言う。

「ここに何か用かな? 見たところ学生のようだが、残念ながら見学は受け付けていない」

「俺は……」

 漠然と言葉を吐き出しながら、総司は驚きと警戒の中で相手を観察した。

 背は自分と同じ程度か。中肉中背で、見た目は若い。三十台の中盤という風に見える。だが実年齢はもっと上だろうと思えたのは、彼の持つ落ち着ききった気配のせいだろうか。

 清潔に切り揃えられた短い黒髪。白衣はどこまでも白く、汚れることを否定しているようですらある。胸に付いたネームプレートが、暗い夕陽を眩く反射させて目障りだ。

 おかげでそこに見えたのは、桐という文字だけだった。

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