第32話

■5

 火事が起きたことを知ったのは、深夜だった――近隣で火事が発生したことを報せるアナウンスが流れたためだ。

 普段ならば気に留めることもなく、再び眠りについたことだろう。しかしそれが聞き馴染んだ場所であれば話は別である。

 志保沢流活殺術道場。総司が見たのは、赤いライトを照らして放水する消防車と……それをさらに赤く染める、道場の姿だった。

 暗闇を拒絶するように、煌々とした光が遠巻きな野次馬を照らしている。総司もその中に紛れながら、光を浴びて呆然としていた。

 周囲の野次馬たちは、住民の安否を気遣う傍ら、この火事が事件なのか事故なのかという話で盛り上がっている。総司は口には出さぬまま、しかし確実に事件であることを察していた。というより、犯人もわかる。あの時に襲ってきた白衣の殺し屋だ。

 ただ、意外でもあった。あの殺し屋は炎のような別の力ではなく、自らが直接に殺害を行うものだと思っていた。

(拷問でもしたってのか――)

 と。その時、別のサイレンの音が聞こえてきた。路上に並んでいた野次馬たちが一斉に散り、総司も端へと移動する。その間を裂いて現れたのは、救急車だった。

 そして、それに合わせるように――門から消防隊が、人影を抱えて現れる。

「貫那!」

 思わず、総司は声を上げていた。炎の光を浴びる暗闇の中で、彼女は遠巻きに見ても完全に意識を失っているようだった。

 命まではわからない。ただ、少なくとも稽古着はかなり煤け、肌にもいくつもの大きな火傷があったように見えた。

 彼女はそのまますぐに救急車へ乗せられ、恐らくは病院へ搬送されたのだろう。総司はそれを見送って、思わずついてきそうになりながら――同時にもう一つの違和感を抱いた。

(あいつの兄貴は、一緒じゃないのか?)


---


 学校内で、道場の火事が話題に上ることはなかった。

 少なくとも朝一番の話題として出す者はいなかったらしい。そうでなくとも交流のない他人からしてみればどうでもよく、そもそも火事について知らない者も多いかもしれない。

 もっとも総司にとってみれば、そうした他者の興味など、どうでもいいことではある。

 貫那のこと自体、もはや無関係のはずだった。どこかへ移住するのも、殺し屋に殺されるのも――まだ生死は不明だが――、二度と会うことがないという意味では同じことだ。

(……くそ!)

 舌打ちのように、口の中で毒づく。妙に不愉快なのは自覚していた。

「総司、どうしたのー?」

 首を傾げてきたのは、風音だった。教室の窓際に背をもたれかけさせた総司の腕に、相変わらずしがみつきながら。

「あ、ひょっとしてまた遊びに行きたくなっちゃったとか? 私はいつでもオッケーだよ!」

 彼女は対照的に、妙に上機嫌のようだった。何か愉快なことでもあったのかと、総司は余計に不愉快になっていったが。

「今はお前と話す気分じゃねえ」

「じゃあ、いつもは話したい気分だったんだっ」

「……言い方を変えてやる。話しかけるな」

 総司はそうとだけ告げると、風音を振り払って教室を後にした。

 廊下に出て、彼女が追いかけてこないのを確認してから、重く息を吐く。そこにはいくつもの感情が含まれているような気がした。最も大きなものは……怒りか。

 何に対してかわからない鬱憤を抱きながら、総司はともかく歩き出した。

 行き先は決めていなかった。とにかくその場を離れたいという思いだけで進む。しかしその足は自然と、ある方向へ向かっていった。同時に思考も、同じ方向を目指して動く。

(貫那を襲った殺し屋は――次に俺を狙う可能性も、ある)

 相手は単純に研究所を裏切った貫那を殺すというだけではない、別の目的を持っているように思えてならない。単純な殺し屋である自分だからこそ、それとは違う気配を感じる。

(だったら、そいつについて調べる必要がある……か。となれば、それに最適な奴がいる)

 足を止めたのは、教室の前。結生の所属するクラスだった。

 彼女の有する殺し屋ネットワークは、不正確で不穏な疑わしさもあるが、それでも情報の一つにはなるだろう。

 またネットワークの話を抜きにしても、結生と会うのは必要だと思えた。

 彼女は昨夜の火災現場に顔を見せていないことから、事件そのものを知らない可能性がある。貫那について教えてやらなければならないだろう。どのような顔をするかはわからない。少なくともショックを受けるだろうが、どうやってなだめるべきか――

(……何を考えてるんだ)

 はたと総司はかぶりを振った。

 なぜ自分が、結生のショックを和らげようとしなければならないのか。そもそも貫那の話をする必要もない。ネットワークを利用するために要求されるかもしれないが、そうでなければ不要な会話だ。余計な話をする必要はない。それは面倒を引き起こすだけだろう。

 総司は自分自身に嘆息しながら、手近な生徒を呼び止めた。結生を呼ぶように願い、あとはそれを待つ。彼女が出てきたら、単刀直入にネットワークの利用を要求すればいい。彼女の感情を利用するためにくらいなら、経緯を話してもいいだろうが――

 そう思っていたが。

「在原結生さん? そういえば、今日は来てないよ」

「……来てない?」

 呼び止めた生徒は、名前を聞くなりそう答えてきた。詳しくはその生徒も聞いていないらしい。単純に、学校に来ていないことだけは確認されている、ということだった。

(いない……)

 総司は猛烈な落胆を抱いていることを自覚した。急激に、自分が孤独になったような錯覚に陥ってしまう。

 ――いや、正しくは錯覚ではない。ただ、最初から孤独だったはずだ。今になって、何かが失われたように感じるのはおかしな話である。

(……人と話したがってるのか、俺は?)

 ふと、そんな考えが頭をよぎる。同時に、以前に結生が言っていた言葉が思い出された――「私の本当の顔を知ってるのは、あんただけなんだし」

「総司ーっ」

 不意に。慣れた衝撃が横腹を襲った。

 思考が打ち切られる。見下ろせば当然といえば当然、そこには風音の顔があった。

「……なんなんだよ、お前は」

「そろそろ話したい気分になったかなと思って」

 忌まわしく告げるが、風音は動じた様子もなく、どこまでも無邪気な笑顔を浮かべた。

 どこまでも無邪気――邪気のない、純真な笑顔。それが総司には、恐ろしく感じられる。自分とは正反対に思える少女に対して、言い知れない不安と恐怖、苛立ちを抱いてしまう。

「ならねえよ、全くな」

 総司は逃げるように、結生のクラスを後にした。

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