第30話

「こっち、早く!」

「は? な、なんなんだよ、おい!?」

 風音はなぜか急かして、来た道を引き返していく。総司は急かされるまでもなく、風音に腕を引きずられたままだったが……

 ともかくわけもわからぬうち、元の通りへと戻ってくることになった。

「どうしたってんだよ。何があったんだ」

「こんなとこまで……追ってきた? やっぱり最初にあれをしておけば……」

 人混みの端に紛れ、適当な客入りの少ない店の前で立ち止まってから。総司は怪訝に尋ねたが――答えは返ってこなかった。

 風音は何やらぶつぶつと、深刻そうに呟いてるようだった。

 その意味もわからず、首を傾げる。彼女がこれほど深刻な顔をするのは見たことがなかった。半ば顔を伏せ、前髪で目を隠しているが、手を当てた口は強く噛み締めるように歪み、憎しみのようなものが滲んでいるとさえ思えた。

 そこへさらに声をかけるべきか否か、悩んでいると――

「真籐総司? どうしたんだ、こんなところで」

 ふと、背後から覚えのある声が聞こえた。

 振り返る。そこにいたのは、店から出てきた志保沢貫那だった。

 いつ見ても代わり映えしない稽古着を身に着けている。秋風の中でもタンクトップだというのは、鍛錬の一つなのかもしれない。

「てめえ……どうしてここに」

「それは私の言った質問だ。お前は――」

 と、そこで貫那はようやく、隣に立つ少女に気付いたようだった。総司と共に振り返り、驚愕に目を見開いた、風音。思えばふたりは初対面のはずだった、が。

「志保沢、貫那……」

 風音は相手まで届かないような、総司が辛うじて聞き取れるかどうかという小さな声で、その名前を吐き出していた。

(どこかで俺が口にしてた、のか?)

 付き合いのある人間は、風音を除けば結生と貫那くらいしかいない。そのため、名前を聞いていれば推測は容易だろう。そもそも話した記憶はないのだが――紹介の手間が省けるのならいいだろうと、大雑把に考えることにした。

 というより、貫那の言葉に意識を向けなければいけなくなった。

「ふたり目の恋人か」

「……てめえはやっぱり俺に殺されたいのか」

 かなり本気で呻く。が、貫那は気にした様子もなく。

「いや、すまない。邪魔をするつもりはなかった」

「どうしてこう、てめえらはそういう誤解をしたがるんだ!」

「焦らずとも、安心していい。私はそれを告げ口するつもりはないし、お前の倫理観を問うつもりもない」

「しかも話を聞きやがらねえ!」

 ほとんど地団駄を踏むつもりで叫ぶ。貫那はそれでも真面目な顔を崩さないまま――しかし軽く笑うと「冗談だ」などと言ってきた。

 総司になおのこと殺意が芽生えたのは言うまでもないが、それをどこで実行するか計画を練るより早く、彼女が続ける。

「それにしても、あの時はもう二度とここには来ない、といった雰囲気だったが」

「うっせえ、色々あんだよ。てめえの方こそ、ひとりじゃ迷うとか言ってただろ」

「兄上のためなら、そのくらいは危険を冒すことに迷いはない」

 そう言って、手に持った袋を見せてくる。中身は――聞かずともおおむねわかった。袋からは、包装用紙が巻かれた長い棒が突き出ている。

「……杖?」

「ああ。兄上は不要だと言っていたし、杖を使うと逆に身体が弱くなることもあるが……杖を持つことで、それを使用する可能性がある身体だと周囲に主張できる」

 貫那の兄、徹真。彼の身体が現在、どのような状態であるのかはわからない。しかし不意に倒れるようなことがあるほどなら、その危惧は全く無意味なものではない。

「けど、今まで使ってなかったんだろ?」

「ここは慣れ親しんだ土地だ。休憩地を見つけることも、助けを呼ぶことも、それらへの最短ルートを割り出すこともできる。しかし……これからは、そうもいかないからな」

 つまりは、やはり住居を移すということなのだろう。今はその準備を進めている最中、ということか。

 総司はあえて聞かず、貫那も明確には言いたがっていない様子だった――聞けば、言えば、今生の別れの挨拶をしなければならない。

「では、私は行こう」

「ああ」

 短く言い合い、たったそれだけ。振り返ることもなく、貫那はすれ違い際に軽く手を振っただけで去っていった。

 総司はそこに、それほどの感慨を抱こうと思ったわけではないのだが――

「……総司」

 それでも名前を呼ばれた時、放心から帰ったような心地でハッとした。

 振り向けばそこには、風音がいる。怒っている、と直感したが彼女の顔にそれらしいものは何も窺えなかった。

「総司。私、ドーナツ食べたいな?」

 平然と、彼女は言ってきた。まるでこのパークに入ってきたばかりのように、その時に戻ったかのように、にこにことした表情を浮かべている。

 貫那や、その会話について触れてこなかったせいか、総司はなんとなしに後ろめたいような、気圧されるものを感じたが……考えすぎだとかぶりを振って、その不安を追い出す。

「その店なら、一軒だけ知ってる。確か出口の方に――」

「別のところがいいな」

 言葉を遮り、彼女は即座に否定してきた。そして案内しようとする総司の腕にまた絡みつき、快活な笑顔のまま引っ張ってくる。

「こっちの方にもあるよ、きっと。行こっ」

「あ、ああ……」

 抵抗する気はなく、ついていく。

 結局のところ――その後の風音は終始、笑顔だった。

 子供っぽいが輝くような笑みを見せ、日が暮れるまで総司を引っ張り回し続けた。

 しかし。総司はそれを機嫌が良さそうと評することが、どうしてもできなかった。理由はわからない。ただ底知れない、なんらかの感情を感じられる気がしてならなかった……

「それじゃあ総司、またねー」

 別れ際――無邪気な子供っぽく元気に手を振って帰路に着く風音を見て。

 その姿が、以前に見えた白衣の殺し屋に思えたのは、ただ彼女の去っていったのが、たまたま殺し屋と同じ方角だったからというだけだろう。

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