第27話
翌朝。登校するのが億劫だったのは何も、答えの出ない疑問に悩まされて睡眠時間を削られたせいばかりではない。
とはいえ、こんなことなら男の名前を聞いておけばよかったと後悔はしていた。インターネットで名前を検索して顔写真を見るくらいはできただろう。それで解決するはずもないが、疑問の一つは消せたはずだ。
いずれにせよ億劫なのは、そのせいばかりではない――総司は呻いた。住宅街の通学路を歩きながら。足を速めても同じ速度でついてくる少女に向かって。
「……なんでてめえがいるんだよ」
「な、何よ。何か文句でもあるっていうの?」
答えたのは、結生である。
彼女の長い黒髪はかんざしに留められてなびくこともないが、その気配は感じさせた。つまりは毅然として、言ってくる。
「同じ高校に通ってるんだから、登校が一緒になっても不思議じゃないでしょ。あんたがアパートを出た時、たまたま私がその前を通りかかっただけよ。むしろ、そこからあえて別れるっていう方が不自然だわ」
「練習したような言い回しだな」
「し、してないわよ、そんなこと!」
目は合わせてこなかったが、ともかく。
「それで、わざわざ待ち伏せてたってことは、何か用なのか?」
「だから待ち伏せてないわよ!」
あくまでも主張しながら、しかし彼女は咳払いで気を取り直した。
「まあ……実際、用事ってほどの用事じゃないけどね。ちょっと昨日、考えてたら眠れなくなっちゃったのよ」
「知るか。寝ろ」
「なんでそう冷たいのよっ。だいたいそうじゃなくて……ほら、貫那のことよ」
漠然と、道場の方角を視線で示す。連なる民家によって遮られ、見えるはずはなかったが、総司もなんとなしにそちらを向きながら話を聞く。
「どうして彼女、殺し屋に狙われたのかしら? 心当たりはないって言ってたけど」
「あいつは研究所の男――つまり俺が犯人だってデマを流した情報提供者を疑うようになった。だから事実を感付かれまいとして殺そうとした。安直だが、そんなところだろ」
特に考えるというほどのこともなく、総司は即答した。あの時の貫那も同じ推察をして、それを信じたくないがために隠したのだろう。
ただ、それでも結生は考え込むように口を曲げた。
「なんか納得いかないのよ。総司が犯人だって調べ上げたのは、結局は貫那だったんだし」
「まあ、な」
実際のところ、言い逃れは容易だったはずである。
そして殺す必要などないだろう。貫那は確かに疑ったかもしれないが、研究所への信心がそれほど揺らいだわけでもない。むしろ殺し屋を差し向けたせいで、それを生み出してしまったと言える。
「それに貫那のお兄さんを助けた理由だってわからないわ。その人が助けたのよね?」
「多重人格なんだろ」
考えるのに疲れて、適当に言葉を返す。
「そもそも、あいつのことはもう考えたって仕方ねえだろ。近いうちにここからいなくなるだろうしな」
「引越すってこと? 殺し屋から逃げるために?」
「兄貴の方が重大だろうな、あいつの場合」
呆れるように肩をすくめる。
「研究所を頼れねえってことは、兄貴の治療とやらができねえってことだ。どんな治療だか知らんが、ここにある病院程度じゃ難しいことなんだろ」
同じ治療のできる場所がどこにあるかはわからないが、それこそ無関係の話だった。彼女のことなので事情を説明し終えてすぐ、その辺りを調べ上げ、今はもう引越しの準備を進めているだろうと思えた。
「引越し先にまで、なんてことないわよね?」
「それこそ心配したってしょうがねえだろ。……というか、心配してんのか?」
大した交流もなく、敵対と言ってもいい範疇にあった相手だ。それが殺されるかもしれないことを、まして殺し屋が危惧するなど、全く奇妙な話ではある。
結生は不服そうに口を尖らせてきた。
「い、いいでしょ、別に。だいたい、あんただって同じじゃないの?」
「一緒にするんじゃねえよ」
「一緒ではないけど――」
と、彼女は言葉を探して首をひねった。数秒。結局、丁度いいものは見つからなかったらしいが、脳内をそのまま口に出してくる。
「あんたはなんていうか……独りを気取ってる感じがするのよ。格好付けてるって意味じゃなくて、無理にそうしようとして、中に入りたいのを堪えてるっていうか」
「……ンなわけあるかよ」
目を逸らし、前を向き。総司は言葉と共に唾を吐き捨てると、歩く速度をさらに上げた。
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