第25話

 貫那を追って、辿り着いたのは彼女の家、つまり志保沢流の道場だった。

 走りながら彼女は、夕方には帰らせると研究所の男が言っていた、という話をしていた。

 この状況で研究所の言葉を信用できるとは思えなかったが、貫那はそのことを思いつけずにいたらしい。それだけ研究所に対する信頼は根深く、厚く、おかげで殺されかけたことへの衝撃が強く、動揺が大きいということだろう。

「兄上! 私です、どこにおられますか!?」

 総司は道場へ駆け込んでいく少女の背を見ながら、研究所へ最短ルートを模索していた。

 ここに彼女の兄がいなければ、直行する必要があるだろう。そこはアウトレットパークを挟んだ先にあるが、全力で走れば十数分という程度か。しかし、そもそも所内にいたとすれば、どれほど急いだとしても間に合うとは思えない。むしろ、まずはそちらを殺してから貫那を狙った、と考える方が一般的かもしれない――

 などと、どうあっても絶望的な状況だろうと考えていると。

「どうしたんだい? 騒がしい帰宅だね」

 貫那が道場の奥、つまり民家へ続く扉に手をかけた時。先んじて、それが押し開かれた。

 そして柔和な、落ち着き払った声と共に暗闇の道場内に現れたのは他でもなく、貫那の兄である徹真だった。

 彼が道場の明かりを点けたことで、その姿がハッキリと見えるようになる。

 歳は二十二らしいが、それよりも数段は若く思えた。少し伸びた黒髪に穏和な顔立ち。常に浮かべている弱々しい笑みが、どこか幼く、そして薄幸に見せているのだろう。

 背丈は総司よりも僅かにだけ低い。そこにゆったりとした、患者衣と着流しの中間のような服を纏い、とても元師範代とは思えない華奢な体躯を覆っていた。

「兄上! よかった……ご無事だったのですね」

「はは、心配性だな、貫那は。治療が夕方までかかるなんて、いつものことだろう?」

 安堵してすがりつく貫那に、状況を全く理解していない様子で的外れに慰める、徹真。

(何も知らねえってことは、殺し屋も来てねえってことか? どういうことだ……貫那さえ殺せば他はどうでもいいと思ってんのか?)

 総司はその光景を、不可解な思いで見つめていた。巧妙な偽者ではないかとさえ思ってしまい、まじまじと男を見つめる。

 その視線に気付いたから、というわけではないだろうが、彼はこちらを向いてきた。きょとんとしながら、貫那に問いかける。

「こちらの方々は?」

「あ……それは……」

 貫那は少なからず戸惑ったらしい。正しく説明しようとすればややこしくなるだろう。現在だけをとっても、紹介しづらい関係性ではある。

 その助け舟のつもりか、単に面倒臭いと思ったのか。答えたのは結生だった。

「私たちは貫那の友達です。時としてぶつかり合いながらも互いを高め、今ではライバルとしての一面も抱いています」

「余計にややこしいな、おい……」

 横から半眼で呻くが、彼女は聞いた素振りも見せず毅然としていた。実際、半分ほどは合っているかもしれない。おかげで徹真の方も納得してくれたらしい。

「なるほど。妹がお世話になっています」

「いえいえこちらこそ」

 なぜか場違いと思えるほど温和に握手などしているが、ともかく。

「……兄上。話さなければならないことが、あります」

 すがりついたまま、顔を上げたのは貫那。彼女は潤んでいた目元を拭うと、心苦しそうな、しかし決意した瞳を真っ直ぐに兄へと向けた。

「実は……もう、研究所には頼れなくなってしまいました。ですが私が、必ず兄上をお守りします。だから安心してください。例え全てを投げ打ってでも、兄上だけは……!」

「貫那? どういうことだ?」

 感情的な結論を急ぎすぎているおかげで、徹真にとっては全く理解できない話になっていた。直情家の弊害とも言えるが、それに関しては誰より彼が熟知していることだろう。

 彼は妹の背中を優しく撫でると、「落ち着いて最初から話してくれないか?」と優しく問いかけ始めた。貫那もそれに頷き、呼吸を落ち着けようとしている。

(あとは本人に任せりゃいいか)

 総司は踵を返した。徹真に視線を向けられた気配を感じ、背中越しに手を振っておく。それだけで、彼も特に何かを言ってくることはなく、妹へ意識を向け直したようだった。

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