第22話

 そこはどうということもない、露店風のドーナツ屋の前だった。丁度、制服を着た女ふたりが買い物を済ませ、離れていくところである。総司は入れ替わるように、無造作にその店へ向かった。

 貫那が抗議に追いかけるが、その時には既に注文を終えていた。総司は憮然とカウンターの奥を見つめ、しばしして差し出された紙袋を受け取ると、店を離れる。

 歩き出しながら、総司は紙袋からドーナツを一つ取り出し、乱暴に齧り始めた。

 一連の間、総司は無言だったし、貫那も妙に不釣合いで唐突な行動に訝り、何も声をかけられなかった。おかげで歩きながら、じっと見つめるだけになってしまい――

「えぇと……?」

「ほれ」

 と。唐突に、紙袋が渡される。思わず受け取ると、そこにもう一つ、ドーナツが入っていることがわかった。

「……って、私はそんなつもりでお前を見つめていたわけじゃないっ」

「なんだ? ソフトクリームの方がいいってのか?」

「違う! というか、どうしていきなり食べ物なんだ。私は真剣な話をしていたのに」

「うっせえな、いいだろうが。ストレス発散だ」

 喋るごとに、ドーナツの噛み砕き方が乱暴になっていく。

「汚い食べ方を……だいたい、買うなら買うと言え。これでは奢られたみたいじゃないか」

 貫那は稽古着らしきポケットを漁り、財布を持っていたかと探り始めたが――

 次の瞬間。

「いちいちうるせえってんだよ」

「もごっ!?」

 総司によって顎を持ち上げられ、その口に何かが放り込まれた!

 一瞬、死をも覚悟したような驚きを抱くが……そこに広がった甘味によって、それが単なるドーナツであることに気付く。

 きょとんとしていると、砂糖の付いた手を舐めながら、総司が言う。

「いいから食ってろ、馬鹿が。その方がてめえの長ったらしい話を聞かなくて済む」

 瞬きは二度か、三度ほど。

 それくらいの間を置いてから、貫那はふと……笑った。ドーナツを齧り、頬張って。

「これじゃあ、真面目に悩んでいた私が馬鹿みたいじゃないか」

 気付けば、アウトレットパークの出口が近いようだった。

 あるいはもう一つの入り口とでもいうべきかもしれないが。そこからも何人か、客が入ってくるのが見える。

「美味いな、これは。もう一度食べたくなる味だ」

 食べ終えた貫那が、感心したように言う。総司はじとりと睨みやったが。

「食いたきゃ勝手に引き返せよ。俺はもう行くからな」

「……いや、私も今日は帰るとする。すまないな、付き合わせてしまって」

 足を速めた総司に追いつくため、早足になりながら。貫那はどこか落ち着いた声でそう言ってきた。

「今度はゆっくりと、ここを見て回ろう。今日は話に夢中だったからな」

「言っておくが、今度は付き合わねえぞ」

「ひとりで来たら迷いそうだな」

「永久に彷徨ってろ」

 そう言い合いながら出口のゲートをくぐる。同時に、潮風の匂いが鼻をくすぐってきた。

 空はすっかり夕暮れになっている。どちらかと言えば夜にも近いかもしれない。駐車場を超えた先の通りは、今までが嘘のように平凡な、閑散とした街路だった。

 まばらな民家に、いくつかの空き地。街灯は点在しているが、間もなく夜を迎えるというには心許ない。

(まあ、だからって送っていくことはねえだろうな)

 貫那の強さを考えて、総司は皮肉に苦笑した。

「じゃあな。俺はさっさと帰る」

「ああ。私もそうしよう」

 そう言って、東西に伸びる道を二手に分かれる――そのために背を向けかけた時だった。

 視界の端に、影が走った。先ほど出てきた駐車場の方から唐突に、人の影が凄まじい速度でこちらへ向かって突進してくる。

「っ!?」

 驚愕の声を上げたのは、ふたり同時だったかもしれない。共に車道を挟んだ奥、雑草の生い茂る空き地の方へと身体を投げ出した。

 転がりながら受身を取って、隣り合って立ち上がる。そして同時に、人影の正体を見た。それは……珍妙な格好をしていた。

 頭に赤黒いフルフェイスヘルメット、背中には鞄。身体はしっかりとボタンを留めた、肩口に刺繍の入った白衣という出で立ちである。どこからどう見てもちぐはぐで、あからさまに不審者だった。

 しかしただ不審なだけでなく、明確に危険でもあった――鉄鋲の打ち込まれたライダースグローブをはめた手には、一見して違法な電圧だとわかるスタンガンが握られていた。

 顔が見えず、白衣に隠されて体躯もわからないが、少女だろうと直感する。それは単純に背丈が低いためだった。メットを除けば、貫那よりも頭半分ほどは小さいだろう。おかげで白衣はだぶだぶで、少しでも屈めば裾が地面を引きずった。

「何者だ? ただの通り魔には見えねえが」

「まさか、あれは……」

 総司が問いかける中、貫那は何かに気付き、驚愕したようだった。信じがたい様子でぶつぶつと呻いている。

 一方で相手の方は口を開く様子すら見せてこない。軽く身体を開いた体勢で構え、攻撃の隙を窺っているらしい。

 飛び込んでくるのは時間の問題に思えた。少女が身体を僅かに沈み込ませるのがわかる。狙いはまず間違いなく自分だろうと、総司も対抗して身構える。隣の貫那から離れられるようにと、周囲の状況をざっと見回して――

 そうしたおかげで、事が起きる前に”それ”を発見することができたのかもしれない。だからどうだというものでもなかったが……心構えはできた。

 ”それ”は目の前の少女と同じく、駐車場の方から猛烈な勢いで突進してきていた。

 そして。

「どっせい!」

 声を上げて、背後から少女に飛び蹴りを仕掛けた!

 聞き覚えのある声。言葉。そしてなんとなしに、タイミングも。総司はどこかうんざりしていたが、ともかく。

 少女は気付いていたのか、あっさりと半身をずらしてそれを避けたようだった。さらに素早く反撃のスタンガンを突き出す。が、”それ”も即座に地面を転がって、こちらと同じ場所まで辿り着いた。

 そして同じように立ち上がり、貫那とは反対の位置で横に並ぶ。

 総司はそれを横目に、疎ましく呻いた。

「在原結生……」

「こ、これは違うのよ! 別にふたりがアウトレットに入っていくのを見かけてこっそり尾行した上に今までドーナツを食べてたとか、そんなんじゃくて!」

 少女の方を睨みやると、先回りして否定してくる。おかげでおおむねの事情は掴めたので、総司はこれ見よがしに嘆息したが。

「まあ、とにかくなんか、困ってるみたいね」

「見ての通りだが――」

 白々しく言う結生に、総司はうんざりと「もうすぐ困らなくなる」と答えようとした。

 それは他でもなく、こちら側の人数が増えたためだった。仲間や味方という言い方をすることに、総司は抵抗を抱いたが、ともかく謎の少女から見れば三対一の形である。まして少なくともふたりは戦闘を行えるとわかっていれば、挑むのは無謀の一語に尽きる――

 そうした思考を組み立てた頃。

 全てを裏切って、少女はこちらへ向かってきた。

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