第20話
「……?」
夕刻の近付いた、学校からの帰路。総司は道の中央で足を止めた。
自宅であるアパートに近付いてきたという辺りだろう。車の通行は禁止されていないが、二台がすれ違うのには技術がいる。そんな道である。
道の両脇に、まばらな民家と、その隙間に入るように個人商店が並んでいた。大半はなんの店かわからず、そのうちの半数はシャッターが下りている。おかげでひと気はなく、せいぜい家の中に老人たちがいるかどうか、という程度だった。子供を持つ家が数軒しかないというのは、この道を通るうちに覚えていた。
そうした道だからこそ、角を曲がった先に人が立っているというのは稀有なことだった。
しかもその相手は、落ちかけの夕陽を背に浴びながら、明らかにこちらを見据えている――両足を軽く開き、腕を垂れ下げたポーズ。
それが構えだと思えたのは、彼女が白い稽古着のズボンに、黒のタンクトップという姿だったせいか。俯いているせいか。あるいは不穏な状況のせいか。それとも単純に――
彼女が、志保沢貫那だったせいか。
「てめえ――」
「ふッ!」
抗議の声を上げようとした瞬間。貫那は地を蹴った。
槍は持っていない。無手で四指を突き立てて、それを槍の代わりに放ってくる。
「突進馬鹿が!」
見立てたところで、刃でないのなら脅威は半減だった。
罵倒しながら、腕を払って横を通り抜ける。そのまま背後に回ると、彼女もすぐに追いかけて身体をひねらせたが……
無手での体重移動には慣れていないのか、そこには以前の機敏さは見られなかった。
彼女が振り返る前に、脇腹目掛けて拳を叩き込む。
「ぐっ……!」
呻き声を上げて飛び退き、貫那は再び正面から対峙した。片手で殴られた箇所を押さえるが、咄嗟に回避へと転身していたのか、さほどのダメージではなさそうだった。
「なんだってんだ、てめえ。自殺願望ってんじゃねえだろうな?」
「…………」
答えないまま、彼女は再び向かってきた。
しかし総司はそこに、ふと違和感を抱いた。俯き加減だった上、逆光のせいで見づらかったが、陽光を背にした今ならばよく見える、貫那の顔。そこには以前と同じく怒りが浮かんでいると思っていたのだが――
「はあああッ!」
気合を吐き出す貫那。総司は、そこへ真正面から向かっていった。
ふたりの距離は一瞬でゼロになる。互いの腕が届く、必殺の間合い。総司は身を乗り出すように大きく腕を振り被った。貫那は槍に見立てた指を突き出して――
それが、総司の首筋を掠める。同時に総司の拳が、少女の腹を叩いた。
「がぅ……っ!」
再び呻き、その場に崩れ落ちる貫那。両手を地面に付き、唾を吐きだすように咳き込む。
しばしそれを見下ろすと……息を整えた少女が、どこかヤケクソな笑い声を上げた。
「二度目はない、のではなかったか?」
「殺しに来たら殺すと言っただけだ」
面倒臭そうに、総司は嘆息した。
「なんだってんだ? 得物を持ってねえのはともかく……殺そうともしやがらねえ」
「私は、お前を……」
「殺したい? ンな明らかに悩み満載な顔しながら、何言ってやがる。こっちが急所を差し出しても、わざと外しやがったしな。何がしてえんだよ、てめえは」
まくし立てると、貫那はまた笑い出した。あるいは嗚咽かもしれないと思える、笑い声である。うずくまったまま、そうしてひとしきり声を上げて……よろよろと立ち上がった。
「本気で殺そうとしない限り、お前も私を殺さない、ということか」
「なんだ? 本当に自殺願望でもあったのか?」
挑発めいて言うが、彼女は目を伏せただけだった。そしてまた、今度は微笑。
「どうかな。しかしお前も、何かと理由を付けて私を殺すまいとしているように見えるな」
痛みのせいか弱々しいが、真っ直ぐに視線を向けてくる。
総司は思わず逸らしそうになるが、踏み止まって吐息した。
「……別に、意地でも殺したくないってわけじゃねえよ。けど料理人が牛や豚をペットにしてたって、批難される謂れはねえだろ」
「私は豚だと言いたいのか」
「牛を選ばない辺り、身の程をわきまえてるってことだな」
皮肉を返し、細身の少女の眺めてやる。ただし貫那は恥じらう素振りも見せなかったが。
代わりに指で――先ほどまでは槍の代役を務めていた指で、道の先を示しながら。
「真籐総司……少し、付き合ってほしい」
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