第18話


「お前に関して言えば、二年前だ――」

 どこを見つめているともしれない瞳。焦点も合わさず、じっと真っ直ぐに向けたまま。

「私の両親が事故死し、兄上が師範代を務めるようになったこの道場に……悪党が現れた」

「悪党?」

 その言葉を吐き出す時、彼女には少なからず力が篭った。奥歯を噛み締めたのかもしれない。その時だけ、瞳に生命の炎が宿ったようにさえ思えてしまう。

「……お前だ、真籐総司」

 曰く――

 総司は道場を狙う者に依頼され、師範代である貫那の兄、徹真を殺そうとしたらしい。そしてこの道場で戦い、決着がつく直前。白衣を着た男によって妨害され、逃げ去った。

 瀕死の重傷を負った徹真はすぐに病院へ搬送されたが、この町の小さな病院では限界があった。そこで白衣の男が、自分の属する研究所への移送を申し出たのだ。

 浦ヶ崎生体医工学研究所――港に隣接する大きな研究所が、それだった。

 徹真はそこで治療を受けて意識を取り戻し、今でもある種の通院を続けている――

「私はそれからの二年間、研究所の世話になりながら、兄上を殺そうとした悪党を探し続けた。そして今年、研究所に属する男から情報を得た……真籐総司、お前が犯人だとな」

「随分と簡単に信じたもんだな」

 呆れ半分に言うが、貫那は首を横振りながら、それでもさして気を悪くした様子はなかった。銃を突きつけられている状況では、不愉快も何もないだろうが。

「簡単ではない。少なくとも私は、それだけで信用したわけではない。真籐総司の名を聞いてから、それが何者であるかを調べていき、殺し屋のネットワークがあることを知った」

「えっ、私たちのネットワーク!?」

 近付いてきていた結生が驚きに声を上げるが、それは無視して。

 貫那の語り口は淀みなく、淡々としているとさえ思えた。ゆっくりとしたうねりを伴う河川のように、言ってくる。

「もっとも、行ったのは単純な聞き込み程度だが……その中で私は、真籐総司が兄上の暗殺依頼を受けていたという情報を入手したのだ」

「部外者が簡単に入り込めるネットワークってのはさておき――」

 皮肉な呟きに、結生はバツが悪そうに呻いたが。

「俺がそれを否定するのは簡単だ。俺が依頼を受けて、殺さないなんてことはあり得ない」

 総司は銃を引いた。肩をすくめ、嘆息する。下敷きにされたままの貫那はまだ何も変化を見せないが、警戒することもなく。

「そもそも最初に疑念を抱いたのは、そこだ。てめえの兄を『殺そうとした』なんてな。『殺した』でない限り、俺とは結び付かない話だ。邪魔が入った? 関係ねえな。標的を殺さなけりゃ……死ぬのは俺なんだ」

 苦々しく言ってから、「その”邪魔”が標的を殺すことはあったけどな」と付け加える。結生の方を一瞥すると、彼女はわざとらしく耳を塞いで目を逸らしていた。

「誤解だとでも言うのか。犯人は別にいると。そんな、殺し屋の信念など解いたところで」

「てめえがそれで納得するなんざ、思ってねえよ」

 立ち上がる。銃を懐にしまい込み、返せと喚く結生を無視して、総司はほとんど大の字になって仰向く少女を見下ろした。手には槍が握られている。足の拘束は、すぐに断ち切ることができるだろう。

 入り口までは数メートルはあることを、総司は確認した。しかし構わず、そちらへ身体を向けて歩き出す。

「あとは、てめえが二度と俺を殺しに来なけりゃ済む話だ」

 重い息と共に告げた言葉は小さな囁きにも似ていたが……吹き込む秋の風が、辛うじて貫那の耳までそれを届けた。

「…………」

 無言のまま――やがて遠ざかる殺し屋の足音が消えた頃、少女がゆっくりと起き上がる。

 歯を噛み締め、槍を握り締めながら、動作だけは静かだった。

 そうしてから長く息を吐き……ふと、見つける。自分の横に立つ、自分より年上だろう少女。在原結生。帰り損ねたのか、総司の去った出入り口と、こちらとを交互に見つめて。

「えっと……私も、あなたと同じようにね」

 気まずさにでも耐えかねたのか。彼女は苦笑して口を開けた。

「あいつが親の仇だって思って、殺そうとしてたのよ。だけど誤解だってわかった上に、こうして生かされちゃったわ」

「…………」

 貫那は何も答えなかった。代わりにじっと、語る女殺し屋の顔を見つめる。彼女が何を伝えようとしているのか、その真意を計ろうとするように。

 女殺し屋は肩をすくめた。 

「結局そういう奴なのよ、たぶんね。あいつは『殺し屋』だけど『殺人狂』じゃない」

「何が違うというんだ」

 忌々しげな声が吐き出される。というより、貫那は忌々しく言ったつもりだった。

 しかし結生の方は怯むこともなく、当たり前のことを告げるように答えてくる。

「物事の解決法として、真っ先に思い浮かぶのが殺害っていうだけでしょ。どんな相手にもまず話し合いで解決しようとするのと同じくらい、狂ってはいるけどね。どっちにしても、実行するかは……たぶん別のことなのよ」

「……殺し屋同士の、くだらない庇い合いだ」

「べっ、別にあんな奴、庇ってなんかないわよ!」

 突然ムキになって言い返してくるが、貫那はどうでもよく息を吐いた。

 相手は多少、その反応が不服だったようだが、ともかくと続ける。

「要するに――あなたはこんなところで死にたがることない、って言いたかっただけよ。殺し屋としてね」

 そう告げると、彼女もまた去っていく。総司を追いかけるように、小走りになりながら。

 しかし不意。入り口をくぐる直前、彼女はもう一度肩越しに振り返った。

「真っ当に死ねるなら、その方がいいんだから。道場の娘として、お兄さんと幸せに生きて、幸せに死んでいきなさいよ」

 自嘲と諦観を含んだ表情とはちぐはぐに、その声は明るく、励ますようでもあった。

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