第17話

 彼女の背後では、結生が道場の入り口で心配そうにおろおろしている姿が見える。助けたくても、それができないといった表情だった。総司が「余計な手を出したらてめえから殺す」と言い含めていたせいだろう。

(前はそれに助けられたが……殺し屋が他人の助けで生き延びて、どうなるってんだ)

 胸中で呻いて、ともかく意識を貫那へと向け直す。努めて落ち着いた声音を作りながら、

「不在ってことは、てめえの兄はまだ生きてるってことだよな?」

「…………」

 いつでも飛び出せるような態勢を取ったまま、貫那は動かなかった。答えることもせず、苦々しく表情を曇らせながら数秒の沈黙を挟み……

 恨めしい吐息をしてから、言ってくる。

「命を落としてもおかしくないほどの、重傷だった。病院でも意識を取り戻すことはできなかった。ただ……ある機関のおかげで辛うじて一命を取り留めた」

「ある機関?」

 不穏な響きのある言葉に、首を傾げる総司。

 しかし貫那は返答する気なく続けた。

「完治するのは時間の問題だ。しかしそれを待つ必要などない。その間に、私が仇を討つ!」

「殺されてもいねえのに仇討ちとはな」

「黙れ!」

 ずだんっと床板が鳴り、貫那が怒りを見せて突進してくる。

 ただし総司はそれと同時か、あるいはそれよりも若干早く動き出していた――実のところ、このタイミングで向かってくることはわかっていた。

 予測が的中したことにニヤリとしながら、向かうのは前方。

 もっとも猛牛じみた少女と正面からぶつかり合う気があったわけでもない。総司は地面に突き刺さったままのナイフを迂回するように、僅かに右へずれながら、かなり体勢を低くして突撃の横を通り過ぎた。

 背後で床を踏みしめる音が響く。彼女が立ち止まり、振り返ったのだろう。総司はまだどうにか足を止めたところだったが、追撃を受ける前に声を張り上げる

「本当に、それでいいのか?」

 蹴り出す音は聞こえなかった。身じろぎする衣擦れ音だけが返ってきた気がする。

 総司はそこでようやく振り返った――するとそれを待っていたように、貫那が口を開く。

「ふん。貴様が働いた悪行、仇討ちに値しないとでも思っているのか」

 憎しみを滲ませながら、それでも即座に攻撃を仕掛けてはこない。

 またしても位置を入れ替え、今度は最初の時に戻っていた。貫那は道場の中央で槍を構え、総司の横には不安げな結生が立っている。開け放たれたままの背後の扉からは、秋の風が緩やかに吹き込んでくる。

 問いかけの真意を計りかねているのか、牽制のように穂先を揺らす貫那。その刃の鈍い輝きを見ながら、総司はゆっくりと、無手の腕を前に突き出した。

 明らかな警戒を見せる少女に向かって、極端なほど声を落ち着かせて言う。

「そもそも、あの悪行って辺りが誤解みたいなんだがな」

「あれが悪ではないとでも言うのか!」

「いいや、もっと根本の話だが――」

 吐息する。もうこれ以上は、このまま話していても意味がないだろう。

 このままではダメだ。つまり、

「多少無理矢理にでも、聞かせてもらう!」

 貫那が動かないうちに、総司は突き出していた腕を思い切り引き戻した。

 ほとんど身体ごと回転させるほどの勢いで、腕を引く。次の瞬間。

「なッ!?」

 少女が突然にバランスを崩し、その場で転倒した。

 思い切り腕を打ちつけるように、横倒しになる。

「ぐ、何を……!」

 わけもわからないまま、彼女は呻き、身体を起こそうとしたらしい。

 しかしそれは叶わなかった。うつ伏せて両手を付こうとした少女の腕が無理矢理に引っ張られ、仰向けの形で床に強く押し付けられる。

 貫那は驚愕したかもしれない。何に対してかはわからない。転倒したことか、立ち上がるのを妨害されたことか――あるいは見開かせた自分の目に、真っ黒な銃口が突きつけられていたことか。

「動くなってのは古典的だが、まあいい。少なくとも今は刺し違えることもできねえぞ」

 総司は淡々と、そう告げた。小柄な少女の腹に膝を付き、残った足と手でそれぞれ彼女の両腕を押さえつけながら。

「あ、その銃、私の!」

 抗議めいた声が聞こえてくるが、無視する。貫那も聞いた様子なく、怒りと口惜しさの中に、どうして敗北したのかわからないという理不尽な混乱を含めて歯噛みしていた。

 総司はちらりとだけ、視線を彼女の足の方へと送ってから、

「最初に投げたナイフには、鋼線を結んであってな。てめえの攻撃を避けながら、輪っかを作っておいたんだ。あとはてめえがその中に入ったところで鋼線を引っ張りゃいい。ナイフを支柱にした足くくり罠ってところか」

「……どうして私が、そこに止まると思った」

「止まらせたんだよ」

 自分の敗北した理由を知ろうとすることに、総司は嘲りも隠匿もなく答えていく。ただし銃口は向けたまま、引き金に指はかけたまま。

「直情家ってのは怒りやすいが、冷静にもなりやすい。それを外からコントロールする奴がいればな」

「お前が、私を操っただと?」

「活殺術とか言ってやがったな。つまり生かす術も学んでいるってことだ。人を生かすのに何より必要なのは、冷静さだ」

 志保沢流活殺術。貫那自身がそう名乗ったし、看板にもそう書かれていた。戦いの中では槍術、それも殺人術としての一面しか見えなかったが、正義に拘る彼女が誇るのだから、偽りはないのだろう。

(正しいかどうかはわからねえけどな)

 胸中でひねくれながら、続ける。

「多少なりとも冷静になると、人は立ち止まるもんだ。相手の動きを見極めようとしてな。そして、てめえがそうなるタイミングってのは会話、特に正義だ悪だの会話の中だ」

「…………」

 下敷きにされた表情から、怒りと驚愕とが抜ける。その分だけ口惜しさを大きくして、彼女は小さく呟いてきた。

「殺せ」

「殺したけりゃ、出会い頭にぶっ放してるさ」

 総司は僅かに銃口を引いた。ただし狙いをさらに脳へと向けながら。

「聞かせてもらうぞ。どうして俺を殺そうとしたのか、その根源をな」

「…………」

 貫那の黒い双眸に、希薄な生が揺れている。それは悔恨かもしれず、諦観かもしれない。

 いずれともつかない声音で、彼女はぽつりぽつりと語り始めた。

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