3
第16話
■3
「本当に行くわけ?」
朝。なぜか横をついてくる女、在原結生が不安そうに聞いてくる。
何度も繰り返された問いに、総司は面倒臭くなりながら横目で彼女を睨みやった。黒い髪と、それを纏める銀色のかんざしは変わらない。服装は以前に見た時と大差ない。パーカーが白い長袖のカットソーと薄い桃色のカーディガンになっているだけで、スカートとレギンスは同じだった。
微妙にちぐはぐに見えるが、殺し屋として動きやすければなんでもいいのだろう。実際、自分も似たようなものではあった。単なる黒いTシャツとズボンだ。
ぼーっとそんなものを確認していると、結生がなぜか頬を赤らめ、そっぽを向いた。面倒な勘違いをされている気がして、遅まきながら返答する。
「自分を殺そうとする相手のアジトがわかってんだ。行かない手はないだろ」
名前さえわかっているなら、そこへ向かうことになんの苦があるわけでもない。
ましてそこは秘密結社ですらない、単なる――道場なのだから。
総司の住むアパートからは、学校を挟んで正反対の方角にある。それでもさして距離があるわけではない。河川に沿って建っているため、迷う心配もなかった。
周囲には細い車道か、畑か、時折の民家しかない。見通しがいい分、ひと気はほとんどなく、閑散というより空漠としている。川はそもそも岸がなく、草が生い茂って鬱蒼とした森めいているため、休日だというのに釣り人すらいない。
――そんな中に現れた長い生垣と、古い豪邸を思わせる大きな木の門は、異質といえば異質だった。
「ここだな」
志保沢流活殺道場。門柱には、仰々しい字体でそう書かれた看板が掛かっていた。
それと総司とを交互に見つめながら、結生がまた言ってくる。
「やっぱりもっと慎重になった方がいいんじゃない? 罠があったりするかもしれないし」
「襲われるのを待つよりマシだ。だいたい、てめえにそんな心配されるいわれはねえ」
「なっ、べ、別に心配なんてしないわよ! ただ、その……ご、誤解なのはわかったけど、私は今でもあんたを殺すつもりなんだから!」
「なんで誤解が解けても殺されなきゃならねえんだ」
言い返してから、軽く鼻を鳴らす。
「ともかく、罠が待ち構える相手の特権ってことはないだろ」
結生にはなんのことかわからなかったようだが、無視して門を押し開く。鍵が掛かっているわけでもなく、それは簡単に開けることができた。
そこを通り抜けると、正面に道場が建っている。一見すればそこそこの広さを持った平屋の民家と思える、切妻屋根を持つ正方形の建物。平入りだが独立した通路めいた庇を付けられており、入門者を呑み込むような威風を感じる。
回り込めばその後ろに建つ正真正銘の民家――まさに古い豪邸といった邸宅へ行けるようだが、総司はまっすぐに道場を目指し、庇の下をくぐっていった。
戦いの場所があるのなら、そこへ行った方がいい。どうせどこであろうと、敵は顔を出さざるを得ない。
そも、そんな考え以前に。
道場の扉を開くと、そこには既に敵がいた。
板張りの広間。いくつもある窓から朝陽を取り入れながら、そこは輝いているようにも見えた。古びているが、丁寧に清掃されているのがわかる。
私物もほどんどない。門下生がいないのかもしれない。いずれにせよ、道場内はただ板の床が広がるだけで、何もない。ただ入り口から見た真正面の壁に、額縁が見えた。
『正しきを問う』――ハッキリとした力強い字体で、そう書かれている。看板と同じ手によるものかもしれない。
それを背負うように、敵がいた。
道場の中央に座す、白い稽古着に身を包む少女、貫那。
彼女は道場内が自分のテリトリーであるかのように、総司が一歩踏み込んだ瞬間、ハッと目を見開いた。
そして床に置いていた槍を手にし、飛び跳ねるように立ち上がって構える。
「貴様……真籐総司!」
「とりあえず、罠はないみたいだな」
吼えられて、しかし逆にそれで許可を得た気がして、二歩目を踏み出す。完全に両足を道場内につけると、貫那は今にも飛びかからんばかりに激昂を剥き出しにしてきた。
暗闇の中で深く染まっていた黒い髪が、朝陽を受けて今は燃え盛る炎に見える。道場全てを飲み込まんばかりの、怒りの熱気が逆巻く。
「性懲りもなく……今度は直接、奪いに来たというのか!」
「奪いに?」
違和感のある言葉に、総司は首を傾げた。命を奪いに、というのならば意味は通じたし、間違いないことだろう。
しかし彼女が発した気配の中には、それとは別のものが感じられた。単純な殺意とは違う――命懸けの、なんらかの決意が見て取れたのだ。
(まさか……)
嫌な予感を抱き、顔を歪める。その間も、貫那の方は怒り狂った叫び声を上げていた。
そしてそれが不幸なことに、予感を確信へと変えてきた。
「兄上は不在だが、構わん。今は私が、道場を守護する役だ!」
貫那の足元が弾ける。そのように見えた。次の瞬間、認識できたのは以前と同じ突進だった。長大な槍を突き出しながら、今度は朝陽の中でその姿がハッキリと見える。その分だけ速さが際立つ。
床板が踏み抜かれるけたたましい音を耳障りに思ったのは、右へと飛び退いた後だった。少女が音速を超えて向かってきたというわけではないだろうが――
少なくとも総司の投げ放ったナイフよりは数段速かった。貫那が動き出すのと同時に投擲したのだが、それは彼女の右足の脇を通り過ぎ、槍が突き出されたあとに床に刺さった。
総司はそれを見やりながら、もう一度、転びかけていたために両手足で床を叩いた。今度こそ倒れながら前方へ転がると、直後に背後で板を破壊する音が響く。
立ち上がるのと、振り返るのを同時に行う。視界に捉えたのは、怒り任せに突き破った床板から槍を引き抜き、またしても突進してこようとする貫那の姿だった。
引き抜く動作の分だけ、僅かだが最初より余裕が生まれている。総司はその間に思考を巡らせた――貫那の動作、性格、性質、弱点。そして彼女が恨めしく吐き出していた言葉。
(結局は、厄介ってことだな)
毒づくように胸中で結論を出して、飛び退く。激昂する少女が見せる異常なパワーを持った大振りの攻撃は、全力で回避しなければならない。無理にカウンターを狙って打ち込んだところで、以前のように手痛い反撃を受けるだけだろう。
体力勝負では奇妙なほど勝てないことを、総司は認めていた。だからこそできる限り遠ざかるようにしながら――刃ではなく、言葉を向ける。
「てめえの兄――徹真とか言ったな?」
「……?」
丁度、道場に足を踏み入れた時と真逆の位置で。投げかけられた言葉に、貫那はどこか不愉快そうに、ぴくりと片眉を上げて動きを止めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます