第15話
道場は、相応の年季を湛えている。
古びているというだけでなく、同じだけの威風と落ち着きを持っているということだ。
建物も生きている、と語る者がいる。それは往々にして歳経た驕り深い建築家や、その評論家の類だが、貫那もこの道場にだけは生命を感じていた。
幾人もの生徒と、その苦悩、挫折、成長を見つめ、内包してきた道場。その中央に座し、瞑想に耽ると、そういった感情が伝えられるような気がする。錯覚だとしても、それは心地良い重圧だった。
「帰っていたのかい、貫那」
深夜をも過ぎた暗闇の道場。そこで声をかけられて、貫那はハッと顔を上げた。
振り返れば、闇夜に慣れた目がそこにいる人物を的確に見つけ出す。ほとんどシルエットしか見えないが、見間違うはずもない。
貫那は慌てて立ち上がると、頭を下げるように目を伏せた。
「兄上の方こそ……お戻りになられていたのですね」
「夜にね。入れ違いだったかな」
軽く答えながら、その人影――志保沢徹真はゆっくりと歩み寄り、妹の頭に手を置いた。貫那はそれを、どこか気恥ずかしく受け止めながら。
「お体の方は……」
「問題ないよ。今日の治療は少し長引いたけど、経過は順調らしい」
「そうですか……よかった」
安堵して、少し表情を和らげる。暗闇の中、兄には見えないかもしれないが、その方がいいかもしれない――今の自分は強く在らなければならない。
しかしそうした感情を見透かしたように、兄は負い目に呟いてきた。
「すまない。僕が万全なら……」
「いいえ。兄上の恨みは私の恨みです。あのような悪、私が必ず」
「ありがとう、貫――っぐ、う!」
不意に、兄の身体がぐらりと揺れた。
小さく悲鳴を上げて、慌ててそれを抱きとめる。兄も辛うじて足を踏ん張り、倒れることだけは避けたようだった。
貫那はその時……兄の身体の軽さに歯噛みした。元より重量のある人物ではなかったが、それでも今は、自分よりも軽いかもしれないとさえ思える。
「すまない、貫那……」
「いえ。……兄上、また私の身体が必要でしょうか」
どこか凛とした、なんらかの自己犠牲を厭わない顔を見せる貫那。しかし徹真は大きく呼吸しながら、小さくだけ首を横に振った。無理を押して微苦笑を漏らしながら。
「そういう言い方はするものじゃないよ。僕は大丈夫……これは、むしろ回復の証なんだ」
「……わかりました。ですが無理はなさらず。必要な時は、いつでも仰ってください」
「ありがとう。身体が治ったら、その時は必ず僕も――」
その言葉を、貫那は途中で止めさせた。
「心配は無用です――奴の躯を、兄上の完治の祝いにしてみせます」
兄の身体を起き上がらせ、肩を貸して道場を後にしながら、強い意志を込めてそう呟く。
それに対して、兄は微笑しただけだった。自分はまだまだ弱く、信じてもらえていないのかもしれない。頼りにならないのかもしれない。
しかしそれでも、実現させなければならない。
「兄上をこのような身体にした恨み……必ず、晴らしてみせる」
囁きは口の外に出ない代わり、血液のように全身を駆け巡った。
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