第14話

 総司は迫り来る女から、横へ逃れるために身構えた。

 が――今度は突進ではなかった。槍を、長大な剣のように振り被っている。

 そのことに気付き、飛び退く方向を瞬時に後方へと変える。リーチを考えればそれもかなり困難だったが、穂先は辛うじて鼻先を掠めるに留まった。

「こっちも、誰かが恨んでる奴を殺すだけなんだがね!」

「そこに善悪を問うたことがあるか!」

 軽口めいた皮肉な挑発にも、貫那は過敏に反応を示した。怒りを増し、さらに苛烈で強靭で、大振りな一撃を放ってくる。

 薙ぎ払うだろう、ということは予測できた。怒り任せの一撃がくるというのは、予測というよりコントロールによるものだとも言える。怒りを感じた時、たいていは身体を大きく動かそうとする。

 総司はその刃が避けづらい胴体付近を狙っているのを見て取ると、身体が分断させられるより早く前へと駆け出した。

 振り回される刃の内側。貫那の腕目掛けて身体を投げ出し、手首にナイフの刃を滑らせる。これで相手は槍を持てなくなる――

 はずだったが。手首を叩かれたのは、総司の方だった。

 一瞬、何が起きたかもわからないまま、総司はさらに続けて胸の辺りを強く殴打された。アスファルトの地面を転がり、何メートルか離れたところでうつ伏せに止まる。

 全身を駆け回る激痛に耐えながら、それでもなんとか顔を上げると、貫那はまだこちらへは向かってきていない。がらんがらんっと、けたたましい音を立てながら地面を滑っていく槍を、ゆっくりと歩いて追いかけていた。

(途中で槍を手離して、身体の勢いだけはそのまま、素手で攻撃してきた? 冗談だろ)

 やはり信じがたい身体能力だった。暗闇の中で見える細身の中にどれだけの筋肉が隠されていようと、到底可能とは思えないものではある。

(本当に、あの悪趣味医学者を思い出させやがる)

 もっとも、記憶にある医学者は、もはや人間の限界を超えているとさえ思えたが――

 その時の光景を思い出そうとしている間に、貫那は再び槍を持ち上げた。総司もようやく立ち上がれる程度に回復する。まだ衝撃が身体に残り、息は切れ切れのままだったが。

「貴様に正義があると思うな、殺し屋」

「思っちゃいねえよ。正義問答するつもりもねえ。こっちは正義も悪もなく、ただ言われた通りに殺すだけなんでね」

「そのような惰性で罪なき者を殺めながら、のうのうと生き続けるなどと!」

 彼女はやはり、かなりの直情家らしい。髪を逆立てるほどに怒りの気配を発すると一際大きく槍を構えた。

 それを回避できるかどうかはわからない。銃でも持ってくればよかったと、総司は苦笑した。最近は銃の使用を禁じられる依頼ばかりだったため、失念していた。狙いを外した流れ弾が標的以外に当たってしまう、ということを警戒したわけではないが。

「はぁッ!」

 吼えて、貫那が飛び出してくる。振りの大きさから流石に一歩では届かないだろうが、三歩は必要ないだろう。その二歩目の足が、地面に着く――

 瞬間。

「そいつは……私の獲物よ!」

 声と共に、貫那の背後から何かが飛来した。

 それは小さな、刃だった。細い銀色の帯を作りながら、真っ直ぐに貫那の足へ到達する。

 刺さる音がしたわけではない――聞こえたのは貫那の小さな悲鳴と、転倒する音だった。

 腱にナイフが浅く刺さっている。見覚えがある。かんざしに仕込まれていたものだ。

「殺し屋の在原と言ったら、副理事代理だけでなく秘器の使い手としても知られてるのよ」

 得意げに言いながら、暗闇の奥から現れたのは他でもなく、結生だった。身体にはまだ多少縄が巻きついているが、口と手足の拘束は解いたらしい。ナイフで切断したのだろう。

「てめえ、勝手に何してやがる!」

「何よ、助けてもらったんだからありがたく思いなさいよ」

 総司が抗議の声を上げると、彼女は反駁してきた。

「俺が殺されようと、てめえには関係ねえ。そうやって恩を着せられる方が屈辱だ」

「べ、別に恩を着せようと思ったわけじゃないわよ。ただ、その……あんたの命は私のものなんだから、他の人に殺させたくなかっただけよ!」

「どういう理屈だ、それは」

 忌々しく呻く。

 そうするうち、貫那が起き上がり始めた。疎ましくナイフを引き抜き、放りながら。

「くっ……なるほど。殺し屋同士で恋仲に、というわけだったか」

「だから恋人じゃねえ!」

 反論したのは総司だけだったが――ともかく。

 貫那は立ち上がると、前後を挟む殺し屋の姿を交互に見やった。瞳に怒りを灯しながらだが、同時に口惜しそうなものも見せ、それを声にする。

「流石に、このままふたりを相手するのは困難だな」

「逃げられると思ってる? 殺し屋に手を出すのがどういうことか、わかってるんでしょ?」

 なぜか得意げな結生。総司は未だ警戒を解かないままだが……いずれにしても、貫那には無関係のようだった。

 彼女はどこか嘲るように不敵に笑うと、懐から小さな球を取り出した。

 それがなんであるかは、言われずとも察することができる。ましてそうでなくとも、すぐにその効果は発揮された。

 球が地面に叩き付けられる。同時に、そこから爆発のような煙が膨れ上がった。

「またかよ、古典的な!」

 総司が毒づく中、ぼちゃん! と何かが海に落ちる音が聞こえた。

 その正体は濛々と立ち上る煙のせいで、すぐに確認することはできなかったが、予想することはできた。そして煙が晴れた時、貫那が消えているのを見て確信する。

 急いで海の方へ近付くが――真っ暗な海面にはなんの姿も見つけられなかった。

「ここから逃げた、か」

「海に飛び込んで!? 槍を持ったままなんて、無茶でしょ」

「それくらいはやりそうな奴だ」

 そう見せかけただけかもしれないが、いずれにせよ総司は、厄介そうに顔を歪めた。

「また、復讐か。殺した相手なんか覚えてねえってのに」

「前にも少し言ったけど、そういういい加減な態度がダメなのよ」

 結生が横から説教してくる。なぜか得意そうに胸を張って。

「うちはそんなことがないように、名前と暗殺日時と場所と死因を全部記録してるわよ」

「……気持ち悪いな、お前の家」

「なんで!?」

 全く自覚なく、心外そうに驚く結生。

 ともかく――総司はもう一度、海を見つめた。暗闇の海。黒く、奥には何も見えない。

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