第13話

 指定されたのは、港湾だった。浦ヶ崎港という名前だったか。

 よくよく縁のある場所ではある。数日前に”仕事”をしたのもこの場所だったし、一年前の黒兼破才も、ここで殺した。

 何か特徴的なものがあるわけではない。ただ、近隣には民家がほとんどなく、せいぜい何かの大きな研究所が建っているくらいで、人通りが少ない。まして深夜になれば港も空っぽになるため、”仕事”をするには都合がいい場所ではあった。場合によっては、死体や証拠品を海へ投棄することもできる。

 誘拐相手がこの場所を選んだのも、そうした理由だろう。

(そもそも、返してもらわなくていいんだがな)

 奪われたのは自分を殺そうとしていた、それも勘違いで殺そうとしていた相手である。排除してもらえてありがたいと言えるほどだ。

 しかしそれでも指示通りにやって来たのは――無視するのも面倒なことになると判断したからに他ならなかった。

(明らかに自分を狙っている敵がいて、正面から戦える場を勝手に作ってくれたんだ。これに乗らない手はない)

 無視すれば、別の暗殺手段を用いてくるに違いない。それをいちいち警戒しながら過ごすくらいなら、この場で倒してしまった方がいいだろう。そうした合理的な思考によってのみ、指示に従った。戦闘用の黒衣を着込んできたのも当然、そのためだ。

「来たな、真籐総司」

 暗闇の底から、呼びかけられる。

 実のところ、港内の詳細な場所までは伝えられていなかったのだが、元よりその必要はなかったらしい。暗く染まった海を横目に歩いていれば、それはすぐに見つけられた。

 係船柱の脇に、人影が二つ。そのうち一つは見慣れたシルエットである。ロープでぐるぐるに縛られ、猿轡までされた在原結生。何やらむーむー呻っているが、無視しておく。

 そしてその手綱を握るように立つのは――見知らぬ女だった。

「てめえが誘拐犯か。古典的なことをしやがるから、どんな老人かと思ったが」

「生憎、お前のような悪党と違い、この手のことには不慣れだ。近代的な巧妙な仕掛けなどというものには精通していない」

「なんの弁明だかわからんが」

 肩をすくめて、さらに近付く。夜の闇の中、あと数メートルという距離にまで達すれば、相手の姿がハッキリと認識できる。

 硬質で冷たく、突き刺すような鋭い声音は年上かとも思ったが――実際に見れば、それは少女だった。

 結生と同程度の背丈だろう。結生よりも細身であるため、小柄に見えた。肩にかからない程度の黒髪が潮風になびき、彼女の頬を撫でている。

 吊り気味の目は生来のものではなく、常にそうした顔をしているせいか。瞳自体は大きく、剣呑な雰囲気とは対照的な幼さがあった。それを見て、年下だと思い直す。

 肌寒い季節の港だというのに、黒のタンクトップという姿をしている。白いズボンは、どこかの道場の稽古着を思わせた。

 しかし、総司が最も驚き、目を引かれたのは、彼女が手にしている”得物”だった。

 月明かりを浴びるのは銃でもナイフでもない。彼女の背丈と同じ長さをした、槍だ。

 それも刃が大きく、鍔のない長大な剣の、柄だけを長くしたという代物に見える。先端に返し刃がついているため、突き刺すことを目的としているのがわかるが、切断することも不得意ではないのだろう。

「……殺し屋にしちゃ、随分と大仰なものを持ってやがるな」

「殺し屋だと?」

 不愉快そうに眉が吊り上がる。刃を天に向けて立てられた槍が、僅かに揺れた。

「お前と一緒にするな。私は、そんな下賎ではない」

「人質まで取っておいて、よく言う」

「ふん……」

 少女はちらりと、結生を見やった。必死に身をよじり、むーむーとうるさく騒いでいるが、特に黙らせるようなことはせずに。

「確かに、この女には悪いことをしたな。しかし当人の責任でもある。恋人を作るのなら、真っ当な相手を見極めるべきだ」

「誰が誰の恋人だ!」

「む、むーむむぅっ」

 ふたりが同時に声を上げる。少女はその反応に一瞬驚き、眉をひそめたようだった。

「違うのか? お前たちのクラスメイトから、そう聞いたのだが」

「断じて違うわ!」

「む、むふっ、むむーむぅ」

 抗議に叫ぶのは、総司である。しかし一方で、結生の方はなぜか強い抵抗を見せなかった。否定しているような素振りではあるが、どこか照れるように、縛られたままの身体をくねらせている。

 少女はそんなふたりを交互に見やって、

「……まあいい。真籐総司、お前を誘き出すことさえできれば、それで十分だ」

「誰も彼もいちいちフルネームで呼びやがる。それで、てめえはなんの用だってんだ?」

「知れたこと」

 静かに告げると、結生を地面に放り投げた。ぼてりと落ちる女を無視して、槍を構える。

「名乗っておこう。志保沢貫那(しほざわかんな)。志保沢流活殺術道場、師範代代理」

「代理とはまた、微妙な肩書きだな」

 軽い挑発を含んで言うと、彼女――貫那はそれを当然として受け止めながら、別の部分で怒りを感じたようだった。ぎりっと歯を噛み締めたのがわかる。槍を握る手に力が篭る。

 打ち込んでくる、と直感した。そしてその直前、貫那は叫んだ。

「師範代は私の兄上……貴様が殺そうとした、志保沢徹真(しほざわとおま)だ!」

 地面が蹴り付けられ、少女が弾丸のように飛び出してくる。少女だとは信じがたいほどの、さらには長大な槍を持っているとは思えないほどの速度。彼女は数メートルの距離を、たった一歩で無にしてきた。

 驚愕しながらも反応できたのは、ひょっとすれば一年前にここで戦った相手――黒兼破才のことを思い出していたからかもしれない。見た目や肩書き、印象からはかけ離れた身体能力の持ち主。その手合いに対する心構えを、自然と作っていたのか。

 総司は既に抜いていたナイフを、槍の刃に向かって突き出した。刃同士が触れ合い、不快な音を立てる。その音が耳に届くよりも早く、身体をずらしながら手に力を込める。

 槍の軌道が微かに変わる。総司の腹を貫くものから、半身を引くようにした脇腹を掠める程度のものへと。

 革製の服が引っ掛けられ、裂傷を作られる。一瞬、真空波によるものではないかとすら思ってしまうほど、鋭い一撃だった。

 貫那はそのまま総司の横を通り過ぎると、数歩分ほど先へ進み、急停止して振り返る。

 その動作には隙がなく、異常なほどの練磨が見て取れた。相手に背を向けないのは重要なことだが、大仰な武器を持ったまま慣性を殺し、即座に反転するのは困難極まりない。

 さらに彼女は信じがたいことに、直後にはまた地を蹴って突進してきた。自分の身体を隅々まで熟知し、その筋肉の動きを徹底的に支配できていなければ、そんな芸当は不可能だろう。そもそも――

「くそっ!」

 毒づき、倒れ込むようにして、総司はその場から飛び退いた。突風のような槍がそのすぐ後ろを通り過ぎていき、肝を冷やす。彼女に負けないほど可能な限り素早く立ち上がり、構えを取り直す。貫那もその時にはもう、こちらへ槍を向けていた。

「そもそも、競技じゃそんな体術は必要ねえ。殺し屋の領分だな」

「言ったはずだ。貴様のような者と同じにするな」

 間合いを計るために言うと、彼女は律儀にも反論してきた。よほど耐え難いのだろう、その顔に強い怒りが上塗りされていく。

 総司はそこに、挑発のように言葉を被せた。

「よく言う。まさに今、俺を殺そうとしてるくせによ」

「正義は不殺に非ず――」

 凛と張り詰めた、それこそ槍のような声で、彼女は言ってくる。

「禍根を消し去るため、時として自らの手を汚してこそ貫ける!」

 再び。彼女が駆ける。

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