第11話

「真籐総司――」

 名前を呟く。

 体育館裏というある種の閉鎖空間の中。周りには誰もいないが、独り言ではない。

 品のない落書きが並ぶ体育館の壁面に背を付けないようにしながら、彼女は受話器に向かって続けた。

「確認した。情報の通り、間違いない。しかし……」

 薄暗い閉所。朝練に勤しむ学生たちの声が耳に届く中、それとは対照的な冷たく、静かな声音で。

「周囲に邪魔な人間がいる。確か、恋人と噂されていたはずだ。そのせいで容易には接近できない」

 どうしたらいいかと助力を求める。答えてくる声は、彼女よりもさらに冷たく、また深いものだった。おぞましいとさえ感じるのは、指示の内容によるものだったかもしれない。

 ただ、彼女はそれを聞き、抵抗を見せた。顔をしかめ、声音に低いものを混ぜる。

「私が狙うのは、あくまでも真籐総司ただひとりだ。私は……殺し屋ではない」

 受話器の向こうから、可笑しそうにくつくつと笑う声が聞こえてくる。それに苛立ちを覚えるが、激昂したところで意味のないことではある。堪えていると、声は続けてきた。

 それは説得というより、弁解だったかもしれない。いずれにせよ、彼女を全く納得させるに必要十分と言えるほどではなかったが――

 最後に付け加えられた一言で、彼女は決意をしなければならなくなった。

『真籐総司を殺したくはないのか?』


 下校時間と共に、素早く帰る。それは元々、依頼に備えるためだったのだが、最近では風音に捕まらないためという理由が大きくなっていた。

 この日は首尾よく成功した。というより風音に用事があるらしく、先に帰っていた。

 しかし代わりに、予期せぬ相手に捕まった。

「下校時間もおおむね調べた通りね、真籐総司」

「…………」

 わざわざ名前を呼んでくること以前に嘆息する。朝と同じく、校門の脇には在原結生が立っていた。

「べ、別に待ってたわけじゃないわよ? たまたま私も今から帰るところだったけど、あんたの姿が見えたから、話しかけてみただけよ」

「そもそもなんで話しかけてみるんだよ」

 総司は答えながらも、半ば無視する形で結生の前を通り過ぎた。彼女はそれを同行の許可だとでも思ったのか、ぱたぱたと後ろについてきながら。

「そ、それはほら、あの……近所にアウトレットパークがあるでしょ? もしも帰りにそこに寄りたくなることがあったらと思って」

「ならないし、だとしてもお前にどう関係があるんだ」

「私も行こうかなぁと」

「ひとりで行けよ!」

 言われて、結生はショックを受けたようだった。小走りになって横に並び、口を曲げて。

「それじゃ意味ないでしょっ。そんなの、ただ買い物するだけになっちゃうじゃない」

「買い物するところだろうが」

 それでも結生は納得しないらしく、むうと呻っている。総司は呆れと疲労と疎ましさと、とにかくそういったものを詰め合わせて吐息した。そこに、同じ感情を含む声を乗せる。

「ったく……親の仇とか言ってたくせに、なんなんだよ。待ち伏せなんてしやがるから、今度こそ殺しにきたのかと思ったが」

「ハッ!」

 言葉に、結生は何かを思い出したように目を見開いた。電流でも走ったような顔をして、足を止める。彼女はどうやら、慌しくかんざしに仕込まれたナイフを引き抜いたようだった。そして慌しく、言ってくる。

「ち、違うわよ、忘れてたわけじゃないわ! こうして油断を誘ってただけよ!」

「……そうかよ」

 色々言いたいことはあったが、呆れた声を返すだけで全てを流す。

 かなり興が冷めている上、自分から藪をつついてしまった感はあるものの、決着が着けられるならその方がいい。

 総司はそう考え、足を止めて振り返ると、自分を殺そうとする女と対峙した。

 学校から西、車一台分ほどの細い道路である。左右を塀で囲まれているのは、住宅が並んでいるために他ならない。しかし幸いにして、この通りに正面を向けている家はなかった。たいていの場合、北にあるアウトレットパークの方を向くか、南の河川の方を向く。ある意味で、ここはその中間地点とも言える場所だった。

 そうした場所であるため、時間帯も含めて人通りが少なく、区画自体が整頓されていないおかげで長い直線の道でもなく、見通しが悪い。誘拐注意の貼り紙がいくつも見つけられるのも納得がいく。

 結果、適当に止まったにしては上出来の場所だった。殺し合いをするには適している。

「そうよ、私はあんたを殺すのよ。私の父親、在原剛三の仇を討たなくちゃいけないの。一年前……あの時から、必ず犯人を殺してやると決めたんだから」

 どこか自分に言い聞かせるように、結生が言ってくる。彼女が語るのは、父が殺された当時の出来事のようだった。

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