第9話
「……で、なんの用なんだよ。お前の脳に、殺す以外になんかあるのか?」
「…………」
挑発には反応を示さず、結生はコップを握ったままで黙考した。何を考えているのかはわからなかったが、やがて小さく呟いてくる。
「実は昨日、隣のクラスの男に言われたのよ」
「言われた? 何をだよ」
「…………好きです、付き合ってください。って」
総司は二度ほどまばたきした。その間、恥じるように口を尖らせ、斜め下に視線を逸らす殺し屋の女を見つめて……ぽんと手を打つ。
「耳鼻科の病院はちょっと遠いな。あるいは精神科か? けど、この辺は小さい総合病院しかないしな」
「聞き間違いでも妄想でもないわよっ」
怒ったらしく、結生はコップを持ち上げてきた。しかし流石に投げつけるまではせず、犬歯を見せながら元に戻す。
「そりゃまあ、私だって聞き間違いだと思ったくらいだけど」
「本当だとしたら、物好きもいたもんだな」
もっとも相手の男は、結生が殺し屋であることなど知らないのだろうが。
「けど、それがどうしたんだよ。惚気話でもしたいなら別のところに行けよ」
「違うわよ。というか、まだ返事もしてないのよ。だから……」
「だから?」
結生はコップを両手で握った。もう中身の入っていないそれを口元へ持っていき――深刻に、ぽそりと言ってくる。
「……私、どうしたらいいのかしら」
「知らねえよ!」
即座に、総司は声を返した。
「なっ……何よ、その態度!」
少女が不満に身を乗り出してくる。
「こっちは意を決して相談に来たんだから、ちょっとくらい親身になって考えなさいよ」
「なんで自分を殺しにきてる奴の恋愛に親身にならなきゃならねえんだよっ」
「それは! だって、その……」
口論のような調子になりかけて。しかしその声はすぐに萎んだ。
身体を引き戻し、独り言のように呟いてくる声は――すがるようでもあった。
「仕方ないじゃない……私の、本当の顔を知ってるのは、あんただけなんだし」
「……親を殺した責任を取れってことか?」
「そんなんじゃないわよ。ただ、私の頭には殺すことしか入ってなかったってだけよ」
ふと、声音に投げやりなものが混じる。そして同時に、何かを諦めるように肩をすくめた。小さく吐息しながら、それに舞い上げられるようにふらりと立ち上がる。
結生はそのまま窓の方に向かって踵を返した。総司が怪訝な顔を見せたのを察するように、肩越しに振り向いて。
「悪かったわね、急に。やっぱり自分でなんとかするわ。よく考えたら、親の仇相手に悩み相談なんておかしいわよね」
落ち着いた、というより落下した声音に、総司はさして何を感じたわけでもなかった。
同情など無意味だし、引き留める義理もない。どれほど彼女の様子がおかしいとしても、関係ないという他にない。
そう思ったからこそ、総司は顎で外を示し、さっさと行けと示したのだが。
「最初に気付けよ。俺は元々門外漢だ。だいたい――」
そう思ったのなら、何も言わずに見送ればいいはずだったのだが。
なんとなしに、総司は言葉を付け加えていた。
「悩むってことは、嫌な理由があるんだろ。考えるべきはそっちだろうが」
「嫌な、理由……」
結生はそれを、小さく繰り返した。驚いてきょとんと目を丸くしたように、あるいは何かに気付いてハッとしたように。
夕暮れを受ける顔から、物憂げで陰鬱な影が消えて、鮮やかな朱色に染まっていくようにも見える。
彼女は何かを言おうとして口を開いたらしい。が、言葉にはならず閉じられた。
「なんだよ、今度はそっちの相談か? 御免だぞ」
「ううん、違うわよ。違うけど……なんとなく解決した気がするから、もういいわ」
諦めにではなくそう言って、苦笑する。総司は訝って眉をひそめたが、それに対しても笑ったのかもしれない。
結生はもう一度、改めて窓の方へ向かうと、外へ出る直前に頬をかいた。肩越しに、ぽつりと置いていくように、囁く。
「その……ありがとね」
それが聞こえたかどうかも確認しないまま、彼女は仇敵の部屋を後にした。
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