第5話
青黒い夜。
星はないが、月だけは妙にハッキリと見えるような、そんな空の下で。
(結局なんだったんだ、今日のあれは)
総司は港に積まれたコンテナの上に立ち、考え込んでいた。
(俺に殺された親の仇を取りにきた女――)
在原結生。その名前と、声と、姿を思い出す。
眼下では現実の光景として、誰かが走ってきたようだった。迷路のようになった、コンテナとコンテナの隙間を慌ててすり抜けていく。総司はそれを目で追って。
(俺の殺した人間に家族がいることも、それが俺と同じ年齢で、同じ高校に通っていることも、全くないわけじゃないだろう)
人影が遠ざかった頃、それとは別の方向に身体を向ける。隙間を越え、向かいのコンテナに飛び移る。さらにもう一つ。そして今度は、連結したコンテナの上を歩いていく。凸凹とした鉄箱の道。
(実際、それに近い位置――別の高校に通う、一つ年下の女の肉親を殺したこともある。名前は忘れたが、その情報だけで標的を見つけ出すところから、なんて言いやがって。殺し屋と人探しは別だってんだ)
愚痴っぽく胸中で呻き、ガンッと踵でコンテナを叩く。暗闇の奥底に顔を出した人影が踵を返し、別の方向へ駆けていくのが見える。
(けど……何かおかしい。決定的に間違ったことがある。そんな気がするんだよな)
違和感だけが先行して、頭を悩ませてくる。焦れるような不快感に苛まれるが、いくら考えても答えが出せそうになかった。ごく単純なことだという予感だけがして、それがなおさら不愉快に神経を昂ぶらせてくる。
(ついでに風音はなんなんだ。俺に付き纏うなんて頭がおかしいとは思っていたが――)
と。その辺りで、総司は思考を打ち切った。
何かによって阻害されたわけではない。強いて言えば自分自身の身体が止めてきたのだ。
思考と行動が完全に分離した中で、総司は気付けば地面に降り立っていた。
そしてその目の前には――驚愕した顔を見せ、硬直する男の姿があった。一般的なスーツ姿をした、小太りの中年である。
闇夜では見づらいが、それはお互い様だろう。総司の姿もほぼ黒一色だった。身体に張り付く、光沢のない革製の衣服。どこか軍服じみているが、実際に似たようなものかもしれない――つまりはそれが総司の、殺し屋としての制服だった。
「ま、待ってくれ! 助けてくれ、金なら……」
今回の標的である男が、怯えきった声音で言ってくる。
が、総司は何も答えなかった。せいぜい、どうしてこの手合いの言葉は全て同じなのだろうかと考えるだけで、無言のままナイフを構える。
暗殺を最も効率よく行うのは銃による狙撃だが、それを使うわけにはいかなかった。依頼主の注文のためだ。最近はそうしたものが多い気がする。
総司は波の音だけが支配する港で、それに紛れるように地を蹴った。暗闇の中だが、歩数にして二歩分程度の距離である。よほどのことがない限り、目測を誤ることなどない。事実、鈍い銀色をした刃は真っ直ぐに標的の喉下に突き立てられようとして――
「もらった!」
一瞬、雷でも落ちたのかと錯覚する。
それほどまでに唐突な勢いと鋭さ、苛烈さを持った声音が静寂とした夜の港を引き裂いた。同時に、実際に上から質量が降ってくる。
総司の頭上――当の殺し屋は咄嗟に身をひねり、無理矢理な体勢に舌打ちしながら地面を転がった。すぐさま身体を起こし、落下物を見やる。それは総司と同じような格好をした、黒尽くめの女だった。
「お前は……」
総司が苛立ちに呟く。相手は覆面もしておらず、素顔を晒している。そしてその顔には見覚えがある。特徴的なかんざしも、月の光を浴びて存在を主張していた――在原結生。
「てめえ、何しにきやがった。しかもこんな時に」
少なからず怒りと苛立ちを滲ませる、総司。しかし結生のほうはどこか得意げだった。
「他人を殺している最中なら、自分の守りが甘くなるはずと読んでいたのよ」
「……殺しの最中に割って入ることが何を意味するか、わかってのことだろうな?」
「当然よ」
結生が不敵な笑みを浮かべ、かんざしを構える。総司もそれに応じ、即座に殺してやろうと考えるが――彼女が小さく身じろぎし、何度も懐を気にする仕草を見せるのに気付いていた。そこに何か”秘策”でも隠しているのだろう。だとすれば迂闊には攻め込めない。
まして、今は――
「そうだ、あの男は!」
ハッと気付いて、総司は標的の男を探した。
すると闇夜の中、紛れ込むようにコンテナの隙間に入り込んでいく人影の背中を発見する。ふたりの対峙を好機と見て、素早く逃げ出していたらしい。
総司は舌打ちしながら、目の前の女を無視してそちらへ身体を向けた。急ぎ追いかける。
「逃がすか!」
「な、待ちなさい! それはこっちの台詞よっ」
「てめえは関係ねえだろうが!」
自分を追いかけてくる結生に言い返し、男の曲がった角を曲がる。
コンテナが雑多に置かれているせいで脇道は無数に存在しており、曲がった先には既に男の姿がないほどだった。
しかし――それは逆に、それだけ複雑な道になっているということだ。慌てふためき、気が動転している状態では、追い詰められた奥地から抜け出すには少しの時間を要する。
そしてその間に地図を思い浮かべ、先回りをするのは、難しくないことだった。
「うわああああ!?」
コンテナの陰から突然、目の前に現れた殺し屋の姿に、男が悲鳴を上げて立ち止まった。ばたばたと両手を暴れさせると、もがくように踵を返して、来た道を駆け戻っていく。
二度も逃がしはしないと、総司はすぐにそれを追った――しかし同時に、さらにその背中を追ってくる声があった。
「逃げたって無駄よ!」
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