第2話

■1

 真籐総司(まとうそうじ)。十七歳。高校二年生。

 彼を見た者はたいてい最初に、『黒い』という印象を受ける。

 物理的な黒さではない。肌が焼けているわけではない。目や髪は黒いが、それはこの国では一般的なことだろう。しっかりとした体躯を隠す制服は、茶色のブレザーである。

 目付きが悪く、口元が不機嫌そうなことは、影響しているのかもしれない。

 いずれにせよ彼から発される気配は常に、黒一色に染まっていた。そうした気配のおかげで、年相応には見られない。

「おーっす、真籐」

「……おう」

 と、挨拶に応える声も、柄の悪い青年めいていた。

「おはようございます、真籐さん」

「ああ」

「おっはよー!」

「はいはい」

 とはいえ総司の態度は、一般的な高校二年生らしい。

 秋とも冬ともつかない風の中、並木道の通学路を無気力に歩きながら、追い越していく顔見知り――クラスメイトの挨拶に、粗雑な返事を返していく。

 それが現在の彼にとっての、代わり映えしない朝の日常だった。

 だったのだが。

「……おはよう、真籐総司」

「はいはい、おは――」

「そして死ね!」

 切り裂くような女の声と共に、銀色の刃が首筋の横を掠めた。

 あとほんの少し飛び退くのが遅かったら、間違いなく頚動脈を切断していただろう。

「何しやがる!?」

「ふん。知れたこと」

 非難に声を上げて振り返る。そこにいたのは、ひとりの女。

 彼女は片手に細い刃を持ちながら、眼光鋭く告げてきた。

「今度こそ、あんたを殺すのよ!」

 ……総司は最近、殺し屋に狙われていた。


---


 遡るのは一週間ほどだろう。

 その時まで、少なくとも目に見える範囲では何も起きていなかった。

「総司ー、おっはよー!」

 ごく一般的な内装の教室に入ると、少女が飛びついてくる。どこか色味の薄い黒髪を左右で結んだ、小学生めいた体躯と顔立ちのクラスメイト――桐淵風音(きりふちかさね)。

 二年になって初めて出会った時から異様に懐き、人目もはばからず飛びついてくる。

 既に半年以上もそんなことが続いているため、クラス内では単なる日常の風景と化しているが……総司は毎日かかさず、鬱陶しいと思っていた。

「鬱陶しい」

 時には口に出したりもしてみる。

「大丈夫!」

 が、気にされることはなかった。

 何が大丈夫なのかも全くわからないが、風音は毎度、曖昧とした幼少のものではなく、ハッキリとした”幼い”という声質で快活に言ってくるのだ。

 とりあえず少女を腕にくっ付けたまま自分の席に辿り着くと、総司は嘆息した。

「なんだってこう毎日、俺に張り付いてくるんだ。恨みでもあるのか」

 不満を前面に押し出して吐き出す。しかし風音の方はそれを真っ向から受けても気にした様子なく、むしろ会話が始まったことを喜んでいるようだった。着席した総司の腕から背中へと居場所を移し、頭に顎を乗せるようにしながら言ってくる。

「恨みなんかないよう。総司にくっ付いてると落ち着くんだもん」

「俺はなんのリラックス成分も出してないぞ」

「そんなことないってばー。総司って、ほら。霊安室みたいな雰囲気があるし!」

「褒めてるつもりなのか、それは」

 首を回して、半眼で睨みやる。風音はニコニコと笑顔を返してきたが。

(……まあ、ある意味で的確かもしれないけどな)

 皮肉げに、総司は胸中で肩をすくめた。

 そんなことをしていると。

「おーい、真籐ー。客だぞー」

 呼びかけてきたのは、名前も覚えていないクラスメイトの男である。彼は教室の入り口を指差しながら手招きしていた。

 そこにひとりの女子生徒が立っている。

 見覚えはない。一見して、古風だという印象を受けたが、それは真っ直ぐな黒髪をまとめている、かんざしのせいだろう。美麗さよりも無骨さが際立つ、銀色の太いかんざしだ。

 端整な顔立ちと切れ長の目も、古風な美人と評することができるかもしれない。

 ただし衣服は全く現代通りの茶色のブレザーと、赤いチェックのネクタイ、それと同じ柄をしたスカート――と、これらは単に学校指定の制服なのだが。

「……?」

 相手の観察を終えてから、総司は訝りながら立ち上がった。やや俯き、切り揃えた前髪で目を隠すようにしている女子生徒の前に立つ。

「……俺に何か用か?」

 クラスメイトの男が離れても相手が何も言わないので、仕方なくこちらから問いかけた。それでも女は伏し目がちなまま、たっぷりと数十秒は黙してから……長い吐息に乗せて、か細く言ってくる。

「ちょっと、なんて言ったらいいかしら……あなたに、興味があってね」

「興味?」

「ええ。だからその、放課後……体育館の裏に来てほしいのよ」

「今、ここでじゃダメなのか?」

「それは……」

 問いかけると、なぜか言いよどむ。しかし代わりのように、女は顔を上げた。ただし総司にではなく、その少し後ろの方へと、どこか鋭い視線を向けて。

「ところでその子は……あなたの恋人、なの?」

「その子?」

 と首を傾げて視線を追うと。

「そう見える? 見えちゃうっ? どうしよう、困っちゃうなー」

「…………」

 そこには、風音の顔があった……ずっと背中に乗ったままだったらしい。

 嬉しそうに困り果てる風音を、総司はとりあげず放り捨てた。みぎゃっと声を上げて仰向けに倒れる少女を無視して、嘆息する。

「全く違う。こんな恋人、いてたまるか」

「ふぅん……まあいいわ。とにかく放課後、待ってるから」

 なぜか鋭い声音になりながら早口にそう告げると、彼女は一方的に立ち去ってしまった。

 取り残された形で、総司は訝って眉をひそめる。

「なんだよ、あれは」

「ハッ! もしや私から恋人の座を奪おうとしているのでは!」

「そもそもお前は、その座にいないだろ」

 見当外れな大発見をする風音に一応言ってから、総司は怪訝に目を細めながら、女子生徒の去っていった廊下に顔を出した。

 なんの変哲もない、一般的な高校の廊下。雑談に興じる学生たちに紛れて、女の背中はすぐに消える――

(そういや、名前も聞いてないな)

 ふと気付いたのは、そんな頃だった。

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