殺し屋

鈴代なずな

第1話

■0

「ッチ……」

 深夜の暗闇の中で、彼は自分の身体を見下ろしながら舌打ちした。

 雲のない空は月も星もハッキリと見えるが、だからといって地上がさほど明るくなるわけでもない。クリスマスの夜であることを思えば、もう少し光があってもよさそうなものだと――思ったところで、かぶりを振る。馬鹿げている。

 いずれにせよ。港の倉庫の隙間では、どうしようと影の方が強くなった。

 ただし、それでも彼は自分の身体を正しく視認することができた。職業柄かと、どうでもよく考える。

 体躯だけを見れば青年と言っていいだろう。暗闇に紛れる、黒い衣服に身を包んでいる。

 しかし今は、そのところどころが鋭利に裂かれ、素肌が覗いていた。そしてそれら全てに裂傷と、滲む血が見える。

「油断したつもりはないが……意外ではあった、か。こんなに苦戦させられるなんてな」

 口の中で、毒づくように呟く。それが向けられるのは、自分の足元だった。

 そこに、別の男がいる。

 横たわって……もう二度と動くことのない男。喉に突き立てられた手術用のメスが、墓標のようでもある。この男自身が武器として使用していたことを考えれば、皮肉なものだとも言える。黒尽くめのスーツ姿が青年と似通っているというのも、ある意味では皮肉か。

(黒兼破才……人体改造を研究している、悪趣味な医学者、だったか。ひょっとしたら、自分自身も改造してたのかもな)

 ふとした考えに、馬鹿馬鹿しいと我ながら自嘲する。人体改造など、できるはずもない。

 しかし思わずそんな馬鹿げた考えが浮かんでしまうほどに、男は学者離れした身体能力を見せていた。長身痩躯で、骨と皮ばかりという見た目にも関わらず、宙返りしながら青年の頭を飛び越えたほどである。

「……まあいいか」

 どこか忌まわしい戦いの記憶を頭の隅に追いやって、青年は嘆息した。

(とにかく殺し終わったんだ。あとは俺が見つからないようにするだけだ)

 携帯電話を取り出すと、その場を離れながら電話を掛ける。相手は一度のコールも待たなかったため、ドキリとしたが。

「依頼を完遂した。損傷は喉のみ。注文通り、出血も最小限に留めた。場所は連絡道の北、第二倉庫と第三倉庫の間だ」

 一方的にそう告げて、返事も待たず耳を離す。直後、了解したという声が聞こえたのを確認して、青年は通話を終えた。

 死体に背を向け――死してなお、今にも動き出して襲ってきそうなほど、奇妙な迫力を持つ死体に背を向けて、早足に遠ざかりながら。

(余計な注文がなかったら、もう少し楽だったのかもな)

 そう思うが、仕方のないことではある。注文されれば言う通りにする他にない。可能な限り死体を傷付けるなだとか、出血もさせるなだとか、銃を使うなだとか、殺すにしては無茶な注文が付けられていたとしても、だ。

 これ以上ないほどのサービス業だと、思わなくもない。真っ当に働くことの何倍も困難なことだろう。コンビニのバイトでもした方がよほど効率がいい。

 その方がきっと――真っ当な死に方ができるはずだ。

 とはいえ、そう思っても仕方のないことではある。

「……俺には、”殺し屋”しかできないからな」

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