第7話 真の勝者は?厳島の戦いの謎
厳島の戦いは、戦国時代を代表する名勝負として、桶狭間の合戦や川中島の戦いなどと並び、現代でも語り草になることの多い合戦だが、この戦には一つ大きな“謎”が残っている。
厳島の戦いだけでも、書き出すと結構な量になるので、かいつまんで説明すると
1・毛利元就・四千VS陶晴賢・二万の合戦
2・元就は数々の謀略を仕掛けて、陶軍を狭い厳島に誘い込むことに成功
3・毛利軍と村上水軍(晴賢と海上利権で係争中だった)が連合して、陶軍を包囲殲滅
4・陶晴賢の戦死により、毛利家が一挙に勢力を拡大させた
元就の謀略が冴えに冴えた戦いであり、5倍近い相手を倒した大逆転劇でもあるため、ドラマ等でもここはハイライトとされることも多い。名実ともに、元就を中国の覇者にした一戦ではあるのだが・・・この重要な一戦なのに、手柄を証明・称賛する“感状”が一通も発布されてないのだ。この時代の武士は江戸時代とは違い、君臣の間には「絶対的な忠誠」という関係性はほとんど存在しない。当時の武士は、名誉や褒美のために戦うのであり、主家ではなく自らの家の利益を優先するのが一般的であった。ならこの一戦に勝利した毛利軍は、通常の何倍もの表彰があるべきなのだが・・・実に不自然である。毛利家の文書管理がずさんだったので紛失したという可能性は低い。事実、この前年と翌年の感状はきっちり残されているのだ。しかし、事実として陶軍は崩壊・晴賢は死亡・毛利家は陶軍の領地を併呑したということに紛れはない。どういうことだろうか?
1・毛利軍が主導した合戦ではない
村上水軍が実際の主役で、毛利軍は晴賢の死を知って、漁夫の利とばかりに領土侵攻のみ行ったのではないか?似たケースとして、桶狭間の直後の徳川家康・三国志の赤壁後の劉備らの行動に近いものがあるかもしれない。これなら厳島に毛利軍は存在してないので、感状など出るはずがない。辻褄は合うが、元就の鬼謀がほとんどフィクションというのは寂しい・・・
2・陶晴賢はクーデターにより落命した
晴賢はそもそも4年前に主君の大内義隆を倒して乗っ取ったばかりなので、旧大内家は反晴賢の人間も多数いたことと思われる。実際、厳島合戦の直前には重臣の江良房栄を謀反の疑いで処刑したばかり。火種を多く抱えた状態で、厳島という離島に座る晴賢・・・どこか本能寺を思わせる状況ではある。晴賢が内紛(あるいは暗殺)で死亡したなら、毛利が関わる前に自滅したわけだから、当然感状はない。またこの戦において、晴賢以外の旧大内重臣の戦死はほとんど記録されていないのも合点がいく。
3・実は毛利軍は敗走しており、村上水軍がその直後疲弊した晴賢を倒した
負け戦なのだから、褒美はおろか感状も無くて当然である。ひょっとすると、元就の狡さで
毛利軍が勝利したことになると、家臣団への褒賞が大きくなりすぎるため“勝ち”は村上水軍に譲り、“領土”を少ないコストで獲得しようと図ったとか・・・合戦の前年に毛利家は村上水軍と婚姻同盟を結んでいるのも、ここまで見越してのことだったら、謀将・元就らしさがむしろ引き立つ。
仮説の一部ではあるが、そう考えると辻褄はあってくる。
いずれにせよ何かしらの事情が無いとこんな珍事は起きないことだけは確かなので、各々が思い思いのシナリオで謎を埋めてみるのも一興だろう。だから歴史は楽しい。
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