第5話 三城七騎籠 七対千五百の攻城戦 前編


戦国時代の醍醐味の一つに「逆転劇」というものがあると思う。有名な桶狭間の合戦はその代表例だろう。本稿で紹介するのもその一つだが、その兵力差は圧倒的だ。なにせ、七人(小者や婦女子を含めて八十はいたらしいが)で千五百を撃退したというのだから驚きだ。

1572年7月、三城(長崎県大村市)の領主・大村純忠はかねてより敵対していた後藤貴明の軍の急襲を受ける。逆転劇を演ずるくらいだから、純忠という人は優秀なのだろうと思われるのに、何故そんな小勢しか備えておらず、敵の襲撃を察知できなかったのか?二人の因縁をたどってみよう。

 後藤貴明という人は元の名を大村又八郎といい、実は大村家の先代・純前の嫡男だった。一方の大村純忠は元々、長崎の有力領主・有馬晴純の二男で、養子として大村家の家督を継いだのだ。大村家は有馬家の援助がないと潰れるので、この縁組をしぶしぶ受け入れたのだ。このため貴明は「本来の大村家当主は自分である」と生涯純忠と敵対する。そして、古くからの大村家ゆかりの人間も多くは貴明に同情的だし、これが純前の死により加速した。加えて、大村純忠はキリシタンであった為に、理解をしてくれない家臣たちも多かった。そんな家臣が貴明に内応して領地への手引きをしたのだろうし、兵の集まりが悪いのもこういった事情があったからだろう。

 圧倒的な兵力差。そして、(おそらく家臣の裏切りによって)敵は目前という状況は純忠を絶望させたことだろうが、純忠は降伏の道を選ばなかった。もちろん、恨みの塊のような貴明に降伏したところでどのみち命は無いこともあるだろうが、彼なりに勝算もあったのではないか。

 一つ目は、攻城戦において攻撃側は“守備兵の十倍”が必要といわれるほど難しく、且つ援軍に来られると挟撃のリスクも負う。三城自体も高所に構えて守りやすい構造をしており、眼前に迫られたとはいえ、拠点である北の城、本城、南の城は無傷のままだ。時間さえ稼げれば、間に合わなかった兵が領内に千は居るから挟み撃ちの形に持っていける。

 二つ目は、後藤軍が松浦家・西郷家との連合軍だということ。後藤家単独では七百、といったところで、残り八百を構成する松浦・西郷にしてみれば「勝ち馬に乗りに来ただけ」という節も見られる。長期戦ともなれば貴明へ愛想をつかす絵もある。

 三つ目は純忠がキリシタンだということだ。キリシタンは死を選ばないし、神の加護を信ずる気持ちが人一倍強いことだろう。きっと純忠もこの逆境を「神が救い給う」ことへの期待があっただろう。西洋における十字軍のように。

 彼の心の内は察するしかできない訳だが、ともかくこのような状況で合戦は幕を開ける。この戦は後に「三城七騎籠」と呼ばれることになる。

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