6th inning

第31話 わたしを球場へつれていって

 市内にある某レッスンスタジオ。

 淡い照明の下、年齢も人種もさまざまな二十人の少女たちが並んで立ち、壁一面のミラーがその緊張した面持ちを映している。


 北九州サンフラワーズ第3期アカデミー生オーディション。


 その最終選考審議を終えた審査員たちが前のほうに現れ、リストを持ったスタッフが合格者の名前を読み上げはじめた。

 ひとり、ふたり、三人……

 四人目。彼女が最後だった。

「十九番、マリー・ラヴァリエール」

「はい!」と手を挙げたマリーの表情が、ほっとしたようにやわらいだ。


 そして四名の合格者が写真撮影をしているカットに切り替わり、北九州サンフラワーズの球団歌がBGMとして流れ、画面の下のほうにクレジットが出てきた。

 球団の公式アカウントがSNSを通じて公開したPR動画だ。

 仮相環境に映し出されているその画面から眼を離し、雄吾はソファで隣同士に座っている現実のほうを向いた。

 つまりそれは金髪碧眼の女の子で、パールボール選手で、ちょっとしたサイボーグでもあり、ついにはアイドルになってしまった義理の妹のことだ。


 マリーはときどき眼をぱちぱちさせながら、自分が映っている動画をもの珍しそうに観ていた。くっきりした金色の髪がたおやかな首筋やフェイスラインに落ちかかっている。オーディションの頃より少し髪が伸びたようだ。

 ゴーグルはかけておらず、瞳に装着したコンタクトレンズ型のデバイスで仮相環境を読み取っている。その映像データは直接網膜の機械に送られ、生理的信号に変換後、視細胞に流されて脳に視野として現れる。

 この過程においてマリーの眼にトラブルが起きることはなさそうだ、と医師たちからお墨付きが出たのはこの十二月に入ってからで、今のマリーにとっては、自然光であふれる青空よりも、仮相世界のほうが気楽に眼に触れられるということだった。


 そこでマリーが雄吾の視線に気づき、ちょっと微笑んで「ん?」と首を傾げた。

「あ」と雄吾はあわてて視線を逸らし、「こ、こいつさ」と仮相ウィンドウに映っている合格者のひとりを指差した。「これでよく合格したよな」

 その娘は、身長170センチ近いマリーよりずっと背が高かった。そんなデカブツが、どういうわけか学校で配られるような体操服を着て、さらにヘルメットのような黒髪のウィッグと風邪用マスクで顔をほとんど隠しているのだ。こんな不審極まる輩は帰されてしかるべきだが、そこは大下がほかの審査員を説得したであろうことは想像に難くなかった。


「わたしもびっくりしたわ」とマリーは言った。「彼女、ダンス審査ではずっと棒立ちだったのよ。オーシタサンがもう一度チャンスをあげたんだけど、それでも全然」

「そんなんで合格するのか」雄吾は呆れと義憤を込めて言った。「マリーはちゃんと練習したのにな」

 朱里絵がリビングに入ってきた。上品なよそいきの格好をしている。

「ふたりとも、そろそろ行くわよ」

「はーい」


 外に出るとキンと冷えた空気に包まれた。

 弱い日差しの中に吐息が白く浮かび上がる。

 去年の冬もこんなに寒かったろうか、と雄吾は毎年思うことを今年も思う。

 いそいそと車に乗り込んだ四人は、ヴィクトルの運転で一路、北へ向かった。

「球場でパーティをやるなんて良いわね」と助手席の朱里絵が言った。

「本当は毎年、十一月に納会をやるらしいんだけど、『今年は球場の改修が終わってからにしよう』って大下さんが」

「さすがオーシタサンだ」とヴィクトルは深くうなずいた。

 あっとマリーが窓の外を見て声を上げた。「パパ! 止まって」

 脇に停めた車からマリーは外に出た。そして歩道を歩いてくる異様な雰囲気の通行人に手を振った。


 その赤い装束の女が乗り込んできたとき、雄吾は思わずのけぞった。

 なんという恰好をしているのだろう。

 傷を縫い合わせた死体のように見える特殊なメイクを全身に施し、くしゃくしゃの銀髪の上に赤いナイトキャップを被り、不必要なところにベルトや鈴や松ぼっくりなどの装飾がある紅いドレスをコルセットで締め上げ、さらにはトナカイの角が飛び出た煙突型のリュックを抱えている。

「紹介するわ。わたしの同期のアイス・アイクルよ」

「あらー、はじめまして」

「良いかばんだね、ミス・アイクル」

 すると彼女は煙突の中に手を入れ、トナカイの首根っこをつかんで取り出し、背中のひもを引っ張った。

「メェェェェェリィィィィ……」

 トナカイは白目を剥いていなないた。

 マリーはにこっと笑った。

「こんにちは。ありがとう。って言ってるわ」

 なんでわかるんだよ? と雄吾はツッコんだ。心の中で。



         ◇



 改修工事を終えたサニーグラウンズに、ある種のびっくり箱が出来上がったということは雄吾からみんなに話してあった。

 楽しみね、と笑い合っていた一行は、いざ球場にやって来て表情を変えた。

 左中間からレフトのファウルポール際に渡って、フォレストグリーンの巨大な壁がそびえ立っていた。

「やぁ、みなさん、グリーンハウスにようこそ!」

 レフト側の入場ゲート前で大下自ら出迎えをしていた。そこから間近に見えるその壁は、レフトの芝から場外の路地まで届く幅を持った、直方体の一大建築だった。

 集まった招待客のあいだからは、半ば呆れも混じった感嘆の声が洩れ聞こえた。

「おお、君たち!」

 大下は両手を広げた。それは歓迎を示す仕草のはずだが、新しい球場の目玉を「見てくれ!」と言っているようでもあり、雄吾は可笑しくなった。

 大下の衣装がまた大人たちの笑顔を誘うようだ。付け髭のサンタクロース姿で、しかもチームカラーの黄色と緑を使った大胆なデザイン。

「大下さん気合い入ってるわね!」と朱里絵が茶化した。

「なかなかのもんでしょう? でも君には負けたよ、アイス! ブラボーだ!」

 アイスは一瞬何のことかわからないように眼をしばたたいた。

「本当に。素敵な衣装だわ」

「自分で作ったんだろう? この子はね、そういう才能があるんですよ」

「ほお。さすがオーディションの合格者だ」

 大人たちに褒められてアイスは若干戸惑った様子だったが、背中の煙突型リュックからスケッチブックを取り出し、【ドォーモ】と書いてあるページを顔の前に掲げた。

 彼女の耳がちょっと赤くなっているように見えたのは、雄吾だけだろうか。


「オーシタサン!」とマリーが言った。「ちょっと観客席に入ってもいい?」

「ああ、いいとも」

ありがとうメルシー!」

 入場ゲートの先に半月状の屋根がついた登り道があり、グリーンハウスの側面の二階エントランスへとつながっている。しかしマリーはその登り道の手前で右に逸れ、グリーンハウスと内野スタンドのあいだ、そこだけバウムクーヘンをカットしたようにあいている空間へと走っていった。

 雄吾もあとを追い、スタンド側面の短い階段を上って客席の最前列に出た。


 工事機械やトラックに踏みつけられたグラウンドはまだ整備が済んでいなかった。芝はあちこちはげて色も悪く、土は砂埃で灰色にくすんでいる。

 けれど、マリーの眼には一等輝くダイヤモンドが見えているようだった。

 わあと感激の声を洩らし、ねえねえと雄吾を手招きで呼んだ。

「あんなところにブルペンがある!」

 マリーが指差したのは一塁側スタンドだ。ライトに近いところの一部を、最前列から上段までくりぬき、二段になったブルペンを設けてある。上がビジター用で、下がホーム用だ。

「おもしろいね!」とマリーは笑ったが、雄吾の背後を見ると一転して、うわあと畏怖の表情になった。

 グリーンハウス。場内から見るとさらに威圧感が増す。

 三千人を収容できたレフトスタンドの跡地に、巨大な文鎮のような建物がずんと腰をおろしているのだ。外野の芝生地帯がレフトのところだけ狭く見えてしまうほどだ。

「10メートル以上あるらしいよ。パールボール専用球場のフェンスとしては世界一なんだって」

「素敵ね。こんなに早く世界のトップに挑戦できるなんて」

 マリーはいつもの悪戯っぽい調子で、いつもは言わない皮肉を言った。


 スタンドのどこかの隙間から、ひゅるひゅると風が吹き抜けていく。

 冷たい風だ。球場のひまわりの花はほとんど枯れ落ち、しなだれた葉と茎は顔を上げようともしない。

 だが、その土の下では根が張り養分を吸い、再び花開くときを静かに待っている。

「いよいよね」

 マリーのすきっとした横顔を見つめ、雄吾はうんとうなずいた。


「ちょっと気が早いんじゃない?」

 真中真心の声だ。彼女はほかの選手数人といっしょにやってきた。「まずはチームメイトに挨拶でしょ」

「ハーイ、センパイタチ!」

 マリーは順繰りに握手しながら、「はじめまして。マリーです。よろしく~っ」あっという間にみんなの懐に入っていく。

「大下さんみたい」と真中が言った。

「隠し子じゃないぞ」と雄吾は念を押しておいた。


「で、そっちのあんたは?」

 いつの間にかアイス・アイクルがいた。真中に水を向けられて、アイスは例のスケッチブックを見せた。

【ワタシハ とるこじん】

 トルコ……! ざわつく選手たち。

 アイスは次のページをめくった。

【世露死苦!】

「よろしくねーっ!」

 無邪気な少女たちは、のっぽのアイスを囲んでわいわいと会場に向かっていった。

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