第32話 わたしを球場につれてって 2

 グリーンハウスの二階エントランスから中に入ると、そこはブラウンを基調にしたシックな内装の広間だった。

 天井は五メートルほどありそうで、その広さはちょっとした式場といっても大げさではない。

 フィールド側は一面の大きな電子窓で、外からは真っ黒にしか見えないが、中からは気持ちの良い眺めが楽しめる。

 窓と向かい合わせの奥には厨房があり、その上の中二階にバーカウンターがある。

 会場の中央にはクロスを引いた円卓が並び、とりどりの料理がビュッフェ形式で振る舞われていた。

 もちろん、球団花のひまわりも、枯れない常春種がそこかしこに飾られており、招待者がくつろいだ様子で歓談するのに華を添えていた。


「レディースエーンジェントルメ……」

 宙に浮かんだドローンマイクの前に、時代錯誤な盛装をした付け鼻眼鏡の男が立った。

「お待ちかねだね。みんなのアイドォ、ロバートの登場だ」

「誰も待っとらんぞ!」と河村がすぐに冷やかしの声をかけ、会場は親しみのある笑い声に包まれた。

「テンキュー、エビワン」と球団付実況アナウンサーのロバート(本名・秋山)は気取った顔で続けた。

「次はこの人に声援を送ってくれ」と彼が言うまでもなく、すでに会場は拍手で沸いていた。


 演台にひとりの男が歩み寄っていく。七福神の恵比寿様に似たその男は、サンフラワーズの共同オーナーのひとりで、球団社長も務める宇高だ。

「よっ、社長!」

「準備できてますよ!」

 この声に宇高はいたずらな顔つきで反応した。

「もうデキあがっている者がいるようなので、乾杯はやめにします」

 下がろうとする宇高をみんながやんやと騒いで止めた。球団社長はにんまりと笑んで演台に戻った。

「今日は天気にも恵まれ、楽しい会になりそうです。スタッフ、メンバー、そしてご親族のみなさま、この一年間の頑張りをみなで称え合いましょう。そしてこの新しい球場と、新しい球団体制への出発を喜びましょう。みなの新しい門出に……乾杯!」


 わいわいがやがや。

 内輪だけのパーティなので、誰もが打ち解けた雰囲気で自分の家族や友人を紹介し合っていた。ヴィクトルと朱里絵も、大下を介していろんなスタッフと談笑していた。

 選手たちはというと、ひとところに集まり、新人たちを質問攻めにしている。雄吾はその近くで、メキシコ風のピンチョスや響灘の魚を使った寿司を皿に取りながら、なんとなく様子を見ていた。が、マリーは心配いらないようだった、もちろん、まったく。


「なぁなぁ、ゆうくん」と新富うさぎが雄吾の肘をつついた。彼女は小柄でかわいらしいプロ二年目の内野手だ。「これ、食べりぃ」

「けっこうイケるけ」と横にいた沖山ハラ――細身でお洒落なプロ三年目の外野手――も請け合った。

「本当だ。美味しそうですね」

 雄吾がその料理を取っていると、横から真中が茶々を入れてきた。

「これも食べなさい。ちびがなおるわよ」

「あんた俺と同じくらいだろ」

「どこが?」

 真中は余裕の顔で見下ろしてくる。

 雄吾は彼女の足元のブーティをにらみつけた。


「そういえば、美波は?」

「今日は来てない」

「え、何で」

「さぁ?」と言って真中は向こうに行ってしまった。

「同期なのに、薄情なやつだな」と雄吾はつぶやいた。

 真中と美波はサンフラワーズアカデミーの2期生だ。年齢は真中のほうがひとつ上。その点からいっても、お姉さんの真中がもっと気にかけてやるべきではと雄吾は思ったのだ。

 だが、いないのは美波だけではなかった。よく観察してみると、ほかにも雄吾の知っているスタッフやメンバーの姿がなかった。かわりに、球界の人間らしいが雄吾には馴染みのない顔がちらほら見受けられた。

 中でも、ひとりの男が眼についた。頑丈そうな固太りの中年男で、取り巻きを相手にたいそう上機嫌な様子だ。


「中久保さん、一軍監督就任おめでとうございます!」

「いやぁはっはっは! どうもどうも」固太りの男は鷹揚に手を挙げた。「しかしナンですな、北九州はまだ監督もコーチも決まっていないとか」

「ええ……ユニホーム組の人事権はサンズうちにはありませんから」

「博多の連中も難渋しとるんですよ。こんなによくできあがったチームを引き継ぐのだから、下手な人選はできんということですよ」

「中久保さんが戻ってきてくれたらどんなにいいか」

「いやぁはっはっは! そんなそんな! はっはっは!」


「なぁ」と雄吾は真中に言った。「あのひと、監督?」

「ああ……中久保さんね」真中はつまらなそうに言った。「そうね、この前までサンズの監督だったわ。来季はトップチームに行くみたい」

「へえ。じゃあ良い監督なんだな」

「どうだか」

「じゃないと一軍に上がらないだろ?」

 真中はなんだか怒っているみたいに横目で雄吾を見た。

「あんたね、ここで一軍二軍て言い方するのはよくないわよ。上からトップ、リザーブ、サテライトって言うの。わかった?」

「あ、ああ」

 雄吾はちょっと面食らった。そんなに大事なことだろうか。


「みんな、序列を気にしてるのよ」真中は向こうを向いて、ひとりごとのようにぽつりと言った。

 雄吾はそっと会場を見渡してみた。

 端のほうに、ひとりでグラスを傾けている山中チーフマネージャーの姿が見える。ひとりが好きなのかなと思っていたが、真中の言葉を聞いた今では、はっきり落ち込んでいるのがわかる。組織再編で上のチームに登用されるのを期待していたが叶わず……といったところだろうか。

 今日ここにいない北九州のスタッフの中にも、山中と同じような失意を抱えて、顔を見せられなかった人がいるのかもしれない。


“新しい門出に!”

 さっきの球団社長の言葉は紋切り型ではなく、心機一転を呼びかける真摯な激励の言葉だったのだと、雄吾はようやく呑み込むことができた。

「真中も、来年は上に行けるといいな」

 単純に応援する気持ちからそう言ったのだが、真中は黙っている。

「真中?」

「……そうね。でもまずは北九州ここでやるべきことやらないとね」

 その声はどこか硬かった。プロ意識ゆえに軽々しい受け答えをしないのだろうかと思ったが、そのブラウンの瞳の奥に悲壮感が浮かんでいるのを雄吾は見た。


 そこへジヒョンがやって来た。

「ウチは博多に行くけ」とジヒョンは言った。「ここは地元やけ好きっちゃけど、ずっとおるところやない」

 彼女は自分の皿に山盛りあるのに、なぜか雄吾の皿から料理を取って食べた。

「この球場に来るのも今日で最後ちゃ」

「そんな言い方しなくたって……」

 口を挟んだ雄吾の顔に、ジヒョンはケバブの串を突き刺すように向けた。

「男は黙っちょけ」


「たしかに」今度は真中が言い差した。「あんたにはそう言えるだけの資格があるわね。同期として応援するわ。頑張ってね」

 ジヒョンは真中の手を握り返さなかった。

真心まこ、ウチはピッチャーやけ。あんたも自分が何者なにもんか、忘れたらいけんよ」

 行ってしまった。

 あとに残された真中の歯がかすかに軋んだ。

 すると誰かが真中の手に触れた。

 アイス・アイクルが白目を剥いてそこにいた。

「~~っ!」

 真中は動物めいた唸り声を上げてさっと手を振りほどくと、ぱくぱくとすごい勢いで皿をクリンナップしはじめた。調子が戻ったようだった。




 宴もたけなわとなったころ、サンフラワーズのスタッフがひとり、またひとりと席を離れ、ひとところに集まりはじめた。

 もちろん、その中には雄吾もいて、みんなといっしょにクリスマスの帽子をかぶり、照れ隠しに下を向いている。

 何だろう、とゲストたちが興味を示したところで、サンタ姿の大下がドローンマイクの前に立った。

「みなさん、お楽しみ中とは思いますが、ここでちょっとお時間をいただいて、我々サンフラワーズのフロントオフィスから、親愛なる方々に贈り物をさせていただきたいと思います」

 両開きのドアでつながっている隣の部屋から、大小さまざまのプレゼントが運ばれてきた。それをめいめい手に取り、スタッフたちは家族や恋人のところに向かった。


 雄吾もちょっと顔をうつむかせながら、三人のもとに歩いていった。

「これ……」

 差し出した二つの箱の中には、ヴィクトルへの眼鏡拭きと、朱里絵への靴下がそれぞれ入っていた。

「ねぇ、この子にプレゼントもらうのなんてはじめてよ」

 受け取った朱里絵は嬉しそうにヴィクトルの太い腕をはたいた。眼をしばたたかせていたヴィクトルもそこで髭面を崩し、雄吾とハグした。


 次はマリーだ。

「メルシー、ユーゴ」とマリーは屈託なく笑った。「開けてもいい?」

「うん……」

 マリーはリボンをほどいて袋の口を開け、わあと声を上げた。

「そんなに上等なものじゃないし、そのメーカー好きかわかんないし、サイズも合ってるかわかんないけど、練習用には、なると、思う……」

 雄吾がうだうだ言うのを聞く様子もなく、マリーは打撃用手袋バッティンググローブの感触をたしかめている。

「いい感じ。使わせてもらうね」

 マリーは手袋をはめた手で雄吾の手を包んだ。

 指先から伝わる温度に、雄吾は胸の奥がとくとくと脈打つのを感じていた。


「さて」大下の声が響いた。「ここらで一曲いきましょう……と言いたいところですが、あいにく球場のオルガニストは別のチームにとられてしまいました。いやはや、そのうちサンフラワーズは私ひとりになってしまうんじゃないか」

 会場が笑いに包まれる中、大下碧がしずしずと歩いてきた。

「マリー、あのひとがあんたに伴奏を頼みたいって」

「えっ!」

「さぁさぁ、行きましょう」と碧はマリーを引っ張っていった。


 拍手に迎えられて、アイドルたちがピアノのそばに並んだ。マリーも配置についていたが、手袋をはずすのを忘れている。

「みなさん、準備はできましたか? それではまいりましょう」

 大下が合図する前の一瞬間、会場がすっと静かになった。

 ピッチャーとバッター、フロントと現場、老若男女、ポジションは違えど、みな知っているのだ、この曲は歌い出しが肝心だということを。

『Take Me Out to the Ball Game』――そのにぎやかな合唱は春の色を帯びて、サニーグラウンズの隅々まで響き渡った。

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