第66話 最終話『ゾンビを憐れむ歌』第十九回


 俺は二人を背中に押しやると、一歩前に出た。敵は一人だった。


「さて、今日こそは決着をつけましょうか、白ゾンビさん」


「舌男」だった。俺はポケットから『死人鞭』を取り出すと、男の前に立ちはだかった。


「この前はおかしな坊主に邪魔されましたが、今日はそうは行きませんよ」


「お前は普通の狩人じゃないな……ひょっとすると『ブラックゾンビ』か?」


「いかにもその通り。……もっとも、普通の『ブラックゾンビ』は狩人にはなりません。私は好きなのですよ。あなたのような白ゾンビを「狩る」ことがね」


 言うなり「舌男」は俺に向かって跳躍した。俺は飛ぶと見せかけ、鞭を放った。


 空中でぴしっという打擲ちょうちゃく音がした。俺と「舌男」の立ち位置が入れ替わり、男の口に長い舌が吸い込まれるのが見えた。空中で鞭と舌が交錯したのだ。


「なかなかやりますね。『死人鞭』ですか」


「ゾンビがゾンビを狩ってどうする。不毛なだけだ」


「私にはあなたを上回る力がある。一人倒すごとに、私は強くなるのです」


「たまには弱い所も見えないと、モテないぜ」


「まだ余裕があるようですね」


 再び「舌男」が俺に向かってきた。手にナイフのような物を携えていた。恐らく戦闘能力は向こうが上だろう。早目に決着をつけなければこちらに分はない。

 

俺は相手の動きに合わせ、身体を半回転させた。胸の手前で白刃が一閃し、敵の背ががら空きになった。俺が手刀を叩き込もうとすると、それより一瞬早く回し蹴りが飛んできた。かろうじてバックステップでかわすと、再び間合いが広がった。


「早い……」


 俺は肩で息をしていた。ゾンビ同士の戦いでこれほど消耗するのは初めてだった。


「舌男」はナイフを顔の前にかざすと、ファイティングポーズを取った。俺は鞭を握りしめ、体勢を低く構えた。

 敵が突きを繰り出すための反動をつけた瞬間、俺は鞭を放った。鞭は見事に敵の右手首を捉え、ナイフが床に転がった。……が、同時に俺の首にも敵の舌がしっかりと巻き付いていた。


「ぐっ」


 思わず巻き付いた舌を手で掴むと、「舌男」の開いた口から透明な液体が俺に向けて放たれた。液体は俺の指先に命中し、瞬時に凝固した。まるで樹脂か何かで固められたように俺は指先の自由を奪われていた。


「これれ『悪霊の爪』は使えあい。さあ、ろうする」


「舌男」が勝ち誇ったように言い放った。巻き付いた舌の表面から、のこぎりの歯のような突起が無数に出現した。

 俺は激しい痛みを覚えながら、離れた場所で身を縮めている涼歌に「行け」と目で合図を送った。


 俺の意図を察したのか、涼歌は少女を促すと、エレベーターに向かって移動を開始した。少女はどうにか歩けるようだった。


「勝負あっらようらな」


 首の皮が裂け、血が流れ出した。俺は強張った手で首の手前の舌をつかむと、勢いをつけて体の向きを変えた。首が締まり、掌が裂けるのがわかった。


「ぐおうっ」


 俺は背負い投げの要領で前方に舌を引いた。背後で敵が転倒する気配があり、一瞬、首を絞める力が弱まった。俺は首から舌を振りほどくと、ターンした。


「ひ、ひさまあ……」


 俺は片手で舌をつかんだまま、あおむけになって転がっている「舌男」の首に向けて鞭を放った。鞭は首に巻き付き、俺は間髪を入れずに引いた。


 苦しげに顔をゆがめて鞭をほどこうとする「舌男」を、俺は渾身の力で引きずって行った。俺のゆく手には、先にエレベーターのケージに乗り込んでいる涼歌と少女がいた。


「ファンディ、俺が乗ったらドアを閉めろ」


 俺はそう言うと、鞭を手にしたままケージに乗り込んだ。凉歌が開閉ボタンを押し、俺は鞭の端を転倒防止用の手すりに結び付けた。閉じてゆくドアの向こうに「舌男」の青ざめた顔が見えた。


 エレベーターが上昇を始め、やがてがつんという衝撃とともに鞭がピンと張った。くぐもった絶叫が響き渡り、不意に途絶えたかと思うと鞭がだらりと緩んだ。

 俺は荒い息を収めると、鞭を手繰った。先端近くに指で強く握ったような跡が残っていた。


「ファンディ、よく覚えておけ。……これが、俺の生きている世界なんだ」


 エレベーターのケージが止まり、ドアが開いた。俺たちの正面には、バリケードを作って待ち構えている従業員たちの姿があった。俺は二人を背に、ケージから足を踏み出した。


 チーフと思しき若い男性従業員が一歩前に進み出て、俺の前に立ちはだかった。


「どけ」


 俺は従業員の目を見据えて言った。洗脳されているとはいえ、目の奥に怯えの色がよぎるのを俺は見逃さなかった。


「それはできない。逃がすなと命じられている」


「いいから、どけ。お前たちに俺を止めることはできない」


 バリケードを築いている従業員たちの間に緊張がみなぎるのがわかった。戦意はほとんどなく、リーダーの言いなりといった感じだった。俺は肩越しに振り返ると涼歌に「大丈夫だ。俺の後ろにぴったりついてこい」と言った。


 俺が前に進み出ると、バリケードがざわざわと揺れ、徐々に後退し始めた。


「動くなと言っただろう」


 チーフ従業員が叫んだが、俺は構わず突き進んだ。バリケードが二つに割れ、チーフを残して壁際に後ずさった。俺との距離が数十センチに縮まると、それまで立ちはだかっていたチーフは、恐怖を露わにして道を開けた。


「こ、このまま無事に帰れると思っているのか……」


「思ってるよ。お見送りありがとう」


 俺と涼歌、そして少女は従業員の間を通って出口へ向かった。後を追ってくる者はいなかった。


 店外に出るとすでに陽は落ち、ビル前の歩道には街灯がともっていた。俺たちは雑踏の中を歩き出した。まるで白昼夢を見ていたようだった。


            〈第二十回に続く〉

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