第65話 最終話『ゾンビを憐れむ歌』第十八回
俺は嗅覚を最大限に強め、涼歌の臭いを探した。
ある部屋の前で、俺は涼歌に似た臭いを探り当てた。だが、凉歌の臭いは他の臭気に紛れており、確信は持てなかった。
部屋のドアには『ごみ収集室』と書かれたプレートが掲げられていた。
思い切ってドアを開けると、ポリバケツや山のように積まれたゴミ袋とともに、大型冷蔵庫のようなプレス機が目に入った。
俺はプレス機の前に立つと、ごみを投入するための窓を開けた。するとプレスされたごみとプレッシャーとの隙間に、胎児のように身を縮まらせた涼歌の姿があった。
「涼歌っ」
俺が呼びかけると、涼歌はうっすらと目を開けた。
「ゾンディー……」
俺は涼歌をプレス機から引きずり出すと、壁にもたれかけさせた。
「無事だったか?」
「うん……。でも」
「でも?」
涼歌は言葉を切ると、自分の膝頭を見つめ沈黙した。やがて、手で顔を覆うと、嗚咽を漏らし始めた。
「どうかしたのか」
「私……私、ひどい事をしたの。私のせいで女の子が一人、犠牲になっちゃった……」
それだけを絞り出すように言うと、涼歌は号泣した。俺はこのままここにいては危険だと判断し、涼歌を諭すことにした。
「詳しい話は後で聞かせてくれ。とりあえずここを脱出しないと、追手に捕まってしまう」
涼歌は顔を上げると、赤い目で俺を見て頷いた。「歩けるか?」と俺が訊くと涼歌は「うん」と頷いた。俺と涼歌は連れ立ってごみ収集室を出ると、再び廊下を進んで行った。
歩きながら、俺は涼歌に「さっき、レーザーポインタを渡して俺を助けてくれたのは、君だったのか?」と訊いた。凉歌は「うん」と弱々しく答えた。
「やっぱりそうか。あの作業員に君が「憑依」していたんだな」
「そう。生霊を飛ばすの、久しぶりだったからうまく行くか心配だった。ゾンディーがうまく逃げたのを見ても、まだ夢なんじゃないかって思ってた」
「ありがとう。君が助けてくれなかったら、俺は今頃『ブラックゾンビ』のシンパになっていた」
「ブラックゾンビ?なに、それ」
「いや、なんでもない。機会があったら話す。……それより、どうしてあんなプレス機の中にいたんだ?万が一、何かの拍子でプレス機が動き出したらぺしゃんこだぞ」
「あの部屋に逃げ込んだ時、真っ先に目に着いたのがあの機械だったの。この中に入れれば、見つからないんじゃないかって」
「まったく、無茶をするな。無事だったから良かったようなものの……」
「無事じゃないよ」
「えっ」
「無事じゃない。私だけ無事でいいわけないっ」
涼歌は再び嗚咽を漏らし始めた。
「あいつらに捕まった時、私は真っ先に「生霊」の事を思い出したの。誰かに取りつくことができれば、助かるんじゃないかって。幽体離脱をするのは久し振りだったけど、これから自分の身に起こることを考えたら、必死だった。
幸い、すぐに体から抜け出すことができて、私はその場で一番、偉そうな人の中に入ることにした。そして「こいつは私がいったん、預かる」とか言って「自分」を廊下に連れ出したの。そしてその人の身体を使ってごみプレス機の中に隠したの。
怪しまれるといけないから、しばらく意識はその人の中にとどまっていた。そしたら、部屋の一つに女の子が連れ込まれるのが見えたの」
見たもののおぞましさが甦ったのか、涼歌は目を閉じると身体をぶるっと震わせた。
「体格のいい男の人たちが三人がかりで、半分意識のない女の子を部屋に連れ込もうとしていた。男たちの表情から、これから起こることを直感した私は、その時入っていた男性の身体から抜け出して、男のうちの誰かに乗り移ろうとした。
でも、男たちは理性を失っていて、誰の身体にも入れなかったの。それで朦朧としている女の子の中に入って、自力で男たちを振りほどこうとしたの」
俺は「もういい、話さなくて」と言ったが、涼歌は何かに憑かれたように喋り続けた。
「女の子に入った私の目に真っ先に飛び込んできたのは、欲望に満ちた男たちの顔だった。ドアを施錠する音、押さえつけられた床の硬い感触、男たちの荒い息遣い……助けようという気持ちが一瞬にしてどこかに消えてしまい、恐怖だけが全身を支配したの。
両肩を押さえつけられ、男の顔が真上から迫ってきた瞬間、私は絶叫とともに彼女の身体から抜け出していた。……気づくと、真上から男たちと彼女を見下ろしている自分がいた」
「恐怖で思わず身体から逃げ出してしまったんだな。無理もない」
「その時の彼女の表情を、私は一生、忘れない。突然、意識が戻ったと思ったら床の上に押さえつけられ、男たちが自分に迫っている。何が起こったか理解できず、恐怖でパニックに陥ることしかできない彼女の顔を見た瞬間、この恐怖は私が与えたんだと思ったの。
すぐに彼女の身体に戻ろうとしたけど、パニックで取り乱している彼女の心には壁ができていて、どんなに頑張っても入ることができなかった。男たちの中に入ってやめさせようともしたけど、欲望で興奮状態の男たちの中にはやはり侵入することができなかった」
涙声で告白する凉歌の姿は、まるで自分を罰しているかのようだった。
「部屋の隅で漂っている私の耳に彼女の「いや、助けて」という絶叫が何度も何度も突き刺さってくるの。そうなる原因を作っておきながら、見ていることしかできない私に!」
俺は怒りとやりきれなさとで、体中が燃えるようだった。年端もいかない少女にこんな思いをさせていい理由があるだろうか?悪魔の仕業としか思えなかった。
「もういい、やめるんだ。どうしようもないことだったんだ」
俺は立ち止まり、凉歌を抱きすくめた。少しすると、徐々に涼歌の震えが収まってくるのがわかった。俺たちは再び歩き出した。前方に『階段室』と書かれたドアが見え、俺たちは歩調を早めた。と、その時だった。
「ゾンディー、この部屋……私が連れ込まれかけた部屋だわ」
涼歌が、すぐ近くのドアを指さした。ドアには『休養室』と表示されたプレートがあったが、俺の嗅覚はドアの内側から漂う不穏な臭いを感じ取っていた。
「ここだ。俺が捜している「秘密の部屋」は」
俺はドアを押し開けた。目の前に、ホテルのスイートルームを思わせる豪華な内装の部屋が現れた。
「嫌っ」
涼歌が叫んだ。部屋の中央に据えられたベッドの上に全裸の男女がいた。一人は高齢のやや肥満した男性、もう一人は男性の孫ほどの年齢の少女だった。少女はうつろな表情で、俺たちの存在すら目に入らないかのようにぼんやりと天井を見つめていた。
「なっ……なんだ、お前たちは!」
男性が叫んだ。この部屋で何が行われていたかは一目瞭然だった。俺は思わず室内に足を踏み入れていた。怒りで脳が煮えたぎるようだった。
「だっ誰か!警備員をよべっ」
男性は俺の表情に気圧されたのか、あきらかに狼狽していた。俺は右手を石化すると、男性の顔に迷うことなく叩き込んだ。鼻血とともに男性は吹っ飛び、壁に激突してそのまま意識を失った。普通の人間に石化拳を叩き込んだら、場合によっては頭蓋骨が陥没するが、俺はどうなっても構わないと思った。
俺たちが歩み寄っても、少女は何ら人間らしい反応を見せなかった。おそらく薬物と暗示によってほとんど自我が失われているのだろう。そうでなければこのような状況に精神が耐えられるはずがない。
「さあ、行こう。こんなところは一秒でも早く脱出しなけりゃならない」
俺が言うと、少女は初めてまともに正面から俺を見た。そして恐怖の表情を浮かべた。
「いや―――っ!」
少女が絶叫した。薬の影響が薄れ、パニックに陥ったのだ。俺は「すまん」と詫びて少女の鳩尾を拳で殴った。俺はがくりと体を二つ折りにした少女を背負い、廊下に出た。
「彼女は俺がおぶっていく。その分、周囲の気配に気づくのが遅れるかもしれない」
俺が言うと、涼歌は頷いた。目にまだ怒気をはらんでいた。当然だと俺は思った。
「うん、わかった。気を付ける」
俺たちは階段を諦め、エレベーターを目指した。廊下の突当りにEVの文字と左向きの矢印が書かれたプレートが見えた。角を曲がった瞬間、前方に人影が動くのが見えた。
「やはり待ち伏せしていたか。……ファンディ、彼女とここにいろ。動くんじゃないぞ」
〈第十九話に続く〉
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