第64話 最終話『ゾンビを憐れむ歌』第十七回


 涼歌が自宅に戻っていないことを知ったのは、探し始めてから二時間後の事だった。


 親友の彩音をはじめとして友人関係はほとんど当たったが、涼歌が連絡を取った形跡はなかった。俺は事態がいよいよ切迫していると判断した。

 こうなったら『フロンティアビル』に直接乗り込むしかない。そこに涼歌がいなければ、ある意味救われるという物だ。


 俺は小ぶりのデイパックに「装備」を詰め込んだ。『死人鞭』だけはポケットに仕込み、店の入り口に『都合によりお休みします』の紙を貼ると、施錠して店を後にした。


『第一名和ビル』に着くと、ごく普通の利用客を装って一階のネット喫茶に入った。


 案内されたのは奥の小部屋だった。狭いスペースながら横になることができ、小さな作業机もある。俺は荷物を下ろすと、いかにしてバックヤードに侵入するかを検討し始めた。


 同じビルに『ネオテニア』の本部があるとすれば、容易に侵入させてはもらえないだろう。ミカによれば秘密の部屋は地下にあるだろうとのことだ。来た以上は犯罪の現場に入り込まねば意味がない。そして考えたくはないが、そこにもし、涼歌がいるのなら何が何でも救い出さねばならなかった。


 俺はベッドに横になり、策を練った。従業員に成りすますというもっともポピュラーな方法は、まず通用しないだろう。次に、店内で迷った客を装うというのも、見とがめられる可能性が高い。


 ……となると強行突破しかありえないが、まだエレベーターの位置も把握していない。侵入、脱出ともにルート不明のまま敵地に飛び込むなど、狂気の沙汰としか言いようがなかった。


 とにかく従業員の目を盗んでエレベーターで地階へ行き、そこで戦うしかない。もし地下スペースの用途がミカの言う通りなら、容易に警察を呼ぶことはしないだろう。むしろ騒ぎになってくれればしめたものだ。


 俺は頭の中で一階フロアのレイアウトを思い描いた。こういう雑居ビルの作りは大体、類似しているものだ。後はエレベーターが東西南北のどこにあるかだ。通用口に近ければ、いったん店外に出て外から侵入しなおしてもいい。


 とりあえず、ルートを確保するための調査からか。俺はトイレを探す客を装うことに決めた。異変を感じたのは、その直後だった。


 ベッドから体を起こそうと、身じろぎをした瞬間、全身の筋肉がまるで鉛になったかのような不自由さを訴えたのだ。


 なんだこれは。


 俺は焦った。気が付くと手も足も、自分の意志では全く動かせない状態になっていた。


 薬だな。気づかれていたのか。


 俺は天井の一角に、送風口のような穴が穿たれていることに気づいた。エアコンか何かだろうが、あそこから『サイレント・ミスト』をこっそりブース内に噴出させられたらひとたまりもない。俺は意識が次第に濁ってゆくのを感じた。まずい。


 次第に鈍ってゆく思考をフル回転させて脱出策を講じていると、ふいに耳元のスピーカーから声が流れだした。


「お部屋は快適でしょうか、ミスター・アンデッド」


 低い男性の声だった。男性は余裕すら感じさせる口調で、俺に向かって語り出した。


「私はとある組織であなたのような方の研究をさせていただいている逢賀おうがという者です。今回はあなたを捕獲する運びとなり、科学者としてこの上ない興奮と喜びを感じております。

 スポンサーからは、店から出すなとの命を受けておりますので、あなた様も余計なことをなさらず、素直に私たちに協力していただきたいと願う次第です」


 俺は呻いた。やはり『ネオテニア』は『狩人』の社会とつながっていたのだ。


「なるべく速やかにご協力いただけるように、あなたにも改悛の余地を残してさしあげます。これから別室で、あなたに協力の意思があるかどうかを確認させていただきます」


 要するに、生きたゾンビの方が賞金が高いってことだろう。畜生。


 動かない筋肉に力を込めようとあがく俺をあざ笑うかのように、音もなくブースの扉が開いた。顔を出したのは三名の従業員だった。従業員たちはいかにも慣れた手際で俺の手足をベッドに押さえつけると、ベッドの下を何やらいじり始めた。


 おそらくキャスターがついているのだろう。ストッパーの外れる感触が伝わってきた。三人はベッドを囲むと、まるで病人をストレッチャーで搬送するように俺をベッドごとブース外へと運び出した。


 フロア内を運ばれてゆく俺の目に、異様な光景が飛び込んできた。ベッドごと連れ去られてゆく俺を見ても、他の従業員は何の関心も示さないのだ。つまり、このようなことが日常的に行われているという事だ。


 三人は俺をバックヤードへと運び出した。広いスタッフルームの一角に、エレベーターのドアがあった。おそらく『生贄』を地下へと運び込むための専用エレベーターだろう。


 くそう、このままでは目的を果たすどころか、俺が奴らの生贄にされてしまう。


 デイパックはブースに置かれたままだ。武器は『死人鞭』しかなかった。俺は自分の見込みがいかに甘いものだったかを悟った。戦いはヒーローに任せておくべきかもしれない。


 俺はやたらと奥行きのあるエレベーターに乗せられ、地下へと運ばれた。霊安室に運ばれるご遺体になった気分だった。エレベーターから運び出されると、ビルの外観からは想像もつかない広い空間が現れた。廊下は奥に向かって長く伸び、無数のドアが続いていた。


 このどこかに「秘密の部屋」があるはずだ。俺はかろうじて動く頭を巡らせて、周囲を観察した。三人は俺をドアの一つの前まで移動させると、カードキーのような物で解錠した。ドアが開き、俺を病院のMRIによく似た大型の装置が出迎えた。


「ようこそ、泉下さん。お待ちしておりました」


 先ほどのスピーカーの声が俺に向かって浴びせられた。顔を向けると、白衣に身を包んだ年配の男性が満足げな笑みを浮かべて立っていた。こいつが逢賀とかいう科学者か。


「これからあなたに「意識改造」を施します。まあ、言い方はよくありませんが「洗脳」のようなものと思っていただければ結構です。無事に処置を終えて装置から出てきた時、きっとあなたの人格は「白」から「黒」へと鮮やかな変貌を遂げていることでしょう」


 「白」が「黒」に。逢賀の言葉を耳にした瞬間、俺の薄れかけた意識が目まぐるしく動きだした。……『ネオテニア』は、狩人だけでなくブラックゾンビも抱き込んでいたのだ!


「もちろん、処置が成功したからと言って肉体が「黒」に変わるわけではありません。心が「黒」を深く理解するようになるということです」


 逢賀は熱に浮かされたような口調で言った。逢賀の背後には、黒い作業着に身を包んだ屈強そうな体格の男性が二人、控えていた。


「もし俺が処置とやらで変わらなかったらどうする?あいにくと頑固さには自信がある」


「その時は、残念ですが純粋に身体のみの価値をいただくことになります。あなたの場合、首なし死体でも一万ドル以上はしますのでね。液体窒素で保存して海外に売却するなど、色々な扱いが考えられます。幸い、ゾンビは冷凍状態から解凍するときのトラブルに強い。身体の一部が腐敗してもどうということはないのです」


 逢賀が「では、まいりましょうか」と言うと、二人組が俺の両脇に移動した。


「単独で敵地に乗り込むなんて、無謀もいいところです。……まあ、その無謀さのおかげであなたの身体を手に入れられたのですから、我々としては感謝すべき所ですがね」


 逢賀が、ベッド脇の操作パネルらしきものに触れた。頭上で何か重いものをかき回すような嫌な音が聞こえ、二人組のうちの一人が俺の身体を押さえつけ、もう一人が足に拘束用のベルトを取り付けようとした。


 これまでか。そう思った時、身体を押さえつけていた男性が俺の手に何かを握らせた。


「ゾンディー、これでチャンスを作って。うまく逃げてね」


 この口調は……凉歌だ。しかし、なぜ?


 右足を固定し終え、左足を押さえつけている男性の顔に、俺は握らされたレ―ザーポインタを向けた。


「うっ」


 男がひるんだ瞬間、俺はベッドから起き上がり、右足の戒めを外した。一瞬遅れて飛び掛かってきた逢賀もレーザーを照射され、顔を手で覆った。


「小賢しい真似を!」


 俺はまだ目がくらんでいる二人の脇をすり抜けるようにして、ドアへと向かった。自動ドアのボタンを押している間に、背後に二つの影が迫ってきていた。俺はポケットから鞭を取り出すと、先頭にいた作業着男性の足首を狙った。


「うわあっ」


 足首に巻き付いた鞭を引くと、作業着男性は後方の逢賀ともども見事に転倒した。


 俺はレーザーポインタを手渡してくれた男性を見た。男性は一瞬、安堵したような表情を見せると、次の瞬間、意識を失ってその場に昏倒した。


『サイレント・ミスト』の効き目が薄れ始めているのを感じた俺は、装置に接続されているケーブルを数本引き抜いた。そして呻いている二人をその場で縛り上げ、作業着を奪った。


 開いたドアから外に出ると、幸いなことに廊下に人影はなかった。俺は慎重な足取りで廊下を進んで行った。


 涼歌は……涼歌は、どこにいる?


             〈第十八回に続く〉

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