第63話 最終話『ゾンビを憐れむ歌』第十六話


 涼歌が言っていた建物は思いのほかすぐ見つかった。


 一階がネット喫茶で、二階がよくわからないテナントになっている。ビルの名は『第一名和ビルヂング』だった。俺はネット喫茶の入り口の前に立つと中をのぞきこんだ。


 ガラスの色が濃く、透かし見ても内部の様子を確かめることは困難だった。俺はいったん建物の前から離れた。思い切って侵入してみるか、いったん戻ってから装備を整えて出直すか。


 考えあぐねていると、不意に空腹を覚えた。ちょうど向かいのビルに定食屋があった。かなり古びたたたずまいで、俺は気楽に暖簾をくぐった。


「いらっしゃい」


 手拭いを頭に巻いた年配の女性が愛想よく出迎え、俺はカウンターに陣取った。


「ラーメンと餃子、ひとつ」


 俺が注文すると、女性は「はいよ」と笑顔で頷いた。他に従業員らしき人影が見当たらないところを見ると、この女性が店主なのだろう。


「このお店、結構、昔からやってるんですか」


「はい、もう三十年になります」


 女性はコンロの火にフライパンをかけながら答えた。


「ここら辺の建物はみんな年季が入ってますね。向かいのビルとか」


「そうですねえ。中のお店は結構、頻繁に入れ替わってるんですけどね。お向さんも、二十年ほど前までは『フロンティアビル』って言う名前だったんですけど、ちょっと前に名和興産っていう会社がビルごと買って今の名前になったんです」


「フロンティア、だって?」


 語気の強さに驚いたのか、店主はフライパンを握ったまま、俺の方を見て目を瞬いた。


「ええ。そうですけど……それが何か?」


「いえ、何でもないです。……ちょっとした勘違いです」


 俺は慌てて取り繕った。フロンティアビルとなればもう、間違いないだろう。間もなく運ばれてきたラーメンと餃子は、どこか懐かしい味がした。俺はもし、向かいのビルに潜入して無事に戻って来れたら、同じメニューをもう一度注文しよう、とひそかに誓った。


                 ※


「へえ、あの人、歌手なんだ」


 涼歌はそう言うと、目を丸くした。あの人、と言うのはミカの事だ。


「聞いてみたいな。今度、そのお店に連れってくれる?」


「子供が行くような店じゃない。高校を卒業したら連れてってやるよ」


「歌を聞きに行くくらいいいじゃん。堅い事言ってると若い子にもてないよ」


「別にもてたいとも思わないがな。それに若い子にうつつを抜かす年でもない」


「うわ、暗いっ。私、こんな暗いおじさんバックに歌うのやだよ」


「じゃあ、やめとけ。もともとうちはおじさんのファンがメインのバンドなんだ」


 涼歌は頬を膨らませ、俺を睨み付けた。みづきの死以来、凉歌は何かと理由をつけては頻繁に店を訪れている。おそらく精神的に落ち着かないのだろう。気持ちは理解できた。


「あのね、ゾンディー」


「なんだ?」


「ここへ来る途中、何だか気味の悪い男の人が、ずっと私の後ろを歩いてたんだ」


 俺の動かない心臓が、わずかに撥ねた。この店の近くだとすると、俺をターゲットにしている人間かもしれないからだ。


「……で、どうした?」


「途中から走って逃げたら、いなくなっちゃった。ここと『夢ヶ丘ひばり公園』との間にコインパーキングがあるでしょ。あのあたりから、すぐそこまで、かな」


 俺はうなった。距離にすると三百メートルと言ったところだが、気のせいで済ますには不安要素が多すぎる。


「わかった。……ちょっと、そのあたりを見てくるから、十分くらい、留守番を頼む」


「うん。まかせて。お客さんが来たら、レジもやるよ」


「それはいい。自分は留守番だとかなんとか言っておいてくれ」


 俺は店を出ると、半径三百メートル程度の範囲を歩き回った。怪しい人影は見当たらなかったが、いきなり敵が現れるのではないかという想像が常に頭を離れなかった。


 店に戻ると、どういうわけか涼歌の姿がなかった。トイレかと思い、しばらく待ったが、涼歌は姿を現さなかった。念のため、オフィスも工房も見て回ったが、やはり涼歌の姿を発見することはできなかった。


 あいつ、どうしたんだ。任せてくれみたいなことを言ってたくせに。


 俺は憤慨しつつ、携帯電話を取り出すと凉歌の番号を押した。だが、なぜか電話は通じずじまいだった。俺は首を捻った。さすがに何かおかしいぞとの思いが胸中に生じた。


 ひょっとして、何かトラブルに巻き込まれたか?どす黒い想像が頭をよぎった。


 その時、俺はあることに気づいた。カウンターの上のパソコンが、休止モードにしてあったにも拘らずスクリーンセーバーになっていたのだ。

 どうしたんだろうと思い、キーを叩くと、思いもよらぬ画面が現れた。


 それは、俺がミカからの情報を元にまとめておいた『ネオテニア』に関するメモだった。メモには『フロンティアビル』の所在地も書き込まれていた。涼歌が俺が外に行っている間に、盗み見たのに違いなかった。


 ひょっとすると、と俺は思った。これを見るために、涼歌は「後をつけられた」などと言って俺を追い出したのか。

『ネオフロンティア』の正体と場所を知った涼歌が、何らかの行動を起こすだろうことは容易に察しがついた。


―――あの、馬鹿娘がっ


 俺は握りこぶしでカウンターを叩いた。こうしてはいられない。とにかく、一刻も早く涼歌を探し出して、馬鹿な事を考えないよう、言い聞かせなくてはならない。


             〈第十七回に続く〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る