第62話 最終話『ゾンビを憐れむ歌』第十五回


「『ネオ・フロンティア』の本当の名前がわかったわよ」


 俺が淹れたコーヒーを一口すすると、ミカは声を低めて言った。


「本当の団体名は『ネオテニア』。前にも話したように、財界、政界の大物に女子中高生をあてがう秘密クラブらしいわ。その『生贄』を集めるためのカムフラージュが『ネオ・フロンティア』ってわけ。おぞましい話よね」


「いままでその『ネオテニア』の実態が暴かれたことはないのか?例えば、みづきのように記憶がよみがえって、警察に通報されるとか」


「なかったようね。それだけ暗示が強力だったってことじゃないかしら。もしかしたら『ネオテニア』の事を口にしようとすると体がおかしくなるような暗示がかけられていたのかもしれないわね」


「それでみづきは飛び降りたと?」


「考えたくはないけどね。実際、不審な自殺を遂げた若い子の中に『ネオ・フロンティア』の活動に関わっていたらしい子が少なからずいるわ」


「本部は、どこにある?」


「『フロンティアビル』っていう名前の建物であることは確かみたい。場所はK駅から徒歩十分以内の区画だってことだけ。……でも、そのあたりに『フロンティアビル』っていう名前の建物がないのよね、なぜか」


「『フロンティアビル』は内部で使われている通称で、実際の建物は違う名だと?」


「おそらくそうでしょう。……で、ここからは想像が混じるんだけど」


 ミカはカウンターに身を乗り出した。香水の香りが微かに鼻先をくすぐった。今日のミカはパンツスーツにサングラス、鍔広の帽子と中性的ないでたちだった。客として訪れているせいかいつもの豪快さは鳴りを潜め、代わりに淑女めいた上品な色香を纏っていた。


「『ネオ・フロンティア』は恐らく一階が喫茶店などの店舗で、二階がボランティア活動のスペースのようね。面接に合格した女の子たちは週に一、二回訪れて、アルバイト風のボランティア……つまり奉仕ね。を三時間ほど行うんだけど、そのうち一時間が一階店舗の手伝い、残り二時間がテキストによる学習や歌のレッスンってことみたい。……もちろん、これらは表向きの活動だけどね」


「実際にはボランティアと称して別の奉仕が行われているわけだな」


「そう。しかも意識をもうろうとさせる薬物と、強力な催眠暗示によって、自我を白紙にさせられた上で、本人も自覚がないまま奉仕をさせられるってわけ」


「ふざけた奴らだ……」


「『ネオ・フロンティア』の活動内容には『仮眠・休息』の時間があって、九十分活動すると専用の仮眠室で約四十分の仮眠が取れることになっているの。

 つまり、そのわずかな時間内に薬を飲まされ、暗示をかけられ、どこか秘密の部屋に運ばれて奉仕させられる……

 目を覚ました後は活動のおさらいと称してゆっくりと暗示が解かれる。

 奉仕自体は短時間だから女の子たちはみんな、単に仮眠を取っただけだと思っている。……そういう事ね」


「つまり同じ建物の中に奉仕専用の秘密の部屋が用意されている……というわけだな?」


「そういうことになるわね。秘密の部屋は、恐らく地下じゃないかと思う。……とりあえず一階が飲食店などの店舗になっている建物をしらみつぶしに探せば、きっとその中に『ネオ・フロンティア』つまり『ネオテニア』の本部が見つかるはず」


「わかった。どうもありがとう。この情報を元に少し、調べてみることにする」


「めぐちゃん……協力しておいてなんだけど、正直言ってこれ以上、首を突っ込まないほうがいいと思うわ」


「わかってる。エリカの事もあるしな。充分、気を付けるよ」


「エリカも言ってたけど、めぐちゃんってきっと、普通の人には想像もつかない秘密を抱えてるのね。私たちにだけでも打ち明けてくれたらうれしいんだけど……」


「今度の事が終わったら話す。約束する」


「きっとよ。それじゃ、お店があるからこれで行くわね」


 ミカは俺に投げキッスを寄越すと、出入り口の方に足を向けた。ミカが引き戸の前に立つのとほぼ同時に戸が開け放たれ、涼歌が顔を出した。


「あら……」


 ミカの長身を一瞥した凉歌は、すれ違いざま声を上げた。不躾な視線に慣れたミカは、目を丸くしている涼歌に余裕の笑みを投げ返した。


「それじゃめぐちゃん、またね。バーイ」


 立ち去るミカと、カウンターの俺とを交互に見つめ、涼歌は不思議そうに両目を瞬いた。


「お得意様?」


「まあ、そんなようなものだ。どうした?相談ごとか?」


「うん。……あのね、みづきちゃんの友達っていう子から、興味深い話を聞いたの」


「興味深い話?」


「その子ね、K駅の近くにある学習塾に通ってるんだけど、塾の帰りに何度かみづきちゃんを見かけたって言うの。でも、声をかけても何だかボーっとしてて、全然、反応してくれなかったんだって。

 出てきた建物の一階がネット喫茶だったから、ネットのやりすぎか昼寝でもしてたんだろうって思ったらしいけど、そんな事が二回ほどあった事をみづきちゃんが亡くなってから思い出したんだって」


「ネット喫茶か。その建物がどこにあるか、わかるか?」


「建物の場所とか名前はわかんないけど、その子が通っていた塾の名前ならわかるわよ」


 涼歌はある塾の名前を口にした。複数の教室を持つ、このあたりではまあまあ名の知れた学習塾だった。


「K駅の近くには一つしかないって言うから、きっと調べればわかると思う」


 俺は頷いた。学習塾の隣でネット喫茶という条件で絞り込めば、すぐ特定できるはずだ。


「ありがとう。これで随分と調査がしやすくなった」


「ねえ、私も一緒に調べていいかな。もしみづきちゃんが誰かのたくらみの犠牲になったんだとしたら、文句の一つも言ってやらないと気が済まないんだ」


「駄目だ。危険すぎる。加奈の話を聞いているだろう。遊びじゃ済まないんだ」


 かぶりを振った俺に、涼歌は「でも」と食い下がった。俺たちはカウンターを挟んでしばしの間、睨み合った。気まずい沈黙が流れたあと、涼歌は「わかった」と言って俯いた。


「じゃあ、約束して。私に注意するんだったら、ゾンディーも十分、気を付けて。絶対、危ない場所には足を踏み入れないこと。どう?」


 俺は返答に窮した。もう戦うことは決めている。引き返すことはできなかった。


「大丈夫だ。身の危険を感じたら、すぐに引き返してくるさ」


 俺は一瞬、凉歌から目線を外した。再び向き合った時、涼歌の表情が微妙に変化していた。それは今までに俺が見たことのない、寂しげな表情だった。


「うん。そうして。……じゃあ、また来るね」


 涼歌は無理に作ったような笑みをこしらえると、身をひるがえして戸外へ走り去った。


「すまん……俺にはどうしても放っておけないことがあるんだ」


『ネオテニア』の関係者の中に、俺の敵が潜んでいる。奴らの目的を確かめないことには、落ち着いて暮らせないのだ。俺は心の中で涼歌に詫びた。


             〈第十六回に続く〉

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