第60話 最終話『ゾンビを憐れむ歌』第十三回


 『暗闇の爆撃』が鳴り響いていた。音楽雑誌のバックナンバーを求めてダンボ―ル箱をあさっていると全身がみしみしと軋んだ。やはりゾンビと言えどひどい打撲はこたえる。


 昼間の騒ぎは、無謀運転による事故という形で決着がついたらしい。懸命な判断だ。原因を聞かれて「ゾンビにはりつかれた」などと言ったら確実に、飲酒か薬物を疑われるところだろう。


 加菜はなぜ、再面接を受けさせられたのか。おそらく、ネットで面接に落とされたことを愚痴ったのだろう。それが『ネオ・フロンティア』関係者の目に留まった。

上層部に判断を仰いだ結果、口封じも兼ねて生贄にせよとの命が下されたのに違いない。再面接をするといえば、自分からやって来るはずだと踏んだのだろう。


 俺はオーディオのヴォリュームを思い切り上げた。腹が立って仕方がなかった。


 星谷さん、あんたには悪いが、このところ、俺の周りには許せないやつが多すぎる。


 俺は立ち上がった。こういう日は早目に店を閉めて、工房で楽器でも修理するに限る。


 俺は外看板をしまおうと、入り口の方に足を向けた。その時だった。ふいに引き戸が開き、見知った人物が顔を出した。麻里花だった。


「青山先生」


「笹原君……どうしたんだ」


「昼間の御礼を、どうしても言いたくて……加奈のために体を張ってくださって、ありがとうございます」


 麻里花はそう言うと、深々と一礼した。


「俺が勝手にやったことだ。礼なんかいらないさ。それにあの時は加菜ちゃんを助けることで無我夢中だったからな。俺でなくても、同じことをするさ」


「それはそうかもしれません。でも、同じことができる人がいるでしょうか?……先生、私の見たものが幻でなければ、先生は何か私たちの知らない、不思議な能力を持っているように思えます。あの時、加奈をさらおうとした人たちに何をしたのか、教えてもらえませんか?」


「……君の観察力には恐れ入るな。たしかに少々、曲芸まがいのことはやらかしたかもしれないが、別に魔法ってわけじゃない。体術みたいなものだよ」


「そうでしょうか。私には体術には見えませんでした」


 麻里花は食い下がった。なぜそれほど俺の能力について知りたがるのだろう。


「先生、十年前の事件があってから、先生に何があってどんな変化が起こったか、それを聞くつもりはありません。……でも今、私たちのすぐ近くに何か恐ろしいたくらみを持った人たちがいるとしたら、もっと力を合わせてもいいんじゃないでしょうか」


「力を合わせて、何をする?自警団でも結成するのかい」


「どうしてそう、極端なんですか。もっと簡単な話です。先生の事を、教えてください。加奈を助けた力の秘密を」


「……俺にとっては簡単な話じゃない。内容によっちゃ、聞かないほうが良かったと思うような話もある。今までと同じようにやっていこうと思ったら、あまり妙なことには興味を持たないことだ」


「怖いんですか」


「なんだって?」


「私が、先生の秘密を聞いて、逃げ出すとでも思うんですか」


「わからないな、それは。俺には何とも言えない」


「見くびらないでください。私だって、多少は世の中の暗い部分を見てきています。人間の汚い、嫌な部分も見たし、怖い思いだってしてきました」


「じゃあ、それ以上、怖い思いをする必要はない。俺の属している世界を知ったら君はきっと、穏やかな気持ちではいられないだろう」


「そんなことありません。私なら大丈夫です。何を見せられても、驚きません」


「……そうか。それほどいうなら、少しづつ話すことにするよ。とりあえず今日は時間も遅いし、別の日に出直したほうがいい」


「わかりました。必ず話してくださいよ」


「ああ。色々なことがあったし、駅まで送って行こう」


 俺は麻里花を店外に促し、施錠した。日の落ちた暗い街路を、俺達は連れ立って駅へと向かった。その時の道筋を俺は、うかつにも選び間違えた。わずか数百メートルの距離だと侮ったことが、俺の判断を誤らせたのだ。


 住宅地の古い倉庫が並ぶ一角で、俺は細い路地を抜ける道を選んだ。結果としてそれが命取りになった。完全に人通りが途絶えたところで、背後から不気味なエンジンの音が聞こえてきたのだ。


 振り返ると、バイクのヘッドライトらしき光が俺たちに向けられていた。強いライトで運転者の姿は完全に闇に没していた。


「まずい、俺たちを狙ってる」


 俺は麻里花の手を引き、駆け出した。バイクのヘッドライトが唸りを上げてこちらに向かってきた。このままでは遠からず轢き殺される。俺はあえて、突き当りのT字路を行き止まりの方向に折れた。曲がってすぐの所に駐車場があった。


「車の屋根によじ登るんだ。あいつは俺が始末する」


 俺は麻里花の身体を担ぎあげると、手近な場所に停められていたワゴン車の屋根に載せた。すぐ傍で爆音が聞こえ、強烈なライトが俺の横顔を照らし出した。


「さあこい、決着をつけてやる」


 俺は袋小路に向かって走り出した。ライトとの距離は十メートル程しかない。俺は倉庫のフェンスを背に立ちはだかった。タイミングを計って跳躍し、運転者と刺し違えるつもりだった。


 ライトが俺に向かって突っ込んできた。コースはわずかに右だった。紙一重で見切って左に跳べば逃げられる。俺は身構えた。ライトが目の前に迫った。俺は迷わず左に跳んだ。次の瞬間、鋭く尖った硬いものが、俺の身体を深々と貫いていた。


「う……」


 俺は体をがくりと二つに折った。目の前に信じがたい光景があった。俺の目の前に泊まっているのは、バイクではなかった。フォークリフトだった。


 体を串刺しにされ身動きできない俺の目に、運転席から飛び出して逃げてゆく後姿が見えた。あれはおそらく、ジャンパー男だろう。 


 フォークリフトは右の爪にオートバイのライトが括りつけられていた。そして俺の身体を貫いている物は、左の爪に括り付けられている杭だった。スコップの金具を外して先端を削ったのだろう、直径五センチほどの太い杭は俺の胴体を過たずに貫通し、見事な穴を穿っていた。


 フォークリフトの操縦席にはラジカセが固定してあった。そのスピーカーからは、停車しているにもかかわらず、オートバイの排気音がとどろいていた。

 敵は俺がバイクが右から来たと思って左に跳ぶことを見越していたのだ。右のライトをよけようとして左に跳ぶと、左の杭が俺を串刺しにする、という按配だった。


「畜生、ふざけた真似をしやがって……」


 俺が喘ぎながらつぶやくと、足音とともに麻里花の叫び声が聞こえた。


「先生!どうしたんですか!」


 麻里花は串刺しにされた俺を見て、大きな悲鳴を上げた。

「救急車を!死んじゃうわ」


「救急車は、呼ぶな」

俺が言うと、麻里花は目を見開き、驚愕の表情になった。


「喋らないでくださいっ!早く呼ばないと」


 携帯電話を取り出そうとする麻里花を、俺は今一度強くけん制した。

「呼ぶなと言ってるんだっ!」


「…………」


 麻里花は絶句し、ありえないといった表情になった。


「俺は大丈夫だ。このくらいじゃ死なない。……頼みがある。そのリフトの操縦席についてくれ。ついたらギアをバックにいれて、後退させるんだ」


「そんなことしたら、杭が抜けちゃいます!」


「いいんだ、それで」


「良くないです!杭を抜いたら出血多量で、すぐに死んじゃいます!絶対に嫌です」


「たのむ、やってくれ!」


「できません!」


「やるんだ!」


 俺は思わず大声を出していた。麻里花は怯えたような表情になると、ぶるぶると震えながら運転席についた。


「よし、手元のシフトレバーをバックに入れてくれ」


 麻里花はシフトレバーを恐る恐る、バックにいれた。フォークリフトが後退し、俺の身体から杭が抜けた。大量の血が傷口からあふれ出し、俺の足元にみるみる血だまりが広がった。「青山先生!」運転席から飛び降りた麻里花が、駆け寄ってきた。


「やっぱり、抜いたら駄目だったじゃないですか!早く救急車を呼ばないと!」


「いや、大丈夫だ。よく見ていろ。こんな傷はすぐに治るんだ」


 パニック状態の麻里花に俺はゆっくりと言い聞かせた。手で押さえていた傷が見ている前で徐々にふさがっていった。麻里花は目を見開き「信じられない」と呟いた。


「ほら、もう血が止まりかけている。もう少しすれば、完全に傷口もふさがるはずだ」


「うそ……どうして?先生、一体……」


 麻里花は目にしたものを拒絶するかのように、ぶるぶるとかぶりを振った。


「よし、もう大丈夫だ。送っていこう」


「嫌……」


 麻里花は近寄ろうとした俺から、すっと身を引くと、じりじりと後ずさり始めた。


「いや…いや…」


 麻里花は足を止め、俺に向かって「ごめんなさいっ!」と叫んで身をひるがえした。


 走り去ってゆく麻里花の後ろ姿を見送りながら、俺はその場に立ち尽くした。


 ―――私なら大丈夫。なにを見ても驚きませんから。


 俺は杭に貫かれた腹部を手で覆った。傷は嘘のように消え失せていたが、その奥の心に穿たれた深く大きな穴は、どうあがいても埋めようがなかった。


 俺は、敵が逃げ去った闇を見つめた。怒りで全身が煮えたぎるようだった。


 覚悟しておけ……この治療費は、高くつくぜ。


             〈第十四回に続く〉

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