第59話 最終話『ゾンビを憐れむ歌』第十二回
星谷との対面を果たした俺は、暴漢と対峙した住宅地に足を向けていた。もし敵が現れたらエリカの仇が打てる、そういう漠然とした思いがなかったといったら嘘になる。
しかし決して敵の姿を求めて赴いたわけではない。ただなんとなく、ここで起きたことを自分の胸に改めて刻んでおきたかったのだ。
気づくと俺の足取りは住宅街を通り過ぎ、『ワン・プラス・ワン』へと向かっていた。店の入り口は広い通りに面している。俺は何気なく通り過ぎるつもりで、『ワン・プラス・ワン』の入っているマンションに近づいて行った。
店の前まであと一区画というところで、俺は入り口の前に見覚えのある人物が立っていることに気づいた。麻里花だった。
麻里花は身をかがめたり、背筋を伸ばしたりしながら店内の様子をうかがっているように見えた。俺が近づいて「何をしているんですか」と声をかけると、麻里花は弾かれたように後方に跳び退った。
「青山先生……」
「何かを探ろうとしているんだったら、やめたほうがいい。ここが危険だという事はわかってるはずだ」
「違うんです、荻原さんが、心配になって……」
「荻原さんが?」
「メールが来たんです、一時間くらい前に。『ネオ・フロンティア』から、再面接するって連絡が来たから行ってみるって」
「再面接?どういうことだろう」
「わかりません。気になって取りあえず、最初に面接を受けたっていうこのお店に様子を見に来てみたんですけど、店内に入る勇気がなくて……」
「いるかどうか、外からはわからない?」
「はい。どうしましょう。思い切って……」
麻里花がそう言いかけた時だった。エンジン音が聞こえた。音のしたほうを見ると、マンションの裏にある駐車場から一台のセダンが出てくるところだった。
「加奈っ」
麻里花が叫んだ。後部席に乗せられていたのは、表情をこわばらせた加菜だった。
「あいつは……」
俺は絶句した。車を運転しているのは、エリカにのされたジャンパー姿の男だった。俺は駆け出すと、路地から出ようとしている車の前に立ちはだかった。
「先生っ!あぶないっ」
車が急停車し、背後から麻里花の悲鳴が聞こえた。運転席の男は俺に気づいたらしく、憎々しげに顔をゆがめると、いきなりアクセルを踏み込んだ。
俺は車の発進に合わせて跳躍すると、フロントガラスに覆いかぶさった。度肝を抜かれたのか、運転者は左右に乱暴にハンドルを切った。振り落とされないよう、俺は必死で車体にしがみついた。
俺は同時に『死粒子』に呼びかけ、左手を急いで「石化」させた。右手でかろうじてしがみつきながら、俺は固くなりだした左の拳をサイドウィンドウに打ち付けた。
一度目は、がつんという堅い音がしただけだった。俺は諦めず、二度、三度と打ち付けた。四度目でついにパンという破砕音とともにガラスが割れ、車が大きく蛇行した。俺は半分石化した左手を窓から車内に突っ込み、運転手の襟を掴んだ。
再び車が大きく左右に頭を振り、俺の身体はボンネットの上で半回転した。振り落とされる直前、俺は指先から運転手に向けて分泌液を放った。次の瞬間、衝撃が俺の背中を見舞った。
俺は手足を激しく打ち付けながらアスファルトの上を転がった。電柱にたたきつけられ、かろうじて止まった俺の傍らを、加奈を乗せた車が勢いよく走り去った。
立ち上がろうとした俺の前に、恐怖にひきつった表情の麻里花が駆け寄ってきた。
「先生っ……大丈夫ですかっ!」
俺は麻里花を手で制すると
「大丈夫、かすり傷だ。……それより、警察を呼んでくれ」と言った。
「今、呼びます。救急車も」
麻里花がそう言った時だった。金属の潰れるような音を伴った激突音が響き渡った。
「あっちだ。行こう」俺は麻里花を促すと、大通りの方に引き返した。
通りに出ると、一つ先の交差点で乗用車がガードレールに突っ込んでいるのが見えた。
加奈を乗せたセダンだった。駆け出そうとする麻里花を、俺は手で制した。
「加奈がっ」
「いいからよく見ているんだ」
俺がそう言った直後、セダンの後部ドアが開き、加奈が転げ落ちるような形で車外にまろび出た。続いて前部席のドアが左右同時に開き、男たちの悲鳴とともに黒い不定形の塊が煙のように車外にあふれ出た。
「なんなの?あれ!」
「蠅さ。悪い奴らは腐った臭いがするからな」
「先生っ!」
加菜がよろめきながら、近づいてきた。麻里花が駆け寄り、抱き留めた。どこからかサイレンの音が聞こえてきた。
「さあ、逃げよう。加奈を取り返したら、こんなところに長居をする理由はない」
俺は歩き出した。背中から、麻里花の声が飛んできた。
「青山先生、その身体じゃ歩くのは無理です。救急車に乗りましょう」
「その必要はない。せいぜい軽い打撲だ」
「だって、車から振り落とされて……せめて、タクシーに乗ってください」
俺は足を止め、振り返った。加菜の手を引きながら麻里花が歩み寄ってきた。俺は二人を真正面から見据えると、大きくかぶりを振った。
「本当に大丈夫なんだ。君たちこそタクシーで帰るといい。俺は電車で自分の店に戻る」
「そんな……」
二人を振り切るように、俺は駅に向かって歩き出した。ただでさえ厄介な場面を見られている。この上、説明に苦慮するくらいなら早々と姿を消してしまった方がいい。
サイレンの数が増え、野次馬たちの喧騒が背中から響いてきた。俺は心の中で蠅たちに礼を言うと、人目につきにくい細い路地に進んで行った。
〈第十三回に続く〉
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