第58話 最終話『ゾンビを憐れむ歌』第十一回
『還人協会』の本部は『フェニックス・タワー』という高層ビルの最上階にあった。
受付で来意を告げ、近未来的なデザインのロビーを抜けるとエレベーターホールの前に出た。エレベーターのケージに乗り込み、最上階のボタンを押すとエリート然とした男女に周囲を囲まれた。この人々も俺と同じゾンビなのだと思うと、誇らしいような委縮するような、妙な気分に陥った。
階数表示が最上階に近づいてゆくのを眺めていると、言いようのない息苦しさがこみあげてくるのを感じた。「おやっさん」を通じて話は通っているはずなのだが、それでも一万人近いゾンビを統括すると言われる男に会うと思うと、自然と身が硬くなった。
エレベーターを降りると、高級ホテルと見紛うような毛足の長い絨毯が、廊下の奥まで続いているのが見えた。気おくれを感じながら進んで行くと、突き当りのドアに『会長室』というプレートが掲げられたドアがあった。俺は息を一つ吸うと、ドアをノックした。
「どうぞ」
俺はドアを押し開けた。壁一面の窓を覆うブラインドを背に、一人の長身男性がこちらを向いて立っていた。
「はじめまして。泉下巡と言います」
俺は自己紹介をした。男性は「ようこそ。私が星谷守だ」と言うと、部屋の中央にある応接セットの前に移動した。
「意外にお若いんですね。『還人協会』の創設者というから、もっと高齢かと思ってました」
俺は正直な感想を述べた。星谷は五十代後半のはずだが、見た目は俺より五、六歳上にしか見えない。古いマフィア映画のようなオールバックにダブルのスーツという姿はいかにも強面と言う感じだが、顔立ちはむしろ上品で、貴族のような雰囲気を漂わせていた。
「若くはない。我々は一様にそう見えるのだ。君だってそうだろう?」
星谷は深みのあるバリトンで言った。きっぱりした口調とは裏腹に、眼差しの奥には感情らしきものがほとんど窺われなかった。
「今日は、あなたにどうしてもお尋ねしたいことがあって来ました」
俺は薦められたソファに腰を下ろすと、単刀直入に切り出した。
「ほう、なんだろう。……実は私も、君に少なからぬ興味がある。忙しい中を縫って対面に応じたのも、是非、一度君と話してみたいと思ったからだ」
「星谷さんは『ブラックゾンビ』をどうお考えですか?」
俺が切り込むと、星谷は「そんなことか」と言わんばかりに肩をすくめて見せた。
「共存すべき存在だと思っている。……残念ながらまだその道筋は見えていないがね」
「なるほど、では彼らとの間に何らかの引くに引けないトラブルが起きた場合はどうです?『還人協会』としては、一切の争いを避けねばならないとお考えですか」
星谷は一瞬沈黙し、それからおもむろに口を開いた。
「ケースによるな。争いを避けることでさらなる被害が食い止められるのであれば、当然、しないに越したことはない。だが、戦わなければ致命的な被害をこうむる場合は、その限りではない。いずれにせよ、個人レベルでは争わないことが鉄則だ」
「たとえ我慢できないことがあっても、じっと堪えろと?」
「泉下君」
星谷はおもむろにソファから立ち上がると、フロアの中を歩き出した。
「我々が利用しているシステムと、敵が利用しているシステムは基本的に同じものだ。突出した行動をとれば、それは敵にも伝わることになる。自分の軽率な行動で同胞の暮らしが危機に陥ったら、君は責任を取れるのか?」
「それは……」
「これを見たまえ」
星谷守は窓の前に立つと、ブラインドを引き上げた。窓の外に、パノラマのような街の景色が広がった。
「この風景をどう思うかね。我々が住むこの都市だけで数百人のゾンビがいる。街の至る所で我々の同胞が暮らしを営んでいるのだ。その多くが、暮らしを守るために自分ができる精一杯の努力をしている。誰もが君のように自由に振る舞えるわけではない。我々は皆、つながっているのだ」
「それはわかります。藤村さんも同じことを言っていました。ですが……俺が奴らに狙われているということは、必然的に周囲の人間も巻き添えになるという事です。降りかかる火の粉は払わねばならない……追ってくる敵を倒すのがそんなに悪いことなんですか?」
「泉下君。君はまだ若い。目の前の状況に対する怒りや恐怖を押さえられないのも無理はない。……だが、破滅の大きな抑止力となっているのは、戦いではない。協調なのだ。長く生きていると、生者は死者に、死者は生者に次第に近づいてくる。許し、理解しあうことこそが決定的な悲劇を防ぐ唯一の方法なのだ」
「たとえば、友人がいわれなき暴力の犠牲になったとしたら、星谷さんはどうします?」
「私が?……面白い。そう言う質問をされたのは初めてかもしれない」
星谷の目に一瞬、愉快そうな表情が垣間見えた。
「……そうだな、私ならしかるべき時が来るまで、じっと耐えるだろうな」
「目の前で大事な人たちが殺されても、ですか?」
「そうすることが必要なら、な。……泉下君、君の怒りは理解できる。友人を傷つけられることは何にもまして許しがたい行為だ。……だが、怒りに任せて復讐することは愚かな行為だ。本当に友の仇を撃ちたいというなら、冷静になってひたすらチャンスを待つことだ」
「無理です。俺は到底、あなたのようにはなれません」
俺はきっぱりと言った。怒りを押し殺してチャンスを待つなど、俺にはできそうにない。
「泉下君。私には協会に加盟している一万人のゾンビたちの生活を守る義務があるのだ」
星谷は窓の外を見下ろして言った。その声には、わずかに悲哀が滲んでいるようだった。
「俺の戦いは、あなたや他のゾンビたちにとって迷惑なものになるかもしれません。しかし、たとえ非難され、罰を受けたとしても、俺は必要があれば迷わず戦うと思います」
星谷が振り返った。感情を押し殺したかのような瞳の奥に、同情に似た色が浮かんだ。
「ブラックゾンビの総元締めは
星谷はそう言うと、要件は終わったとでもいうように壁の時計を見やった。
「悪いが、そろそろお引き取り願えないだろうか。次の予定が入っているのでね」
星谷は慇懃に言った。俺は「貴重なお時間を、すみませんでした」と頭を下げた。
ビルを後にしながら、俺は自分を取り巻く大勢の死者たちの善意を感じずにはいられなかった。だが、それでもなお、俺は決意を新たにしていた。これは、俺の戦いなのだ、と。
〈第十二回に続く〉
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