第56話 最終話『ゾンビを憐れむ歌』第九回


 エリカが搬送された病院は、都心部にある総合病院だった。


 エリカは一命をとりとめたらしく、俺が駆け付けた時には幸いなことにICUから一般病棟へと移されていた。身内を名乗り病室に赴くと、顔面と腕を包帯で覆われたエリカが、巨体をベッドに横たえていた。


「大丈夫か、エリカ」


 俺はベッドに近づくと、包帯でぐるぐる巻きにされたエリカに声をかけた。


「その声は……めぐちゃん?……ごめんね。ドジ踏んじゃった。アタシとしたことが、うかつだったわ。あなたに気を付けろって言われてたのにね」


 エリカの切れた唇が、もごもごと動いた。酸素マスクをしていないことが救いだった。


「謝るのは俺の方だ。やはり君たちを巻き込むべきじゃなかった。こういう事態は常に予想してしかるべきだったのに……すまない。君たちを失う事にでもなったら、悔やんでも悔やみきれない」


「いいのよ、アタシ達が自分からめぐちゃんの力になりたいって言ったんだから……でもね、めぐちゃん、あなたを狙ってる奴ら、あなどれないわよ。アタシを襲った相手も、一人だったのに手が出なかったんだから」


「もういい、喋るな、エリカ。君をこんな風にした借りは俺が必ず、返してやる。だから安心して休むんだ」


「嬉しい……めぐちゃんがこんなに優しくしてくれるんだったら、怪我したかいもあるってものよ。……ただ、こんなざまじゃあ、この先、あなたを手伝う事なんてできないわよね。悔しいわ」


「なに言ってるんだ、余計なことは考えないで、怪我を治すことだけ考えろ。俺の事は俺自身がしっかりけりをつける。エリカはここで俺の無事を祈っててくれ。無事に退院できたら、欲しいものを何でも買ってやる」


「いいのよ、そんなの……あ、そうだ。……ねえ、めぐちゃん、もし退院できたら一つだけ、お願い聞いてくれるかな」


「なんだ?」


「デートしてほしいの。お休みの日に。……普通の……普通のカップルみたいに」


「お安い御用だ。そんなこと、いつでもしてやる。だから早く良くなってくれ」


「本当?……チューもしてくれる?」


「チューでも肩もみでも何でもしてやる。だからここでじっとしてろ」


「うん。……気を付けてね。命を無駄にしないでね」


「わかってる。もう一度君の歌を聞くまでは、死なないさ」


 俺は病室を後にした。熾火のような怒りが、胸を黒く焦がしていた。



                ※


  そのビルは、駅前の一等地にそぐわないいたく古めかしいたたずまいをしていた。


 俺は階段をのぼりながら、恩師に会いに行くような緊張感を覚えていた。二階のとっつきにあるひどくみすぼらしい扉を押し開けると、饐えたようなにおいが鼻を突いた。


「こんにちは」


 俺は、奥のデスクでうず高く積まれた資料に埋もれている一人の男性に声をかけた。男性は、俺の存在を無視しているのではないかと思えるほど、無反応だった。


「おやっさん、ちょっといいですか。イズミです」


 改めて声をかけると、男性はようやく資料から顔を上げ、眼鏡の奥から俺を睨めつけた。


「おう。久しぶりだな。もう少しで終わるから、座れるようにその辺を片付けといてくれ」


「おやっさん」こと藤村昭三は老眼鏡を上げ下げしながら、面倒くさげに言った。


 俺は、くすんだパーティションのある一角に足を踏み入れると、乱雑に積まれた段ボール箱や書籍の山を片付けにかかった。しばらくすると、雑誌の山の下から応接セットらしきものが姿を現した。テーブルの上には勝負中のオセロがそのまま放置されていた。


「湯飲みを二つ置けるスペースはできたぜ。こんなもんでいいかい」


 俺が声をかけると「おやっさん」は資料から顔を上げ、物憂げな所作でこちらを見た。


「ああ、ま、上出来かな。ちょっと待ってろ」


「おやっさん」は椅子から立ち上がると、床の上のダンボールをかき分けながら応接セットの前まで移動した。「まあ、座れ」と示された場所は、古めかしい金庫の上だった。


「おやっさん」は俺がゾンビになった直後に、平坂医師とともに後見人になってくれた恩人だ。


『還人協会』の役員として多くのゾンビたちから頼りにされている存在で、右も左もわからぬ新人ゾンビたちの多くが「おやっさん」から住居や仕事、社会的な手続きに至るまで手厚い援助をうけていた。


「おやっさん」自身はゾンビの中小企業同友会で長く働いた後、小売業界の業界紙を発行する仕事に携わっている。いわばゾンビ社会における「縁の下の力持ち」的存在だった。


「……で?今日はいったい、何の用だ」


「金森彰が死んだ。……知ってますか」


「……さあ、知らないな」


「おやっさん」は表情を動かすことなく応じた。俺は構わず続けることにした。


「俺の友人にユキヤという若者がいます。彼の兄は窪沢愛美の事件で、愛美の監視役を命じられた人物です。そのユキヤの兄が金森が死んだ後、急に情緒不安定になって奇妙な言葉を口にするようになったそうです」


「ふうん。……それで?」


「『ブラックゾンビ』と言う言葉を聞いたことがありますか」


「…………」


「おやっさん」は沈黙すると、天井を仰いだ。俺はさらに言葉を重ねた。


「愛美の事件は十年前、俺がまだゾンビになる前の出来事です。そのころの俺はゾンビの存在さえも知りませんでした。それが今、十年も前の世界から『ゾンビ』という言葉だけが、時の向こうから俺を追いかけてきた」

「……それで?」


「『ブラックゾンビ』が十年以上も前から存在していたとしたら、どうしておれは知らなかったんでしょうか?」


「さあな。……ところでイズミ。リサイクル屋の方は、順調なのか?」


「あ、はあ。まあ、一応は。儲かってはいませんが」


「バンド遊びはまだ続けてるのか。友達は増えたか?」


「ええ。おかげさまで楽しくやってます。近頃は若い友人が増えて、新鮮な感じです」


「じゃあ、いいじゃねえか。平穏に暮らすのが一番だ」


「知ってるんですね。『ブラックゾンビ』を」


 俺が探りを入れても、「おやっさん」は関心のなさそうな表情のままだった。


「……知ってたら、どうだっていうんだ」


「教えてください。何者なのかを」


 俺は深々と頭を下げた。「おやっさん」は横を向くと「ふん」と鼻を鳴らした。


「『ブラックゾンビ』は人を食らうゾンビだ」


「えっ」


              〈第十回に続く〉

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る