第55話 最終話『ゾンビを憐れむ歌』第八回


 俺が目を覚ました時、最初に気づいたことは自分のベッドではないということだった。


 上体を起こし、周囲に目をやった俺は、瞬時に状況を理解した。ダブルベッド並の大きなベッドが置かれたその部屋は、壁紙もカーテンもすべてが見事なまでのピンク色だった。


 そして箪笥の上には隙間もないほどみっしりと「エリカちゃん人形」が並んでいた。


 俺がベッドから降りようとした時、ふいにドアが開いてエリカが顔を出した。


「あら、起きちゃった?勝手に運んじゃってごめんなさい。ここ、アタシのマンションなの。……あ、勘違いしないでね。別に変なことをしようっていうんじゃないんだから」


 エリカが珍しく顔を赤くして言った。俺は「重かったろう、すまない」と頭を下げた。


「ううん、全然、そんなことなかったわ。それより、もう体は大丈夫なの?首に傷があったみたいだけど、今見たら、ないわよね。不思議ねえ、めぐちゃんって」


 エリカが首をかしげた。秘密を持ち続けている事への後ろめたさで、胸が痛んだ。


「ねえ、アタシ達、知り合って一年半くらいになるけど、今だにめぐちゃんって謎の所がたくさんあるのよね。危ない目に遭う事なんかも含めて……」


「すまない。巻き添え食わせてしまって」


「いいのよ、そんなことを言いたいんじゃないの。……あのね、もし厭じゃなかったら、そろそろ、アタシ達にも話してもらえないかな。めぐちゃんの秘密……」


 エリカは思いつめたような表情になった。俺の中のどこかで「そろそろ言うべきではないか」という思いが芽生えた。平坂先生なら「恐れることはない」とでも言うだろうか。


「……そうだな。エリカたちにだったら、話しておいた方がいいかもしれない」


 俺がゾンビであることを話すことで、エリカたちに危険が及ぶ可能性だってある。……だが、それを恐れて誰にも心を開かずにいることは、正しいとは言えないのかもしれない。


「長い話になるが、いいか?……それと、俺がこれから話すことは、普通の人間だったら到底、信じることができないような話だ。もちろん、笑い飛ばしてくれる分には一向に構わない。俺自身、今の境遇をいまだにすべては受け止められていないんだからな」


 俺が断りを入れると、エリカは微笑みながらかぶりを振った。


「めぐちゃんの言う事、誰が疑うもんですか。どんなおかしな話だって、信じるわよ」


 俺はエリカに、記憶を失うきっかけとなった事件の事から、ゾンビとして甦ったこと、その後の『還人協会』や先輩ゾンビたちとの出会いの事などを語って聞かせた。俺の特殊能力にはさすがに驚いていたものの、話が進むにつれ、エリカの俺を見る眼差しは真剣なものになっていった。語り終えると、エリカは目を閉じ、大きなため息をついた。


「たしかに、信じられないようなお話ね。……でも、今のお話を聞いたら、今までのめぐちゃんに対する疑問が、みんな解けた気がする。……苦労してきたのね」


「だから、俺の近くにいると、俺を狙ってやって来るわけのわからん連中に襲われたり、とばっちりを食う危険性があるってわけだ」


「そんなの、構わないわ。むしろどんと来いって感じよ。それにめぐちゃん、今までたった一人で戦ってきたんでしょう?これからは、アタシたちも一緒に戦うから、安心して」


 エリカはそう言ってウィンクして見せた。俺は柄にもなく胸が熱くなるのを覚えた。


「……君たちには、世話になりっぱなしだな」


「なに言ってるの。アタシたちこそ、めぐちゃんからいつもときめきをもらってるのよ。だからおあいこよ。それとも、オカマとの間には友情なんて成立しないって言うの?」


「いや……誰よりも強い友情を感じてるさ」


「嬉しいっ。……愛情が成立しないのがちょっぴり悲しいけど、まあいいわ。じゃあ、アタシたち、これからもめぐちゃんの親衛隊を続けさせてもらうわね」


 俺は手で顔を覆った。出るはずのない涙がこみ上げてくるような気がしたからだ。


 死んでから十年経ってようやく、俺は生きていることの意味を実感し始めていた。


                  ※


「アイドルになろうと思ったんです」


 荻原加菜はそう言うと、アイスティーを一口すすった。


「先生から志望校は無理かもしれないって言われて、それで成績とか関係ないところで認められたいって急に思っちゃって。……そんな時、ネットで『ネオメン』の噂を見たんです」


「ネオメン?」麻里花が加奈の顔を覗き込むようにして訊いた。


「ネオ・フロンティアの面接の事です。ネオ・フロンティアっていう、表向きはボランティア団体になっている芸能スクールに一年間通えば、その後どこの芸能事務所を受けても絶対、受かるっていう都市伝説みたいなものがあったんです」


「都市伝説か。……そんなもの、真に受けてたら振り回されるだけだぜ」


 俺が諭すと、加菜は口をを引き結び、挑むような眼差しになった。


「だって、私にはそれくらいしか未来につながりそうな話がなかったんです」


「私が志望校は難しい、なんて言ったのが悪かったんです。本当は今から挽回すれば十分、合格圏に届く成績だったんですけど、頑張ってほしくて、つい厳しい言い方をしました」


 麻里花が消え入りそうな声で言うと、加奈はかぶりを振った。


「ううん、先生がそう言うつもりで言ったっていうことは、わかってた。……私はただ、勉強を頑張ったからって百パーセントの成功が保証されてるわけじゃないのが、怖かったんです。自分の未来が、見えそうで見えない霧の向こう側にあることがもどかしくて……」


「でも、怪しいわよね。ちゃんとした芸能スクールだったら、なにもボランティア団体に擬装する必要なんかないし、ネットの口コミで人を集めなくたって普通に広告出して集めれば済むことでしょ」凉歌が強い口調で言うと、加奈は「たしかに」と言った。


「でも、ネットの噂が魅力的だったことも確かなんです。とあるお店に行って、ネオ・フロンティアでボランティアをしたいって言えば面接してくれるって。

……でも、そのお店の名前がどのサイトにもなくて。あちこち探してようやく『ワン・プラス・ワン』っていうお店だってわかったんです。


 それで行ってみたら、本当に面接してくれて、これでもう決まりかなって思ったんです。そしたら一週間ぐらいしてメールで一言、不採用だって。私、たかがボランティアの面接なのに、落とされたのが納得いかなくて、それでつい、直接お店に行ってしまったんです」


「まあ、落とされて正解だったかもしれないぜ。確かに涼歌君が言うように、その団体には胡散臭い所がある」


 俺は『ワン・プラス・ワン』からの帰り道に、暴漢に襲われたことは伏せたほうがいいと判断した。いまのところ接触を免れているのだから、不必要に怖がらせることはない。


「そうかもしれないです。……普通に勉強を頑張って、もしだめだったら、今度は普通の芸能事務所を受けてみます。……あ、それじゃあまた、現実から逃げてることになるのかな」


「そうじゃないわ。姿勢の問題よ。抜け道を探したっていい事はないってことよ」


「そうですね」


 加菜ががっくりと肩を落とした時、俺のポケットで携帯電話が鳴った。表示を見ると、珍しくミカからだった。俺はほんの少し、嫌な予感を覚えた。


「もしもし、めぐちゃん?大変なの、エリカが襲われて、病院に運ばれちゃったの」


「なんだって?」


 全身に衝撃が走った。ミカに告げられた病院の名を書き留めると、俺は席を立った。


「すまない、急に用事ができた。後は皆さんでお話を続けてください」


 俺は支払いを済ませると、店を飛び出した。鼓動が早鐘のように鳴っていた。

 どうしてこんなことになったんだ。……エリカ、頼むから無事でいてくれ。


 俺は通りに出ると、タクシーを拾った。運転手に行先を告げるとシートに身を沈め、目を閉じてひたすらエリカの無事を祈り続けた。


              〈第九回に続く〉

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