第54話 最終話『ゾンビを憐れむ歌』第七回


 ジャンパーの男はゆっくりと俺との距離を縮めてきた。もしこいつらが『狩人』だとしても、昼間の住宅地で飛び道具を使うとは考えにくい。近接戦だとすれば、よほど格闘の腕に覚えがあるのに違いない。それならそれで、やりようはある。


 俺は「粒子」に呼びかけた。右手の指が徐々に強張ってくるのが感じられた。近接戦に適した能力の一つで、手首から先の拳を石のように固くする『石化拳』という能力だった。


 ジャンパーの男が俺から三メートルほどの位置で足を止めた。蹴りか?俺は身構えた。


 右手の石化は七割方、完了していた。俺はその場を動かず、相手の出方を見る事にした。


 先に動いたのは、ジャンパー男だった。男は身をかがめ、重心を低くするとレスリングのタックルの要領で突進してきた。俺は瞬時に間合いを測ると小さくジャンプし『石化拳』を男の後頭部に叩き込んだ。……が、次の瞬間、何かに両足の自由を奪われ、俺は地面に叩きつけられた。


 振り返ると、地面にうつ伏せになってのびているジャンパー男の背後に、両手に鞭を携えて立っている小柄な人影が見えた。コート姿のその男は、低く忍び笑いを漏らすと、目深に被っていたハンチング帽の鍔を押し上げた。


「久しぶりだな、青山」


 露わになった人物の顔を見て、俺は言葉を失った。同時に、失われていた記憶の一部が凄まじい奔流となって脳裏に甦った。コート姿の男は、俺が警察官になって間もない頃、コンビを組んで捜査のイロハを教わった藤堂とうどう刑事だった。


「藤堂さん……」


「お前の体術の癖はよく知っている。たとえ特殊な能力を持っていても基本的には同じだ」


 俺は愕然とした。確かに柔道などの体術も、藤堂にしばしば付き合ってもらったのだ。


「なぜ……」


「なぜ……か。まあそうだろうな。不思議に思うのも無理はない。だが人生という物は平たんではない。時として正義が悪になることもある。「刑事」が『狩人』になるようにな」


 藤堂が狩人だと?俺は全身に戦慄が走るのを覚えた。なぜ、有能な刑事だった藤堂がゾンビを狩るなどと言う闇の仕事に身を落としたのか。


「もっともその理由までは知る必要がない。かつては同僚でも、今の君と私は「狩る」側と「狩られる」側にすぎない。無駄な抵抗はやめて、おとなしく私に狩られるのだな」


 俺は身構えた。たしかに俺の癖を知り尽くした藤堂が『狩人』になったのなら、たとえ俺がゾンビの特殊能力を駆使しようと、その裏を易々とかくに違いない。


「さあ、どうする?お前さんの「能力」については一通り、レクチャーを受けているぜ」


 藤堂は俺の足から離れた鞭を器用に手元に引き寄せた。鞭の巻き付いた箇所が重く痺れていた。一見すると普通の鞭だが、あれは対ゾンビ用の武器の一つ『死人鞭』に違いない。


 俺は思案した。確かにこのままでは埒が明かない。何か藤堂の裏をかく方法はないか。


「どうした。かつての同僚を攻撃するのは忍びないか。そんな事では生き延びられないぞ」


 藤堂が両手の鞭をしならせた。鞭が風を切る不気味な音が、耳を打った。それにしても、なぜ馬鹿が付くほどの生真面目なたたき上げ刑事が『狩人』になぞなったのだろう。俺は藤堂の境遇に思いをはせた。


 四十代になってから結婚した藤堂にはたしか、幼い娘がいたはずだった。噂では生まれつき心臓に重い疾患を抱えていて、海外での手術が必要とも言われていたという。……まさか金のためとは思いたくないが、藤堂ほどの男が『狩人』に身を落とすとなれば、家族のためぐらいしか理由が思い浮かばない。


「来ないのなら、こちらから行くぞ!」


 藤堂の鞭が俺に向けて放たれた。俺は紙一重の所で身をかわすと、ジャンパー男と同様に身をかがめて藤堂の懐に飛び込んだ。


「甘い!」


 藤堂は鞭を短く握ると右にステップし、猛獣をいなすように俺の首に巻き付けた。


「ぐうっ」


「どうした、特殊能力におぼれて基本の体術も忘れたか。……俺から見れば今のお前は野生の獣も同然だ。突進してくるのを待って狩るだけでいい」


 藤堂は俺の首に巻き付けた鞭を絞め始めた。酸素の供給が途絶え、目の前が赤く染まった。ようし、もっと近づけ……俺は薄れる意識の中でそう念じた。


「さて、そろそろ終わりにしよう。言い残すことがあれば、今のうちに言っておくんだな」


「…………」


「……なんだ?」


 藤堂が俺の口元に耳を近づけてきた。今だ。


 俺は大きく口を開いた。上顎の犬歯が一瞬で伸び、斜め下方に向かって突き出した。俺は藤堂の鞭を握りしめた拳に『悪霊の牙』を勢いよく突き立てた。


「ぐあああああっ」


 首を絞めている鞭が緩んだ。俺は藤堂との間に間合いをこしらえると、藤堂の顎に向けて『石化拳』を繰り出した。アッパー・カットが綺麗に決まり、藤堂は鞭を手にしたまま、後ろざまに倒れていった。


「形勢逆転ですね、藤堂先輩」


 俺は藤堂の上に馬乗りになった。藤堂は痛みに顔をゆがめながら、俺を見た。その眼にはなんの感情も浮かんでいなかった。俺は拳を高々と振り上げ、空中で止めた。


「藤堂さん。ここであなたを倒しても、俺には嫌悪しか残らない。できれば身を引いてほしい。かつての部下からの、せめてもの頼みです」


 藤堂は無言で俺を見返した。俺は唸った。どうあっても引くつもりはないということか。


「引いてくれないのなら、残念ですが意識を失ってもらう事になります。……いいですか」


 俺は拳を振り上げた腕に、力を込めた。藤堂は観念したのか、無言のまま両目を閉じた。


「すみません、藤堂さんっ」


 俺は藤堂の鳩尾めがけて拳を振り下ろそうとした。その瞬間、俺は何者かに背後から羽交い絞めにされた。しまった、と俺は思った。ジャンパー男が意識を取り戻したのだ。


 ジャンパー男はポケットからスプレー缶のような物を取り出すと、俺に向けて噴霧した。


「うっ……」


 一瞬、むせた後、俺は体に異変を覚えた。石化しかけていた指から硬さがみるみる失われ、同時に足の筋力がガスが抜けるように奪われていった。立っていることがままならなくなり、俺はその場に膝をついた。


 全身から力が奪われてゆき、俺はゆっくりと地面に頽れていった。俺の脳裏に、かつて平坂医師から聞いたある武器の名が甦った。それは死粒子を不活性化させ、ゾンビの能力を封じる『サイレント・ミスト』という物質だった。


 効果があったことを確信したのか、ジャンパー男は俺の元にゆっくりと歩み寄ってきた。男の手には、死んだ男が持っていたのと同じような糸鋸が握られていた。


 くそっ、これまでか。


 俺はどうにかして一矢報いようと「粒子」に呼びかけた。しかし薬の力で沈黙させられている「粒子」はからは何の応答もなかった。がくりと項垂れた俺の首に、ゆっくりと糸鋸が巻きつけられるのがわかった。今度こそ、本物の「死」が訪れようとしていた。


 首に巻き付いた糸鋸の歯に力がこめられた。首の皮が切り裂かれようとしているのがわかった。俺が動かぬ手を必死で持ち上げようとした、その時だった。


「ぐうっ」


 どこからかくぐもった呻き声が聞こえ、人間の倒れる音がした。次の瞬間、糸鋸に込められたられた力が弱まったかと思うと、ごきりと骨がずれる音が聞こえた。


 俺は顔を上げ、目を見開いた。ジャンパー男が地面に横たわり、その傍らにバランスボールに手足をつけたような見慣れたシルエットが立っていた。


「エリカ……」


「嫌な予感って当たるものね。ミカからお店の場所を聞いておいてよかったわ」


 エリカは眉を顰めて言った。俺はまだ藤堂がいることを思い出し、姿を探した。だが、すでに藤堂の姿はなかった。俺はふらつきながら立ち上がると

「ありがとう、助かった」とかろうじて礼を述べた。エリカは俺に寄り添うと

「まだ動けないでしょ」と肩を貸した。


「ねえ、言いたくないんだったらいいけどさ、あの連中、何?」


 エリカがタクシーを探しながら、聞いてきた。俺は「わからない」と正直に言った。


「ふうん。アタシてっきり、やくざでも怒らせたのかと思った。……でも、よく考えてみたら変よね。白昼、住宅地の真ん中で殺そうとするなんて」


 エリカは鋭く分析すると「あー、この辺、やっぱり来ないわね。タクシー」と言った。


「ね、ちょっと交通量の多いとこまでいくから、おぶさりなさい」


 そういうと、エリカは俺に背中を向け、しゃがんで見せた。俺は言われるままに、エリカの背中に乗った。エリカの大きな背中は、不思議と俺の気持ちをほぐしていった。


「なんだったらそのまま、寝ちゃいなさい。疲れてるんでしょ?」


「そうはいかない」と俺は言った。……が、己の言葉に反するかのように、エリカの体温と心地よい揺れが、俺を闇の中へといざなっていった。


             〈第八回に続く〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る