第51話 最終話『ゾンビを憐れむ歌』第四回
側溝のような細長い溝の中を、エックス型に開いた翼が凄まじい速さで飛行していた。
コックピットがアップになり、ミサイルの発射ボタンが押される。溝の先にある穴にミサイルが撃ち込まれ、主人公の乗った戦闘機は間一髪で敵地から脱出を果たす……
俺はパソコンの画面を前に唸った。やっぱり『スター・ウォーズ』はいい。特に「エピソード4」と呼ばれる第一作は、何度見ても飽きることがない。ミニチュア宇宙船のドッグファイトは、昨今のCG映画では絶対に出せない実在感にあふれている。世の中にこれほど面白い映画があるだろうか。
俺が満足しながらエンドロールを味わっていると、入り口の引き戸が開けられた。
「こんばんは。お久しぶりです」
入ってきたのは、ユキヤと彩音だった。俺はパソコンを止め、オーディオに切り替えた。クイーンの『愛にすべてを』が流れ出した。まあ、無難か。俺は店主の顔で二人を迎えた。
「今日は、泉下さんに聞いていただきたいお話があってきたんですが……いいですか?」
「あいにくと仕事中でね……といいたいところだが、どういうわけか今夜は客が全然来ない。……というわけで、特別にOKだ」
俺が言うと、彩音がくすっと笑った。DVDを観ていたことに気づいているのだろう。
「泉下さんは、金森彰が亡くなったことをご存じですか」
ちょうど麻里花からそのことを聞いたばかりだった俺は、神妙に頷いた。
「実は金森が無くなった直後から、うちの兄貴がおかしなことを言うようになったんです」
「おかしなことと言うと?」
「金森は殺されたんだ、俺も狙われる……そんな事を言うようになったんです」
金森が殺された、という話は麻里花の言っていた話と奇妙に合致した。
「どうしてそんなことを言い出したのか、見当はついているのかい」
「はっきりとはわかりませんが、兄貴は金森が何者かに脅されていたと思っているみたいです。窪沢愛美さんをマンションに監禁していた時も、金森に対して指示らしきものを出し続けていた人物がいたようだと言っていました。
愛美さんを山中に連れ出したのも、山奥で暴行するためではなく、誰かに愛美さんの身柄を引き渡すよう要求されて、仕方なく逃げたんじゃないか、とも言っていました」
「その誰かは、愛美をどうするもりだったんだろう」
「わかりません。とにかく金森はいままで言われていたような主犯ではなく、何者かの争いに巻き込まれ、愛美さんはそのとばっちりで亡くなったのだと考えているようです」
「ふうん。……で、その何者かの見当はついているのかな」
「俺も何度か問いただしてみたんですけど、わからない、怖いの一点張りでどうにもらちがあかなくて。ただ、一度だけ、漫画みたいな不思議な言葉を口にしたことがあるんです」
「漫画みたいな言葉?」
「ええ。『このままじゃ、俺の所にもブラックゾンビが来る』とか……」
「ブラックゾンビ?」
ゾンビという言葉に、俺は思わず反応していた。まるで聞いたことのない言葉だった。
「ええ。ブラックゾンビとかいう物が実在するのかどうかは知りませんが、兄貴は金森を殺した何者かが、自分の所にも遠からずやって来ると思い込んでいるみたいなんです」
俺は麻里花の説を思い出した。愛美の継父がやくざから金を奪い、その金のありかを愛美が知っていたという話だった。
「それで?俺に相談と言うのは?」
「実は俺も兄貴の様子が落ち着くまで、バンドを休もうと思っているんです。それと……彩音に会うのも少し控えようかと」
ユキヤが言うと、彩音がユキヤの脇から身を乗り出した。
「おかしいですよね?お兄さんが危ないから、自分にも近づかないほうがいい、なんて」
「まあ、お兄さんの感じている危機感が本物かどうかも、そもそもわからないしな」
「それでも、いったん事が落ち着くまで、事件と無関係な人間は近づけたくないんです」
「ユキヤ君だって無関係じゃない」
彩音がユキヤを睨み付け、二人の間に膠着した空気が生じた。
「まあ、ユキヤ君の言う事もわかるがな。それだけ彩音君の事を大事に思っているってことだろう」
「だからって、そんなに怖がらなくても……それに私、少々怖いことに巻き込まれても平気です。ユキヤが怖い目に遭っているのに一緒にいられないなんて、そっちの方が嫌です」
ユキヤは「どうしてわかってくれないんだ」という顔をした。俺はこの場をうまく収められるような言葉を探した。とりあえず、彩音の感情を鎮めることが最優先だった。
「まあお兄さんも君も、まだ実際に恐ろしい目にあったわけでもないんだし、いたずらにびくびくしないで少し様子を見たらどうだい。彩音君も、もし本当にユキヤ君が危ない目に遭ったらその時はやはり、どんなに嫌でも距離を置かざるを得ないと思うぜ」
俺はできるだけ押し告げがましくならないよう、二人を諭した。ユキヤがホッとした表情を浮かべるのとは対照的に、彩音は目に不満げな色を浮かべたまま、押し黙った。
「僕がここに来た理由は、金森が自殺じゃないとしたら、兄貴だけじゃなくて泉下さんにもなにがしかの危害が及ぶと思ったからです。泉下さんは愛美さんが亡くなった時の記憶がないそうですが、もし真犯人の姿を見ていたとしたら、泉下さんも安全とは言えません。もし何かを思い出したとしても、迂闊に口にしないほうがいいと思います」
「覚えておくよ。忠告ありがとう」
ユキヤの言う事はもっともだった。気を付けるに越したことはない。二人の姿が店の外に消えた後、俺は引き出しから古ぼけた写真を取り出した。
黒いごみ袋を貼って暗くした教室で、複数の生徒がポーズを決めていた。俺がまだ教師をしていた時の学園祭の写真だった。
俺のクラスは「ロック喫茶」をやり、写真の中央で制服の上に革ジャンを羽織り、ピースサインをしているのが愛美だった。何かを思い出しそうなとき、俺は必ずこの写真を見ることにしている。そしていつも、打ちひしがれた気分になってしまうのだった。
俺は目を閉じた。教師時代のことも、警官時代のことも、なに一つ脳裏に甦っては来なかった。生きている人間の心を失った俺には、過去からの亡霊と戦う力などないのかもしれない。俺は強い無力感に捕われてゆくのを感じた。
気が付くと、入り口のガラス戸に雨の跡が幾筋もついていた。今日はもう、閉めよう。
俺は目を開けると、カウンターの外に出た。外看板を屋内に入れ、シャッターを下ろして店内に戻ると、いつの間にかBGMが『地獄へ道づれ』に変わっていた。
なんだか、落ち着かない夜だな。
ふとそう思った時、シャッターを外から叩く音がした。なんだろう、随分と荒っぽい客だな。そう思いながらシャッターを上げると、そこに現れたのはずぶ濡れの涼歌だった。
「おい、一体どうしたんだ。雨が降ってるのに傘も差さないで――」
そう言いかけた時だった。涼歌はいきなり俺に抱き付くと、激しく泣きじゃくり始めた。
「どうした、何かあったのか」
戸惑いつつ問いかけると、次の瞬間、凉歌の口から思いもよらない言葉が発せられた。
「死んじゃったの。……みづきちゃんが、死んじゃったのお!」
血を吐くようにそう叫ぶと、再び涼歌は激しく泣き始めた。俺は言葉の意味をとらえかね、問いただそうとした。……が、涼歌はひたすら泣きじゃくるばかりで、それ以上、何を聞いても答えようとはしなかった。俺は涼歌をなだめつつ、その場に呆然と立ち尽くした。
〈第五回に続く〉
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