第49話 最終話『ゾンビを憐れむ歌』第二回

「話したいことがある」と笹原麻里花からメールがあったのは、肉体労働のアルバイトを終えて『トゥームス』に向かう夕方の事だった。


 俺は『トゥームス』を早めに店じまいすると、約束したファミリーレストランに向かった。店に到着すると、麻里花は窓際の席で携帯電話を操作していた。俺が近づくと、麻里花はぴょこんと立ち上がり「お久しぶりです」と一礼した。


「お話があるということですが」


 俺は慇懃に言った。かつての生徒ではあるが、記憶を一部無くしていることもあって砕けた口調に戻るのにはやや時間を要した。もちろん、ゾンビならではの警戒心もあった。


「はい。……青山先生は、金森彰が亡くなったことをご存じですか?」


 金森彰。その名前は俺の薄れかけた記憶を刺激するのに十分なインパクトがあった。


「本当ですか?死因は?」


「詳しいことはわかりませんが、聞いた話だと自殺という事です。出所後の生活がうまく立て直せず、精神的に不安定だったという話は聞いていましたが……」


 金森彰は、窪沢愛美を殺害した実行犯とみなされていた男だった。殺人が証拠不十分で立件できず、暴行未遂で起訴されて実刑を受けていた。数年前、仮出所が認められたことは風の噂で耳にしていたが、その後の足取りや生活態度については知るすべがなかった。


「私が先生にお話したかったのは、最近になってあることを思い出したからです」

「あること、と言うと?」


「愛美の事です。私は金森とはあまり面識がないのですが、愛美が亡くなる少し前に、こういう事を話していたんです「彰も私と同じで、追われる身なんだよね」と」


「追われる身?誰に?」


「それがわからないんです。愛美は私と会ったころから、常に誰かの目を気にして怯えているようなところがありました。私は愛美に聞いた過去の話から、お継父さんの一件が心に傷を残したのだろうと思っていました」


「お継父さんんとの一件と言うと……あの正当防衛のことですか」


 麻里花は頷いた。愛美は小学校六年生の時に、継父を亡くしている。以前からことあるごとに暴力をふるっていた継父があるとき、些細なことで逆上して愛美の生母の首を絞めたことがあった。


 愛美は継父を止めようと割って入り、今度は愛美が首を絞められたのだった。気が付くと継父は腹部を包丁で刺され、動かなくなっていたのだという。


 愛美は正当防衛が認められたが、生母が死体遺棄の疑いで逮捕され、一時的に遠縁の親戚の元に身を寄せざるを得なくなった。生母は執行猶予がついたものの、母娘は知り合いのいない場所で再出発することを余儀なくされたという。


「私も後で調べてわかったんですが、窪沢親子は継父が生き返って自分たちを襲うのではないかと言う恐怖のあまり、死体を一晩、外の草むらに放置したらしいんです。その間に野犬かカラスかわからないですけど、死体の一部を食い荒らしたらしくて、そういう残酷な話も事件に悪い印象を与えたみたいなんですよね」


「なるほど、そんなことがあったのでは同じ場所には暮らせないな」


「それだけじゃないんです。亡くなられたお継父さんという方はやくざとも付き合いがあったみたいで、借金トラブルで脅されたり暴力沙汰になりかけたりしていたそうです。


 実際、死亡後もやくざらしき人たちが「父親が持ち逃げした金を出せ」と迫ったりしていたそうです。持ち逃げの話が本当なのか単なる向こうの思い込みかはわからないですが、金額によってはそのままでは済まないこともあると思うんです」


「……というと、転居先にもやくざが来るとか?」


 俺は朧げな記憶を弄った。愛美がやくざに怯えていたという記憶はなかった。……だが、たとえやくざが来なくても怯える場合と言うのはあり得る。


「こんな事は考えたくないんですけど、もし愛美のお継父さんがやくざの金を持ち逃げしていて、どこかに隠していたとしたら……それをお母さんが知っていて、密かに持ち出したとしたら」


「その金を巡って、追っ手のやくざとトラブルになっていた可能性もある……と?」


「あるいは……です。愛美の殺害容疑で金森が取り調べを受けた時、金森は山の中で不審な人影を見たと証言しています。もし、愛美に逃げられたことで金森が暴行を断念したとしても、わざわざ口封じのために追いかけて殺害するでしょうか?それも拳銃で頭を撃ち抜くなんて言う非日常的な方法で。


 金森の手からは硝煙反応が出たとのことですが、証言によると愛美を探している途中で落ちている拳銃を発見し、悪戯で撃ってみたとのことです。金森が普段から拳銃を所持していたという傍証は得られなかったそうですし、拳銃自体も発見されていません。私はもしかしたら、金森は本当の事を言っているのではないかと思うんです」


「つまり拳銃は金森たちとは無関係な何者かがたまたま、落としたものだと?」


「そうです。しかも拳銃なんて物騒なものを持った人間が偶然、山中にいたとも思えません。非合法的な武器を持つような人たち……つまりやくざのような人たちがその時、いたということです」


「その人物が愛美を撃ったと?……なんのために?」


「その人物が追いかけていたのが愛美だったから。……つまり、愛美が大金のありかを知っていると確信した何者かが彼女を追いかけていて、口を割らせようとして誤って銃を撃ってしまったということではないでしょうか」


 俺は愕然とした。麻里花の推理は確かに破たんがない。あまりに偶然が重なりすぎているため現実味に乏しいが、全く考えられない話ではなかった。


「君の推理が当たっているとして……それが金森の自殺と関係があると?」


「もし、金森が釈放後も事件の事を追っていて、事件後に何か新しい真実に気づいたんだとしたら……そしてそのことが明るみに出ると困る人たちがいるとしたら」


「つまり金森もまた、殺害された……と?」


「わかりません。いずれにせよ愛美を殺したのが金森でないとすれば、どこかにまだ捕まっていない真犯人がいることになります」


「なるほど。……で、俺は何をしたらいいのかな」


「先生。先生は愛美を追いかけていた途中から記憶が消えているって言われましたけど、本当は、愛美を追って山の中まで入っていったのではありませんか?だとすれば、愛美を殺した人間を見た可能性もあります」


 俺は思わず唸った。たしかに山の中を歩いているような映像が、不意に脳裏に浮かぶことはあった。だがそれが実際の体験の記憶なのか、あるいはたんなる想像なのか俺には判別することができなかった。


「駄目だ……期待に添えなくて申しわけないが、まだ何も思い出すことができない。確かにあの時の俺は無我夢中だったし、山の中まで金森たちを追いかけていった可能性はある。だが具体的な記憶となると、何一つ甦って来ない。残念ながら、真犯人につながる手がかりを提供することは、今の俺にはできない」


「いいんです、そうじゃないかと思ってました。もし、何か思い出したら、教えてもらえませんか」


「もちろん、そうさせてもらう。……それにしても、もし金森が犯人じゃないとしたら、拳銃はいったい、だれが始末したんだろうな。犯人が戻ってきたということだろうか」


「そうかもしれません。……確かに言われてみれば、奇妙な話ですね」


 それきり、俺たちは押し黙った。たとえゾンビと言えど、記憶から逃げることはできない。いかに経験の上塗りをしたところで、過去と言う亡霊との戦いは終わらないのだ。


             〈第三回に続く〉

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