第48話 最終話『ゾンビを憐れむ歌』第一回
マイナー調のリフが延々と続いていた。俺たちのライブの定番曲『ファイナルディナー』の名物、「引っ張りアウトロ」だ。同じフレーズをある回数繰り返し、突然、終わる。
観客はヘッドバンキングに似た首ふりを続け、演奏の停止に合わせてがくりとうなだれる。そして十二数えた後、ドラムがカウントを取り始めるのだ。それがラストナンバー『天国からの帰還』の演奏開始の合図でもあった。
俺はリフに合わせて頭を振る観客の中に、気になる人物を見つけていた。最前列に近い場所に、一人の少女がいた。中学生ぐらいだろうか。普段着のようなカットソー姿で、髪も染めていない。中年男性の多い俺たちのライブでは、涼歌と彩音ぐらいしか見かけない年代だ。
少女はまだこの曲のアウトロがよくわかっていないのか、周囲に合わせてなんとなく頭を動かしているといった風だった。以前やったライブで一度、見かけた事のある顔ではあったが、一体、誰のファンなのかもよくわからない。しかも今日は、ラスト曲の体裁がいつもと若干、異なるライブなのだ。俺は「頼むからうまく乗ってくれよ」と祈った。
リフが終わりに近づき、俺はステージの袖をさりげなく見遣った。神妙な面持ちの涼歌が、半分ほど顔を覗かせていた。このところ、月に一度の割合でやっているファンディ飛び込みヴァージョンなのだった。
通常はヴォーカルの公彦が歌うラストナンバーを、リフが終わってみんながうなだれている間に涼歌がマイクの所へやってきて、ドラムのカウントが始まった途端、ファンディヴァージョンになる、という仕組みだった。
まだ数回しか行っていないせいか、涼歌の表情はこわばっていた。それはそうだろう。しかも最近では、涼歌目当てと思われる中年の男性客がちらほらと見受けられ「ファンディー」という野太い声を響かせたりもしている。
これで緊張するなと言う方がどうかしている。リフが最後の数回になり、俺はどうやって涼歌の緊張をほぐそうかと考え始めていた。
リフが終わり、すべての演奏が停止した。俺はある種の予感を覚え、客席の少女を見た。少女は思った通り、まだ頭を振り続けていた。……と、唐突に少女は頭を振るのをやめ、顔を上げた。
両側の男性客から不審げなまなざしを送られ、少女はきょろきょろと不安げに辺りを見回した。背後で人の動く気配があり、マイクの前に凉歌が姿を現した。次の瞬間「あーっ、ファンディー!可愛いっ!」という声が上がった。ぎょっとして客席を見ると、先ほどの少女が両手をちぎれんばかりに振って満面の笑顔でこちらを見ているのが見えた。
狼狽えつつ凉歌の方を見ると、さすがにこのような展開は予想していなかったのか、きょとんとしたような表情のまま、マイクの前で固まっていた。
さて、どうしたものか……と思っていると、ドラムのカウントが始まった。俺は一応、いつも通りイントロの演奏に取り掛かった。やがて、イントロが終わり歌のパートに入った。……が、いつまで待ってもヴォーカルの歌が聞こえてこなかった。
なんだ?俺は驚いて涼歌の方を見た。そして予想外の光景に思わず、演奏する手を止めそうになった。涼歌は歌うどころか、マイクの前で体を二つ折りにして、爆笑していた。
※
「
凉歌に名前を聞かれた少女は、椅子から身を乗り出さんばかりの勢いで答えた。
「さっき、私の名前を呼んでくれてたみたいだけど、元々バンドのファンなの?」
「ええと……両方です!初めて『リバイバルブート』の皆さんを見たのは二週間前なんですけど、その時もファンディーさんがいたから、両方のファンです!」
「でも私、一曲しか歌ってないんだけど……」
「あの曲がいいんです!……っていうか、ごめんなさい、私『天国からの帰還』以外の曲ってあんまりよく知らないんです」
俺はこらえきれず、噴き出した。部屋の隅では公彦が椅子からずり落ちそうになっていた。つまり今日も、凉歌の登場だけをひたすら待ち続けていたってわけか。
「私、芸能界に入るのが夢なんですけど、はっきりした目標が見つからなくて焦ってたんです。そんな時、ファンディーさんのステージを見て「これだ」って思ったんです。私、この人になろうって」
「私に?……それは嬉しいけど、ちょっと夢が小さすぎるんじゃない?」
「そんなことないです!『天国からの帰還』を歌ってるときのファンディーさんって、アイドルでもロック歌手でもない、なんかキラキラした夢の国の王女って感じだったんです。私もあんな風に、ステージを自分の世界にしちゃう歌手になりたいです」
ロック歌手でもないってのは少々、困るんだがな。……俺はみづきの屈託のない感想を聞いて、困惑した。
「こんなこと言ったら図々しいかもしれないけど、いつかファンディーさんと一緒のステージに立つのが夢なんです!」
みづきは息を弾ませて言った。その程度の夢だったらすぐにかなうと思うが……そう思ったが案外、みづきの言うステージとは、でかい場所のことなのかもしれない。
「いつかなんて言わなくても、すぐに立てるわよ。ね?ゾンディー」
いきなり話を振られ、俺は返答に窮した。「まあな」と返したものの、同時にはて、俺たちの曲に女の子のツインボーカルがはまる曲などあっただろうか、という疑問が生じた。
「じゃあもし、もう一人女の子が必要になったら声かけてください!待ってますっ」
みづきの紅潮した頬を見て、俺は柄にもなく「生きてるってのはこういうことを言うんだろうなあ」と思った。要するに、みづきの真っ直ぐさは生ける屍の俺にとっては少々、眩しすぎたのだ。
「これ、私の連絡先です。ファンディーさん、お友達になってもらってもいいですか?」
みづきはバッグから携帯電話を取り出すと、テーブルの上に置いた。凉歌は「いいよ、後でアドレスとかいろいろ、教えてね」と言った。
「みずきちゃんが人気歌手になったら、ファンディーがサインをもらう側になるかもな」
俺が呟くと「私も今度、どっかのオーディション、受けようかな」と涼歌が返した。
もし彼女がどこかの事務所にでも所属した場合、俺たちにはギャラを払う余裕がない。
「許しませんよ、私たちを見捨ててソロデビューなんて。ファンディーはうちの大事な歌姫なんですからねっ」
薫が顔を赤くして叫んだ。きょとんとする涼歌とみづきを尻目に、俺たちは爆笑した。
〈第二回に続く〉
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