第46話 第三話『奇妙な事実』第十八回


「なんだっ?」


 振り向いた俺の目の前に、三メートル近い「巨人」の姿があった。それは、『ひだまりハウス』で見たアシストスーツを上回るサイズの、人間に似たロボットのような重機だった。


「とうとう……答えにたどり着いてしまったのですね、泉下さん」


 頭上から聞き覚えのある声が降ってきた。俺は重機の操縦席に目をやった。操縦席上部のライトが、マニュピレーターを握っている人物を照らし出していた。それは文枝だった。


「昇太じゃなかったのか……」


 俺は器用にマニュピレーターを操作する文枝を見て思わずつぶやいた。もしかしたら昇太を「北中建機」で遊ばせていた時に、文枝も重機を操縦していたのかもしれない。


「このパワーアシスト「ビクニ800」は、モニターになることを条件に天元さんから借りた最新型なの」


 文枝はマシンの上半身を威力を誇示するように左右に回して見せた。重機はどうやらパワーアシストというらしい。なるほど、これなら人間を木の枝に吊るすくらい朝飯前だ。


「夫と夫の工場を失い、希望を無くした私に生きる道しるべを教えてくれたのが布施先生だった。それに先生はいじめに遭っていた昇太にロボコロを教えてくれた。死体の始末は、私から申し出たの」


 操縦席の文枝は、いつもの穏やかな表情ではなかった。そこにあるのはあらゆるものを犠牲にしてでも何かを守ろうとする執念がこしらえた、夜叉の顔だった。


「それだけじゃない。ロボコロで私は陽人に出会った。陽人はいつも昇太とロボットの話ばかりしていたけれど、私はどうにかして二人きりになりたいと願っていた。

 ……そんな時、陽人が昇太に渡した工作ノートに、一枚の名刺が挟まっていたの。それは『ブラッディプリンス』というホストクラブの名刺だった。そこに書かれていたデュークと言う名が陽人の事だと確信した私は名刺のお店を探し出し、デュークを指名した。


 私を見てびっくりしている陽人を見て、私は幸せな気分になった。この店で今、私だけがデュークの本名を知っているんだ、そう思ったら天にも昇る気持ちだった。私はボランティアを探していた彼に『ひだまりハウス』を紹介した。ここでも、陽人の本当の顔を知っているのは私だけだった」


 文枝がサーチライトで陽人を照らし出し、陽人は強い光を手で遮る仕草を見せた。


「あの頃『ブラッディプリンス』で、陽人は毎晩のように私に言ったわ。布施先生が首尾よく「自分殺し」に成功したら、みんなが新しく自由な人生に旅立つんだ、と。そして、これからも昇太と一緒にロボコロに出場し続けたいとも言っていた。


 ……私はそれを、陽人がずっと私と昇太のそばにい続けてくれるという意味に取っていたわ。……ひょっとしたら陽人と美苗さんが一緒になるのではという疑いを、心のどこかに抱きながらね。


 ……陽人、今日ここで、はっきりと聞かせてほしいの。『ブラッディプリンス』であなたが私に語った夢は本当なの?これからも、私と陽人のそばにずっといてくれるの?どうなの、陽人?」


 文枝はパワーアシストの蟹の鋏のような二本の腕を高々と振り上げた。陽人は目を見開き、怯えたような表情を浮かべていたが、やがてぶるんと大きくかぶりを振った。


「ご、ごめんなさいっ」


 そう叫ぶと陽人は項垂れ、後ずさった。


「陽人……はるとおおっ!」


 血を吐くような叫びが夜気の中にこだました。同時にうおおおんという唸りとともにパワーアシストが俺の方に向けて足を踏み出した。


「よってたかって私を騙していたのねっ。……許せない。みんな殺してやるうううっ」


 殺気を感じた俺は、後方に跳躍を試みた。次の瞬間、俺の身体は宙に浮きあがった。


 万力のような力で胴体を締め上げられ、俺は苦悶の呻き声をあげた。パワーアシストの巨大な鋏が俺の身体を掴み、持ち上げていたのだった。


「泉下さん、昇太に優しくしてくれてありがとう。あなたに恨みはないけど、これが天元さんとの約束なの」


 モーターの唸りとともに、二本の鋏に凄まじい力が加えられた。肺が悲鳴を上げ、呼吸がままならなくなった。どうすればいい。このままではこの怪物に殺されてしまう――


 目の前が赤く染まりかけた、その時だった。闇を裂いてある声が耳の奥に突き刺さった。


「だめだよ、ばあちゃん!」


 鋏の、俺を押しつぶそうとする力がわずかに弱まった。昇太か。後をつけてきたのか。


「イズミは何にも乗ってないじゃないか。こんなの、フェアじゃないよ」


「昇太、お家に帰る時間でしょ!邪魔しないでっ」


 文枝が絶叫し、再び二本の鋏が俺の身体を圧迫し始めた。臓器のいくつかは、破裂寸前だった。


 俺の脳裏に、平坂先生に教わった能力の一つが甦った。それは、いくつかの臓器が破裂した時に初めて発動するという究極の技だった。

 ぼきぼきと肋骨の折れる感触があり、ごぼっと言う音を立てて鮮紅色の血が喉からあふれ出した。まず肺か。


「やめてよ、ばあちゃん。イズミが死んじゃう!ロボコロは相手が致命的なダメージを受けたらやめるのが掟だよっ!」


「お黙りなさいっ!私にはもうこれしかないのっ」


 鋏にさらに力が加えられた。背骨が軋み、今度は黒い血が喉からあふれた。また一つ、臓器が破裂したようだ。あと一つ、何か破裂しさえすれば……


 薄れゆく意識の中で、俺はチャンスを待った。体の中身が上下に押しやられ、俺の身体は、歯磨きのチューブのようにつぶされていった。


 もうだめだ、死んじまう!


 そう思った瞬間、何かが弾ける感覚があった。次に、身体の奥で粒子が爆発的に気体を発生させ始めていた。

 紙のようにぺしゃんこになりかけていた身体が突然、風船のように膨らみ始めた。腐敗ガスで体を膨張させる『土佐ェ門』という技だ。


「なっ……なんなのっ?」


 文枝が恐怖の叫びを上げた。俺を押しつぶそうとしていた鋏が、ゆっくりと内側からこじ開けられていった。鋏をこじ開け、押し開いた俺の身体はアドバルーンのように丸く膨れていた。よし、今だ。俺は肘から先を動かすと、両手の指を膝に押し当てた。


 粒子よ、俺に最後の力をくれ……『悪霊の爪』だ!


 見る見るうちに両手の爪が伸び、尖り始めた。俺はこの後襲われるであろう激痛を思い、歯を食いしばった。……よし、今だ。


 削りたての鉛筆のように尖った爪を、俺は風船のように膨張した自分の両膝に向かって勢いよく突き立てた。


「があああああっ!」


 耳を覆うような破裂音とともに、俺の身体に穴が穿たれた。同時に気体が勢いよく噴き出す音がして、あたり一帯が凄まじい腐敗臭に包まれた。ぺしゃんこになった俺の身体は鋏の間をするりと抜けて地面に落下した。


「イズミっ!」


 俺はふらふらと立ち上がると、昇太の方を振り向いて言った。


「昇太……よく見ておけよ。生き物はな、死ぬとこうなるんだ。腐ってハエがたかり、ドロドロに溶け、悪臭をまき散らして土に帰る。どんな美しい生き物でも同じだ。何人たりともこの定めから逃れるすべはない。ばあちゃんも、父さん母さんも、……そしてお前も、いつかはこういう姿になるんだ」


 俺は助走をつけると、パワーアシストの足元に駆け込んだ。死角に入り込まれ、俺の姿を見失った文枝はパニックに陥った。


「どこ?いったい、どこに逃げ込んだの?出てきなさいっ」


 文枝は腰から上を狂ったようにぐるぐると回転させ、血眼になって俺の姿を探し始めた。

 俺は地面を這っている電力ケーブルの一本を拾い上げ、両手で輪をこしらえた。マシンの上半身がぐるりと半回転し、上半身と下半身が互い違いになった瞬間、俺は駆け出した。


「こっちだっ」


股の下からいきなり現れた俺の姿をみて、文枝は鋏を振り上げた。俺はケーブルを背中に隠すと、挑発するように二、三歩後ずさった。俺が観念したと思ったのだろう、文枝は二本の鋏を、反動をつけるようにして勢いよく繰り出してきた。


 よし、今だ。


 俺は輪にしたケーブルを掲げると、身をかわしながら鋏の根元にひっかけた。そして間を置かずに輪を締めると、全力で手前に引いた。


「あああっ!」


 上半身と下半身が逆になったパワーアシストはバランスを崩し、地面を揺るがす轟音とともにあおむけにひっくり返った。俺はパワーアシストのボディによじ登った。運転席では文枝が叫んでいた。どうやらひっくり返った衝撃でシートがずれ、足を挟んだらしい。


「陽人君、助けてぇ!お願いっ」


 俺は陽人の方を見た。陽人は怯えたような表情のまま、いやいやをするように頭を振ると踵を返し、闇の中へ一目散に逃げ出した。


「陽人君、どうして……陽人君っ!」


 俺は文枝のいる運転席を覗き込んだ。文枝は「抜けないの……足が、足がぁっ」と叫んでいた。その姿は、年相応の老婦人のそれでしかなかった。


「文枝さん……夢を見るのは素晴らしいことです。そこに年齢は関係ありません。でも他人を傷つけ、不幸にしてまで見る価値のある夢はありません。もう悪夢に踊らされるのは終わりにしましょう。……昇太、こっちに来てくれ!二人でばあちゃんを助けるぞっ」


        〈第十八回 終わり 最終回に続く〉




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