第45話 第三話『奇妙な事実』第十七回
雨上がりの雲間に浮かぶ白い月が、闇に沈む公園の歩道にわずかな輝きを与えていた。
時計を見ると、十時ちょうど。約束の時間だった。俺は息を潜め、待ち合わせの相手が来るのを待った。
俺のメールの意味が理解できたなら、きっとやって来るはず。俺はそう確信していた。やがて、遊歩道の奥からひとつの影がゆっくりとこちらに近づいてきた。
「メールを読んでくれたんだな。来てくれてありがとう」
俺の呼びかけに、人影が立ち止まった。同時に月明かりが相手の顔を浮かび上がらせた。
「すべてわかった、とお書きになりましたね。すべてというのをお聞かせいただけますか」
深沢陽人は、俺を正面から見据えて言った。俺は頷いた。そのために呼び出したのだ。
「サスペンデッド・フォーは一人ではない。複数の人間からなる犯罪グループだった」
答えを予想していたのか、陽人は表情を一切変えることなく「その通りです」と言った。
「誰が誰を殺害したのか正確なところはわからないが、犯行に携わったのが確実と思われるのは、取りあえず二人だ。まず、松沢陽人。そして佐倉美苗。この二人は間違いない」
俺は呼吸を整えた。自分の推理は間違っていない、そう胸の内で反芻した。
「三人目は俺の想像になるが……おそらく二番目の被害者である布施一臣だろう」
陽人は無言で宙を見つめていたが、やがて意を決したようにゆっくりと頷いた。
「そうです。よくわかりましたね」
「事の起こりから順に辿って行こう。間違いがあったら言ってくれ。……まず、話は布施が歯科医をしていた数年前に遡る。当時、布施は親の期待に応えて医師になったものの、自分の適性が医者には向いていないのではないかと悩んでいた。
医術にやりがいを見いだせない布施の唯一の慰めは、模型作りとロボットコロシアムへの出場だった。そんな時、布施の医院に通う老婦人と孫がいた。文枝さんと昇太君だ。
文枝さんはご主人の経営していた重機会社が人手に渡り、落ち込んでいた。唯一の生き甲斐は、孫の昇太君だった。……だが、その昇太君も学校でいじめに遭い、気力を失っていた。
昇太君がロボット好きであることを知った布施は、ロボットコロシアムのジュニア部門に出場してみないかと誘う。昇太君は布施から手ほどきを受け、ロボット作りに熱中し始めた。そして昇太君はロボコロで布施から元工学部の君を紹介され、一緒に優勝を目指すことになったんだ」
俺は一気に語ると、陽人の方を見た。陽人の表情には何の変化も生じていなかった。
「同じころ、元アイドルで布施の妻だった佐倉美苗は、不眠と抑鬱症状から精神科のデイケアに通所していた。そこで美苗は実習に来ていた医学生……君と知り合う。
偶然にも夫の後輩だった君に、美苗は精神的に依存するようになる。そして君が学費を稼ぐため、夜のアルバイトをしていることをさりげなく聞き出すと、実習が終わるのを待って君が働いている店を探し出し、客として通うようになった」
「……よく知っていますね。どこで調べたんです?」
「美苗が通所していた精神科のデイケアには、俺のマブダチも通っていたのさ」
俺はエリカの常にあえいでいるような表情を思い浮かべた。エリカがはじめて精神科の門をくぐったのは、十歳の時だという。女の子になりたがる息子を心配した両親に、無理やり連れて行かれたのだという。
自分が正しかったことを証明できた今でも、彼女は安定剤を手放せない。幼い頃からずっと、本当の望みしか口にしていなかったにも拘らずだ。
「君と美苗は、共に心に傷を抱えているという共通点から、急速に親しくなった。美苗は不倫相手に裏切られたという傷、君は尊敬していた工学部の教授から、性的な関係を強要されたという傷だ。そして美苗の夫で君の先輩である布施もまた、心に深い闇を抱えていた。
歯科医を辞めて精神科医になったものの、相変わらず心は満たされず、自信も持てない。いっそ、自分を殺して他の人間になってしまいたい……そう思いつめていたんだ。つまりこの事件は、何とかしてこの状況から抜け出したい、すべてを変えてしまいたいという人間たちによる、自己救済のための犯罪だったんだ。
君と美苗は不倫をしていたわけじゃない。計画は布施に別の人間としての、あらたな人生を与えるための物だった。つまり身寄りのない人間を身代りに殺すことで、布施と言う人間をこの世から抹殺するというのがそもそもの目的だったんだ」
陽人は目を閉じ、俺の話に聞き入っていた。その姿はどこか悲痛なものを感じさせた。
「君たちはまず、身寄りのないホームレスを探し出した。そして歯科医である布施が、まとまった報酬と引き換えにある要求をする。それはすべての歯の治療跡を、自分のそれと全く同じになるようにするというものだった。
もちろんホームレスは極力、布施と歯並び、歯の数が近い人間を選ぶ。その上で布施が持っている自分のカルテの内容と全く同じになるように、ホームレスの歯を「治療」したのだ。どうしても異なる部分は、布施の歯の方をホームレスに合わせたかもしれない。とにかく、二人の歯の治療跡が布施のカルテと一致するようにしたのだ。
死体が焼かれ、指紋が薬品で溶かされていたのは、歯の治療跡が本人特定の決め手となるようにするため……つまり、二番目の死体が布施であるとみなされるようにするための偽装だったのだ」
俺はそこでいったん、言葉を切った。陽人は一切、言葉をさし挟もうとはしなかった。
「この事件は元々、布施を死んだことにするための身代り殺人だったが、一つの事件だけでは単純すぎると思い、君と美苗は捜査をかく乱するため複数の殺人を同時に行う事にした。
それも同一犯による連続殺人に見せかけるため、身代り殺人以外の死体も同じように焼き、指紋を溶かしたのだ。
殺害するターゲットは罪の意識を軽くするため、自分たちがかねてから憎んでいる人間を選ぶことにした。やりかたはアリバイ作りを兼ねて、それぞれが自分のターゲットではない人間の殺害を担当する交換殺人の形を取った。
弁護士は陽人、大学教授は美苗と言った具合にだ。……では、最初に殺害された弁護士は、一体誰のターゲットだったのか?これが、この事件最大の謎だった」
陽人は目を開け、俺を正面から見据えた。瞳の奥に覚悟めいた光があった。
「その四番目の人物こそが、重機を使って死体を木に吊るした人間だと俺は考えている。……最初、俺は君がその役を担ったのだと思っていた。だが、君は最初の事件が起きた直後に、オーストラリアへ旅立っている。仮に、最初の死体を吊るしたのが君だとしても、後の三件を誰が担ったかがわからない。
布施か?いや、しかし布施がその役を担ったとして、うっかり誰かに姿を見られでもしたら、自分が生きていることがばれてしまい、計画が水の泡だ。それでは君と布施以外の人間で、いったい誰が重機を扱えるだろうか?」
俺は言葉を止め、息を吸った。陽人は次の言葉を固唾を呑んで待っているようだった。
「昇太だ。お祖父ちゃんの工場が人手に渡った後、昇太は工場に遊びに行っては、重機を扱わせてもらっていたそうだ。それに加え、ロボットで鍛えた操縦の腕もある。
君は『ひだまりハウス』でボランティアをするようになってから、昇太や文枝さんから、昇太のお祖父ちゃんがいかに卑劣な手口で工場を奪われたかを再三にわたって聞かされていた。そして布施から身代り殺人の計画を聞かされた時、君は『ひだまりハウス』で見たある器具を思い出したんだ。
それは介護の現場で使用されていた電動のアシストスーツだった。重い人間の身体をいとも軽々と持ち上げるスーツの能力を見て、君は閃いた。これを使えば猟奇殺人が演出できると。そして昇太にはロボットや重機を動かせるだけのスキルがあり、またお祖父ちゃんから工場を奪った弁護士に対する憎悪も持っているという事を」
俺の言葉に、陽人の顔がわずかに歪んだ。それから、次にゆっくりと言葉を吐き出した。
「違う。昇太じゃない」
「じゃあ、やっぱり布施なのか」
「布施さんでもない」
俺が「どういうことだ」と口にしかけた時だった。不意に背後で、金属が軋むような音がした。次に地面が重い響きとともに揺れ、モーターとエンジンの唸る音が聞こえた。
〈第十八回に続く〉
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